音楽の本まるかじり(4)



徒然なるままに

今回は、特にテーマを決めずに、私の本棚にある、面白そうな本を紹介してみよう

Musica Enchriadis and Scolica Enchriadis. Trans. by Raymond Erickson. Ed. by Claude V. Palisca. New Haven: Yale University Press, 1995.

 9世紀に書かれた有名な音楽理論書の英訳。いわゆる西洋のポリフォニーを体系的に述べた最初の歴史的資料である。翻訳者による序章は、この翻訳に使われた写本についての事細かな情報(著者に関する問題、題名の由来ほか)や、2つの理論書に述べられた内容を要約したもの、後の時代に残した音楽的/理論的影響に関する記述を含み、これだけで64ページにも渡っている。Musica Enchriadis本文を読んでみると、題名が『音楽の手引き書』となっているように、この理論書が、単にポリフォニーの記述だけでできている訳ではなく、テトラコルドや音階理論など、古代ギリシャや同時代の音楽理論を包括する役目も担っていることが分かる。対話体で書かれたScholica Enchriadisは、「音楽とは何か」から議論が始まり、音程・音階論と続いていく。

 音楽史においてこの2つの理論書が問題となるのは、実例として提示されているポリフォニーの断片や理論が、すでにある程度完成した形だということである。つまり、理論化される以前の話、例えばいったいどうやってポリフォニーが生まれたのかについては全く分からないのである。最近の研究では、諸民族の音楽に見られるヘテロフォニーがポリフォニーの一つの源泉とされている。ところが、例えばそのヘテロフォニーな語法を持つ日本の音楽を、日本人自身が「ヘテロフォニー」として認識していたかというと、これは全く別の問題になってしまう。なにしろ「ポリフォニー」という言葉さえ、我々は持っていなかったのである。では西洋に何が起こったのか、最終的には我々は「何も知らない」ということを認めなければならないだろう。

 いずれにせよ、この翻訳はラテン語の原著にアクセスしにくい読者(私も含めて)には救いになるし、歴史的瞬間を目撃できる資料として、西洋音楽史に興味のある人すべてに勧めたい。西洋音楽の根本となる多声音楽とは何か、改めて考えさせられる。


Adler, Samuel. The Study of Orchestration. 2nd ed. New York: Norton, 1989.

 イーストマン音楽学校の教授で、作曲家としても著名なアドラーによる、新しいタイプの管弦楽法の教科書。楽器の音域や奏法は、基本的な情報であり、もちろんそれらはもれなく書かれている。この本の場合は、さらに実例として音楽作品が数多く収められていて、分析的な側面も重視されている。管弦楽法は作品の文脈の中で理解することが重要だと筆者は考えているからだ。実例の選択も、現代の楽器で演奏できるバロック以降、現代まで幅広い。特に現代の奏法に関する記述はスタンダードな管弦楽法の教科書よりも多い。ヴァイオリンの楽器を叩く奏法を示す記譜法、フルートのキイをパタパタする音の効果、金管楽器のジャズ奏法など、他の本にはあまり見られない項目もある。まさに現代に生きる作曲家がオーケストラにある楽器から何を引き出すかという、実際的問題に的を絞っているのだろう。

 しかしながら、この本の本当に新しいところは、内容に即したCD5枚が別売されていることだ。このCDは、本文に現われるほとんどの実例(各々30秒から1分足らず)を含んでいる。大半がイーストマンの音楽家によるそつのない演奏だ。普段はそれ程気にも止めないソロのパッセージが、以外にテクニック的に難しいということが分かったり、リハーサルでしか聴けないような楽器のアンサンブルなども入っている。作品の隠れた魅力を発見するのにも役に立つだろう。余談だが、このCDを使うときはテンキーの付いたCDプレーヤーをお勧めする。トラック数が90以上もあるからだ。

 もちろん偶然性の記譜法、コンピュータ音楽やマルチメディアを扱っている訳ではない。それらには他にも数多くの本があるだろうし、「管弦楽法」のスコープでは扱えない。それ以外の点では、アドラーの本は網羅的であり、管弦楽の書方の基本をマスターしたい人、楽器やオーケストラの可能性を音とともに探りたい人には楽しい一冊だろう。


Norton Recorded Anthology of Western Music. Vol. 1. Sony Special Products PN 10142-47.

 「まるかじり2」で触れた譜例集 Norton Anthology of Western Musicのための録音。グラウト改訂(第5版)とともに、この譜例集も改訂され(第3版)、その録音も新しく編集し直された。普通この手の改訂は、曲が数曲入れ替わる程度のものだが、今回の改訂では、譜例の収録曲に大きな変更があった上に、演奏が格段に良くなった。古代ギリシャの音楽には、話題のDe Organographiaが起用され、中世もヒリヤード・アンサンブル、セクエンツィア、Anonymous 4などの、豪華なメンバーがそろっている。これまで音楽史学習用のレコードというのは、楽譜がただ音になったものという印象が強かったが、これは音楽学の演奏習慣研究に基づいた優れた演奏になっている。なぜかバッハはモダンの演奏が収録されているが、これはバッハの古楽器演奏のCDは、すぐに入手できるものと仮定したのだろうか? とにかく、中世からバロックの音楽に触れてみたいという人には、この「第1巻」、6枚のCDは、サンプラーとしても役に立つと思われるし、鑑賞に耐える音楽史の録音集として高く評価したい。なおグラウト本文については、「まるかじり5」を参照願いたい。またこのCD、日本ではアカデミアから注文できる。


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