アーロン・コープランドの音楽


交響曲管弦楽曲、室内楽曲、器楽曲、声楽曲・合唱・歌劇
管弦楽曲

リンカーンの肖像
(98.5.20.、ディスク紹介は98.5.31.、谷口によるコメントは98.6.1.)
仙台の吉田 達(よしだ とおる)さんによる情報です。ありがとうございます。

湾岸戦争集結直後、ナレーターにシュワルツコフとマーガレット・サッチャーを起用したディスクが、それぞれアメリカとイギリスで録音されていますが、なるほどこんな使われかたを想定して書かれた曲なのだなという感を受けました。もっとも、シュワルツコフやサッチャーのナレーションはあまりよいとは思えません。コープランド自身は素人による訥々(とつとつ)としたナレーションを望んでいたようですが、それにしても声に、おのずからにじみ出る風格・気品のようなものが欠けているように思うのは私一人の偏見でしょうか。私としては、オーマンディ/フィラデルフィアの演奏で、アドライ・スティーヴンソンがナレーターを務めたものがベストディスク、そのつぎにアブラヴァネル/ユタ交響楽団の演奏にチャールトン・ヘストンがナレーションをつけたもの、と個人的には評価しています。

1) レナード・スラトキン指揮セント・ルイス交響楽団、ナレーター:ノーマン・シュワルツコフ(録音1991年、 RCA Victor Red seal 09026-60983-2)

「市民のためのファンファーレ」で始まり、「リンカーンの肖像」で終わるアルバム。題して「アメリカの肖像American Portraits」。この2曲のあいだに、スーザの「エル・キャピタン」、バーグレイの「国民の象徴」といった行進曲の定番、あるいはウィリアム・シューマンの「アメリカよ、喜べ」(「ニュー・イングランド三部作」第1曲)、ヴァージル・トムソンの「〈ヤンキー・ドゥードゥル〉によるフーガとコラール」…などが入っていて、アルバムタイトルに恥じない内容といったところでしょうか。アメリカのナショナリズム、パトリオティズムを感覚的に教えてくれるアルバムです。

2) ウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団、ナレーター:マーガレット・サッチャー(録音1991(?) 年 EMI Classics CDC 7-54539-2)

全曲新録音の1)とは異なり、こちらは「リンカーン…」以外すべて過去のEMIの録音の再編集。演奏者も当然バラバラです。このアルバムも「市民のためのファンファーレ」に始まり、以下「リンカーン…」、バーバー「アダージョ」、エルガー「威風堂々」第1番、ホルストの組曲「惑星」から「木星」、エルガーの「威風堂々」第4番、「エニグマ」から第9変奏「ニムロッド」、そして最後は、ストコフスキー編曲による「星条旗よ永遠なれ」。アルバムタイトルは「民主主義への敬礼Salute to Democracy」(社会主義の終焉と自由民主主義の勝利を宣言したフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』も、そういえばこのころ話題になった本でした…)。バーバーの「アダージョ」とエルガーの「ニムロッド」は、湾岸戦争で命を落とした兵士のために、それぞれアメリカとイギリスから寄せられた追悼ということなのでしょう。最初と最後はきっちりアメリカで固めて、イギリス人の作品をあいだに挟むあたりは、対イラク戦におけるアメリカとイギリスの位置を反映しているのでしょうか。

以上2枚のディスクの「リンカーン…」の演奏は、私にはどうも好きになれません。ただ、2)の、「クイーンズ・イングリッシュ(?)」で(しかも女性の声で)語られるリンカーンの演説を聴いたらアメリカ人はどんなふうに思うのか、少し興味があるところです。それから2)の指揮者のモリス。マーラーの10番(クック版)といい、ベートーヴェンの10番といい、そして今回の録音といい、モリスにはちょっと「きわもの(といってしまっては語弊があるかもしれませんが)」好 みのところがあるのでしょうか? 2)のアルバムは仙台から注文した時点ですでに廃盤予定になっています。店頭でこのディスクを受け取ったのは、イギリスの総選挙で保守党が大敗し、労働党が政権に返り咲いたとの報道が日本の新聞の紙面に載ったその当日でした。

3)ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、ナレーター:アドライ・スティーヴンソン(録音1962年、Sony Classical SBK 62-401)

4) モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団、ナレーター:チャールトン・ヘストン(録音1961or2年、Vanguard Classics 08-4037-71)
 
声のよさ、雰囲気のよさという点では、4)のヘストンのナレーションは抜群です。しかし、惜しむらくは、あまりにも千両役者すぎるというか、「はまりすぎている」というか、何度も聴いているとあまりのカッコよさがときに鼻につかなくもありません。一点の瑕疵もない二枚目がかえって嫌みな感じを与える、というやつでしょうか。3)のナレーションは、その点で絶妙のあじわいを出しているように思います。スティーヴンソンは、民主党候補として出馬した大統領選でアイゼンハワーに敗れながらも、その理想主義の精神によって多くの人々の敬意を集め(もっとも、いわゆるインテリに人気があって、庶民からの受けは良くなかったようです)、晩年は国連大使まで務めた人だそうですが(以上、『世界大百科事典』その他を参照)、なるほど飾り気のない、しかし、品格のある語り、渋みのあ る声からは気骨のある、清廉な人柄が推し量れるようにも思えます。

