音楽の本まるかじり(2)



アメリカの教科書(当記事で扱った文献は、巻末にまとめてあります)(97.7.20.改訂)
無断転載はお断りします


日本の大学で音楽史の教科書というと、教養時代によむのはライヒテントリットと かだろうか? もしそうだとするとかなり時代遅れだ。20世紀も終わろうというのに シェーンベルク以降の20世紀音楽の記述が箇条書のように終わってなんてちょっと寂 しい。また本の内容が文章ばかりで、やや単調に見えるかもしれない。 

アメリカで使われている「音楽鑑賞」の教科書は、もっと現代的だ。おそらく代表 的なのはMachlisとForneyのEnjoyment of Musicというもので、かなり人気がある(最近第7版が出た)。この本の特徴は、まず豊富な写真とイラスト。歴史の叙述に入る前に、 簡単な楽式論や楽器の紹介があるのだが、楽式論では絵画と音楽が類推比較される し、楽器紹介のところではヨー・ヨー・マや東京クァルテットの写真が出てきたりし て、興味を引かせてくれる(写真の多くがカラーなのもうれしい)。またこの本は記 述も平易で、伝記と作品の紹介がバランスよくまとまっている。20世紀音楽もミニマ ルまでくるし、ジャズや民族音楽の記述も加えられている(ブルース・スプリングス ティーンの写真もアリ)。ただ音楽を専門としている学生にとっては、内容がやや表 面的で、物足りないと感じられるかもしれない。

アメリカの教科書でさらに面白いのは、そのほとんどが、譜例集がとリンクしてる ということだ。Enjoyment of Musicの場合、本文の途中に作品解説のコラムが挿入 されていて、詳しい分析がKamien編のNorton Scores(2巻)を使ってできるように なっている。これなら自分で楽譜を探す手間が省けるし、著者の方も音楽を使ってよ り掘り下げた議論ができるはずだ。最近はさらに譜例集に付属するCDまで出ている [注1] 。 これで音と楽譜が一同に揃う分けで、自分一人でも体系的な音楽史の勉強ができる。 実際アメリカでは、宿題にこれら譜例集、録音集が使われるようで、図書館には多く の学部生が譜例集を持ってCDを聴きに来る。

さて、ここまでEnjoyment of Musicを使ってアメリカの「教養向け」教科書について述べて来 たが、ここからは、専攻学部生向きの通史音楽史の本について考えてみよう。

まずGroutの音楽史は、依然アメリカでは最もスタンダードな教科書といえる。1巻 もので、これだけすべての時代の音楽を漏れなく包括的に扱っているものは他に例がない [注2]。  

Grout亡きあとPaliscaが第4版 [1988年版] の編纂に携わっていて、そのためかこ の版特有の特徴がいくつかある。まず、本文のあとに付けられていた年表がそれぞれ の章の本文の中に組み込まれ、音楽の時代的・文化的背景の理解により役立つように なった。文献表も各章の最後に組み込まれ、本文を読んだあと、すぐ次のステップに 入り込めるようになった。本の巻末にある注や文献表は、意外に面倒くさがって見な いことがあるものだから、こういう配慮は案外あなどれない。また過去の音楽家たち が、その当時の音楽について述べた文章が、本文のあちこちに特別のコラムを設けて挿 入された。これにより、現代の目では見えにくい、各時代の音楽思想、音楽観、音楽 受容の様子が伺い知ることができる。

ただいくらか問題点もある。例えば、第3版まではマージンに書かれていた小見出 しが、本文の段落の頭にいれられ、その前に1行の空白が入れられていること。 Groutの流れるような歴史の叙述がこの空白によって不必要に止められるのがやや気に かかる。時には不自然な流れの部分さえ作ることさえある。例えばTuning Systems というのが小見出しで始まる段落(205ページ)を読んでみると、206ページの5行 目で突然人文主義の議論が始まり困惑する。いくらかページをもどしてみると、大見 出しは「(ルネサンス時代の)全般的性格」となっている(199ページ)。おそらく Groutは議論の自然な流れで調律システムについて触れているのだろうが、一行の空白 によってここのTuning Systemsというトピックが必要以上にクローズアップされて しまうのだ。次回の改訂では、注意深い編集をお願いしたい(98.5.8.追記:第5版ではこの点が改善された。まるかじり5を参照)。

