音楽の本まるかじり(5)



グラウトの『西洋音楽史』第5版
(97.2.23)

Grout, Donald Jay and Claude V. Palisca. A History of Western Music. 5th ed. New York: Norton, 1996.

スタンダードな音楽史の教科書として長年アメリカの多くの大学で使われているグラウトも、いよいよ5回目の改訂を受けた。縦横ともに一回り大きくなったが、ページ数は前回の910ページから862ページと減少した。使用されている紙も薄くなってしまったが、その反面持ち運びやすくなった。

一見して驚くのは、全ページにわたる黒と朱の2色刷りだ。章の番号が朱の白抜き、中見出し・小見出しもすべて朱色の文字、そして年表や地図にも、分析のチャートにもこの色が効果的に使われている。またこの版で初めて16枚のフル・カラー写真が挿入された。絵画と音楽の関係について考察するにはよい補助教材となるだろう。

第4版には見出しのとり方に問題があったが(まるかじり2を参照)、この版ではオリジナルを尊重して、小見出しはマージンに書かれることになった。これによってグラウトの音楽史叙述の自然な流れが復活した。また第4巻では省略されていた巻末の用語集も復活し、初心者に対する配慮もなされている。なお年表や文献表が各章の最後にあるのは前の版と同じであるが、新しい情報が取り入れられているので注意しておきたい。

今回の版においては、章の構成・名前もいくらか変えられた。例えば第4版で「中世からルネサンスへ」とされていた第5章は、そのサブタイトルが強調され、「15世紀のイギリスとブルガンディ領」となった。これらの土地の音楽が、いかにも歴史上の「過渡期」として扱われるのを避けるためだろう。同様な理由で「古典派様式の源泉」とされていた第13章が、「初期古典期におけるソナタ、交響曲、オペラ」となっている。内容の整理のために名前を変えられた章もある。例えば単に「後期18世紀」とされていた第14章には、「ハイドンとモーツァルト」という副題がつけられた。実際にこの章で述べられるのはこの二人だけだから、これは適切な配慮だと思う。なお古典派の楽曲分析はヤン・ラルーの方法がもはやスタンダードになったことを示している。

19世紀音楽も、以前は声楽と器楽に章分けされていたのが、今度は管弦楽曲のみが 独立させた章で扱われている。このジャンルだけに10ページが費やされ、譜例も多く使われている。交響曲や交響詩などが特に大きく扱われ、これらのジャンルが前の版では案外軽視されたことに改めて気が付いた。一方以前の版では独立した章で扱われた声楽は、次のピアノや室内楽を扱う章に融合された。一般の読者にはこの順番で進むと分かりやすいのだろうか? それとも音楽受容の形態や同時代・次世代への影響の大きさを考えてのことだろうか?

第4版では「世紀末」と題されていた第19章は「1870年代から第一次世界大戦までのヨーロッパ音楽」になった。この時代を包括する美学的な名前が失われたのはやや残念な感じもするが、内容的には国民学派を含めたもっと幅広い音楽を述べているので、「世紀末」という語があまりに狭いということになるのだろう。

20世紀は最後の第20章だけだったのが、一気に20から23章と3つのステージへと分割・拡大された。第20章は「20世紀ヨーロッパの主流」となっている。しかしこの「主流」の記述は、前の版もそうだったのだが、やや混乱した印象を覚える。まず『民族的文脈』(以前は『民俗的書法に関連した音楽様式』となっていた)という多見出しでバルトークの記述が始まり、ハンガリー、ソビエト周辺、イギリス、ヒンデミットを含むドイツ、ラテン・アメリカ、フランスと続き、いきなりストラヴィンスキーで終わる。どうして最後にストラヴィンスキーだけがソビエトの文脈と分けて述べられるのか、疑問が残る。

21章は無調性、セリエリズム、電子音楽、偶然性と、時代を股にかけ多様な音楽が述べられる。しかし1964年のストラヴィンスキーで終わった頭を1901年の<グレの歌>(シェーンベルク)まで戻さなければならないというのは若干奇妙である。なぜこれらの音楽語法だけが、時代の脈略をこわしてまで別にされなければならないのか? 20世紀の音楽で、無調それだけ決定的な音楽の転換点だったいうことか。それにしても電子音楽が出て来るのはちょっと理解し難い。なぜなら電子音楽は、音楽様式というよりも、新しいメディアの登場という文脈で扱われるべきだからだ(現にポピュラーの世界では調性音楽を演奏している)。また偶然性も、セリエリズムの反動といえなくもないが、それだけの文脈にしか置かないというのも問題ではないだろうか。また、「最近の潮流」という項目もあるが、その記述が80年代のポストモダン、新ロマンなどには到達せず、いまだにシュトックハウゼンとルトスワフスキで終わってしまうため、アップデイトされた割には内容がまだ古いという印象を持たざるを得ない(注1)(ミニマル音楽は次章のアメリカ音楽史の文脈で述べられており、ここには含まれていない)。

また、今回はアメリカ音楽が独立して23章に収められていて、「アメリカの20世紀」となっているが、その「歴史的背景」として「ベイ詩篇書」まで遡る必要があるのか、不思議に思う。おそらくグラウトがアメリカの学校で使われることを目論んで、アメリカ音楽史を一通り載せたかったということなのだろうが、この扱いでは、年代順に進められた歴史のスムーズな叙述が唐突に断ち切られてしまう印象があった。

改訂はこれら全体構成のレベルだけでなく、文単位にまで及んでいる。オリジナルを残した部分も多いが、かなりパリシカの手が入れられているようだ。各文の視点がより明確になり、段落の主題が整理され、1つの見出しの中で話題が自由に広がっていくということは少なくなった。一方でグラウト独特の味がやや薄くなったような感じもする。あるアメリカの学者が第5版について、「ますます脱グラウト化している」と述べたのには、そういう背景もあったのだろう。

全体としては相変わらず内容が豊富だが、これを1セメスター(あるいは2セメスター)の概論の教科書として使うには、やや負担が大きすぎるかもしれない。もちろん1冊でこれだけの物を網羅したことはおおいに賞賛されるべきだが、単なる記憶だけで音楽史が語られるということのないように、この本を使って指導する側の理念と配慮が必要である。

ところで日本語版はまだ60年代のグラウトのままなのだろうか?(98.4.15. 追記:「まるかじり(7)」参照)


(1)アップデイトの問題では、例えば中世の旋法の命名法も、あいかわらずドリアンやイオニアンという後世の名前が使われているのが気になった。


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