5)ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管 弦楽団、ナレーター:グレゴリー・ペック(録音1968年、Decca)

さまざまな指揮者・オーケストラによってデッカに録音されたコープランドの管弦楽作品を2枚組に編集したうちの一曲。私が聴いたなかでは、一番影が薄い演奏です。

6)アーロン・コープランド指揮ロンドン交響楽団 ナレーター:ヘンリー・フォンダ(Sony SRCR8504〜6)

作曲者の自作自演。谷口さんもご指摘の通り、平板な印象を与えます。早口で、ちょっと高めのキイの声質も、私にはマイナスにはたらいているように感じられます。

概して、コープランドの自作自演はあまりうまくいっていないと思います(自作自演というのは大抵そういうものですが)。とくに上記の3枚組ディスクではオーケストラがすべてイギリスであるあたりにも、不成功の原因があるのかも、と個人的には考えています(それにくらべれば、ボストン交響楽団との「アパラチアの春」、「テンダー・ランド組曲」、あるいはシンフォニー・オヴ・ジ・エアーをコープランドが指揮して、ピアノをEarl Wildが受け持ったピアノ協奏曲の演奏などは出来がよいように聞こえる、というのは偏見でしょうか)。とりわけ交響曲第3番など、最初に自作自演で聴いて、「悪くはないけれど、いまひとつ説得力に欠ける」という印象を持っていたところ、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルによる85年の演奏(ドイツグラモフォンPOCG-4049)を聴き、一挙に評価をあらためました。カップリングされている「静かな都会」の演奏も、私が聴いたなかではおそらくベストのものですし、交響曲第3番にしても、「この曲の魅力を120%引きだしたい」という演奏者の熱意がひしひしと伝わってくる名演と思います。指揮者としてバーンスタインのほうが格が上なのはいうまでもありませんが、オーケストラがアメリカのものであることも無視できない要因かもしれません。

(98.6.1. 谷口による追記)
コープランド自身は、作曲当時、音楽が政治的プロバガンダに使用されるのにはあまり感心しなかったようです(時おりしも、ちょうど第二次世界大戦でしたね)。初演を聞いたアメリカ人は、もっと曲が続けばいいのに、と思ったほど感動したそうですが、それは愛国主義(アメリカ人はちょっとこれが行き過ぎのような気もしますが)によるものなのでしょう。

コープランドはもともとWalt Whitmanを使って新曲を書きたかったそうですが、作曲依頼人であり、同曲の初演者のアンドレ・コストラネッツが作家ではなくて政治家のテキストを使うように指示したようです。

コープランドが自演盤のナレーターにヘンリー・フォンダを選んだのには何らかの理由があったのでしょうが、彼の起用によって全体が平凡になっていることは否めませんね。素朴な音楽に素朴なナレーターとはいかなかったようで。なにせテキストがリンカーンの演説だったというところに、難しさがあるのかもしれません。

(99.11.24. 谷口による追記)スペイン語のナレーションが入ったLPレコードもあったみたいですね。いや、これは珍品。私は、もちろん持っていません。とある中古レコード屋で、なんと 200ドルもの値がついていました。

Copland: A Lincoln Portrait (in Spanish). SUJO (narr). Estevez: Concerto for Orchestra. Venezuela SO; ESTEVEZ. SAM LP1265 8

(99.12.6. 谷口による追記)
American Celebrationの第1巻、CD4枚目に収録された、バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(ナレーターはウィリアム・ワーフィールド)による同曲の演奏について書きました。

(99.12.8. 谷口による追記)
モーリス・アブラヴァネル指揮ユタ交響楽団、ナレーター:チャールトン・ヘストン(上記ディスコグラフィー 4))の演奏をLPで聴きました (Vanguard VSD-2115)。最初のスロー・テンポの部分ですが、オーケストラの演奏が平板で、ドラマティックさに欠けるところがあります(16分音符をもっとはっきり演奏するだけでも変わってくると思うのですが)。中間部のテンポが急に速くなる部分、出だしでコープランドは「予期しなかった」驚きを期待しているのですが、それをトランペット・ソロのクレシェンドでつないでしまっていて、面白さが半減してしまったのが残念です。それに続く部分では、オーケストラにスピード感がなく、どうしてもおっとりとした表現になりがちです。こういうところは、あえて粗野な感じに演奏した方が、面白いのではないでしょうか。のんびりした感じも、一つのいき方なのかもしれませんが。

ヘストンのナレーションの部分ですが、彼は、終始、淡々と語り継いでいくといった感じで、必要以上に興奮したりはしません。声はいいので魅力的なのですが、もう少し音楽に反応してもいいのではないかと思います。これはヘンリー・フォンダ(自作自演盤)の問題でもあるのですが。また、ナレーターの声は、ホールに一度投射された音ではなく、直接ミキサーに入った音のようなので、ややわざとらしく聞こえる嫌いはあります。(同日改訂)



作曲家リストに戻る
メインのページに戻る