Groutの本もEnjoyment...同様、譜例集とのリンクがあり、Palisca編による Norton Anthology of Western Musicを使って分析的な勉強ができる。グラウト本文 中に書かれた、この譜例集のための楽曲解説(NAWMと書かれたコラム)の多くは詳 細な分析を含み、独学する人には大変役にたつ。選曲は上記Norton Anthologyに比 べると、それぞれの作曲家の力作が収められていて、玄人向けかもしれない。CDもあ るが、保守的で古い演奏が多い。

現在筆者のいるフロリダ州立大学では、Douglass Seaton(筆者のいる学校の先生)の書いたIdeas and Styles in the Western Musical Traditionという本が使われている。この本の 特徴は、音楽を時代と作品様式だけでなく、それらを支えた思想や社会的文脈からも論じて いるところ。Groutの半分以下のページにも関わらず、記述が表面的に終わることはな い。またGroutの記述のように、議論が発散的に広がっていくのと違い、各時代の理解に 必要な情報が無駄なく収められ、読後充実感が残る。記述の一文一文が実に洗練され ているのもその理由の一つに違いない。

なおこの本には付属の譜例集がない(それがこの本の売れない原因にもなっている らしい)。そのため私の大学では、Development of Western Musicという本の譜例 集を補助教材として使っている。この譜例集には、古代ギリシャから現代まで、音楽 史に残る名曲が手際よく2巻にまとめられている(他の譜例集--HAM、MM、TEM [注3] など --に載っている作品も多い)。CDには演奏のよいもの、新しい演奏習慣の研究に基づ いたものが多く選ばれていて、「音楽史のレコードはつまらない」という偏見を取り 除くのにはいいだろう。 

ところでこの譜例集のもとになっている本、Stolba著のDevelopment of Western Musicも新しいタイプの教科書として有名だ。これのよいところは、図版や年表、地図、写真、譜例がうまく使われているところ。年表は、Groutのような、年号と出来事がただ並んでいるだけのものとは違って、グラフ式になっている。年代が横に流れ、出来事がその下に層をなして書かれているというもの。ある程度続いた出来事は「----」をつかって表示されている。年表の中には、「オペラの発展」とか「第2次世界大戦以降の音楽」といた、ジャンル別・年代別のものもあり、一種の鳥瞰図として、歴史的事項を整理するのに役立ちそうだ。

記述は、西洋音楽史のすべてを網羅しようとする野心あふれるもので、1ぺージに2つのコラム、895ページ(文献表・索引を除く)とヘビーだ。また著者は、歴史の流れでちょっと気になるトピックをいくらか拾い上げ、「insight」というコラムを設けて述べている。例えばルネサンスには「楽譜出版について」、世紀末音楽のところには「アルマ・マーラー」の「insight」がある。ただこの本の意欲的歴史叙述も、一部学者からはNew Groveのパラフレーズに満ち溢れていると指摘されている。

この本にも譜例集とのリンクがあるが、本文で述べられる概念の実例として譜例集にこういう曲があると、簡単に示される程度。EnjoymentやGroutのように、解説や分析が別のコラムを設けられて述べられることはない。なお教師用には指導用マニュアル(講義で使うOHPシートも含まれている)とテストファイル(MacintoshとIBMフォーマット)が手にはいるそうだ。こういう細かなサービスは、さながら日本の小中学校の教科書と、その指導資料を思い起こさせる [注4] 。

さて、ここからは民族音楽の教科書について少し述べてみよう。まず、1冊で世界の音楽を包括的に扱った書としては、Elizabeth May編のMusic of Many Culturesが挙げられる。これはヨーロッパを除く諸民族の音楽を20の章に分け、各々の区域を専門とする研究者たちが分担して書いたものだ。記述は担当者の著者によって様々で、歴史的・人文地理的なものもあるし、楽器論や音楽理論が中心となっているものもある。また日本音楽のように、、音楽を支える民族固有の概念・美学に触れているものもある。文献表、ディスコグラフィー、フィルモグラフィーも整っていて、入門用としてこれ以上のものを考えるのが難しいとさえ思えてくる(3枚のオリジナル・ソノシートまで付いている。次の版ではCDになるとよいのだが)。ただ内用的に無駄のないこの本の文章スタイルが、読み手によっては味気ない「学術的」なものだと感じられることがあるかもしれない。また豊富な図版(白黒)・譜例を含んだ386ページ(1ぺージ2コラム)は情報量も多く、それを一度で読み切るには、かなりのエネルギーがいるだろう。もちろん授業で複数の音楽文化を扱い、授業のぺースに合わせていくということならば、そういう問題はないと思われるが。

実際の学習には、筆者のいる大学の先生で南米音楽の記述を担当したDale Olsenのワークブックが役に立つ。このワークブックは、本文の要約、用語調べ、読んだ内容を確かめる問題集という構成になっていて、これとMay編の本があれば、より効率のいい学習ができるようになる。またリスニング課題もあって、各章の理解に必要な具体的な曲目とレコードが示されている。付属のListening Formを使えば、どういうところに注意して録音を聴くべきなのかが分かるし、曲を聴き流して終わってしまうということも避けられる。ただ、リストされているレコードはNonesuch、Folkways、Lyrichordを中心としたアメリカ盤が中心で、日本での学習にそのまま使えるかどうかは分からない。

もっと気楽に世界の音楽に親しみたいということであれば、Nettle他著のExcursions in World Musicがよいだろう。この本は、音楽理論を勉強していない一般の読者を想定しているためか、読みやすいのが特徴。Music of Many Cultures同様分担執筆だが、各章担当の筆者の体験が物語風に綴られている部分が多く、それらが具体的内容に富んでいるため、いきいきとしているのだ。例えば日本音楽の章では、担当のIsabel Wongが1989年に訪れた東京でどのような音楽が聴かれていたかということから始まり、国立劇場で催された日本音楽のオムニバス・コンサートへとつながっていく。国立劇場の描写には、「2つのレストランがあって、2階にある大きなレストランでは夕食セットというメニューを出しているし、1階正面の小さなレストランでは軽食類がだされている」(106ページ)という、具体的で微笑ましい記述もある。すべての地域を万遍なく網羅しているという訳ではないが、ヨーロッパなど、Mayの本には含まれなかった地域もあるし、指導者の使い方によっては、民族音楽への楽しい導入となる本である。譜例はおそらく意識的に避けられているようだが、豊富な写真(白黒)が読み手の興味を引くには充分ではないだろうか。補助教材としてカセットテープもあるようだが、残念ながら筆者のいる大学の図書館にはなさそうだ。

民族音楽の教科書としては、Jeff Todd Titon編のWorlds of Musicも広く使われていそうだが、残念ながらこの稿には間に合わなかった。しかし1992年に第2版がでて、補助教材にはCDもあるというくらいのことは分かる。入手次第その内容もお知らせしたいところだ(1998.5.8.追記:「まるかじり(7)」参照)。

今回は概説的な音楽書を取り上げたが、音楽史の各時代史や、もっと特色のある著書など、ここに取り上げられなかったものも多い。いずれそれらも機会を改めて紹介する必要があるだろう。

   

[注1] Enjoyment...第7版には、本の内容に即したCD-ROMも補助教材として用意されている。これからは、マルチメディアを総動員した音楽学習が可能になりそうだ。

[注2] Groutの日本語訳は2巻に分けられている。古い第1版(1960年)の翻訳だ。

[注3] HAM = T. Archbald Davidson and Willi Apel, Historical Anthology of Music, 2 vols., (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1946-50). この譜例集の一部には録音があり、Pleiades RecordsからLP11枚が発売された。MM = Carl Parrish and John F. Ohl, comps. and eds., Masterpieces of Music before 1750: An Anthology of Music Examples from Gregorian Chant to J. S. Bach, (New York: Norton, 1951). (日本では『音楽史--グレゴリオ聖歌からバッハまで』として、音楽之友社から出版されている)。TEM = Carl Parrish comp. and ed., A Tresury of Early Music: An Introduction of Masterworks of the Middle Ages, the Renaissance, and the Baroque Era, (New York, Norton 1958). (こちらも日本では『初期音楽の宝庫』として、音友から出版されたが、現在は入手が困難なようだ。なおこれらの2つの譜例集にも録音があり、現在でもHaydn Society Recordsから入手可能のはずだ(それぞれCD3枚、4枚組)。Haydn Society Records, c/o Esoteric, Inc., 119 Knollwood Rd., West Hartford, CT 06110. Tel. (203) 561-2839. しかしさすがに録音年代や演奏スタイルの古めかしさは隠すことができないようだ。なぜオリジナルのLPからCDにするとき、新しく録音し直さなかったのか、悔やまれるところである。

[注4] Seatonの本にも、教師用に指導の手引き書があり、授業のシラバス例、指導技術、教室内での議論のためのトピック、用語集、譜例集・録音のリスト、テストなど、盛りだくさんの内容が含まれているようだ。

     

本記事で扱った文献

  

Grout, Donald Jay and Claude V. Palisca. A History of Western Music. 4th ed. New York: Norton, 1988.

Kamien, Roger, ed. The Norton Scores: An Anthology for Listening. 5th ed., 2 vols. New York: Norton, 1990.

Machilis, Joseph and Kristine Forney. The Enjoyment of Music. Chronological Version. 7th ed. New York: Norton, 1995.

May, Elizabeth, ed. Musics of Many Cultures: An Introduction. Berkeley: University of California Press, 1980.

Nettl, Bruono, et. al. Excursions in World Music. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall, 1992.

Olsen, Dale A. Musics of Many Cultures: Study Guide & Workbook. Dubuque, IA: Kendall/Hunt, 1993.

Palisca, Claude V. ed. Norton Anthology of Western Music. 2nd ed. New York: Norton, 1988.

Seaton, Douglass. Ideas and Styles in the Western Musical Traditions. Mountain View, CA: Mayfield, 1991.

Stolba, K. Marie. The Development of Western Music: A History. 2nd ed. Dubuque IA: Wm. C. Brown, 1994.

____________. The Development of Western Music: An Anthology. 2nd ed. 2 vols. Dubuque IA: Wm. C. Brown, 1994.

Titon, Jeff Todd, gen. ed. Worlds of Music: An Introduction to the Music of the World's Peoples. 2nd ed. New York: Schirmer Books, 1992.

     

ディスコグラフィー

  

Compact Disc Recording to Accompany The Development of Western Music: an Anthology. Vol. 1, 2nd ed., ed by K. Marie Stolba. Sony Music Special Products A8 23483. ISBN 0-697-12553-X.

Compact Disc Recording to Accompany The Development of Western Music: an Anthology. Vol. 2, 2nd ed., ed by K. Marie Stolba. Sony Music Special Products A8 23890. ISBN 0-697-12554-8.

The Norton Recordings to Accompany the Norton Scores & the Enjoyment of Music: Standard. Sony Music Special Products. ISBN 0-393-99209-X.

Recordings for A History of Western Music and Norton Anthology of Western Music: Volume I: Medieval, Renaissance, Baroque. Sony Music Special Products A7 20384. ISBN 0-393-99181-4.

Recordings for A History of Western Music and Norton Anthology of Western Music: Volume II: Classical, Roman, Modern. Sony Music Special Products A7 20384. ISBN 0-393-99182-2.


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