(99.5.29.追記)楽曲解説は、なかちのホームページの、 「楽曲解説」のページにあったのですが、移転のためか、「ファイルが見つかりません」状態になっています。とりあえず、内容を一時的にこちらに転載しておき、作者の連絡を待つことにします。
[1] ポール・ホワイトマンとガーシュインが初演する際に作られた版。「ピアノとジャズ・バンドのために」という副題がつけられている。手稿はアメリカ国会図書 館に所蔵されている。
[2] 1926年2月23日と日付がついた版。これは劇場オーケストラとラジオ・オーケストラ用の「ストック・アレンジ」といわれるもので(おそらく曲の抜粋み たいなものだと思うのだが)、そのアレンジ集には当曲を含め、計45曲が収められているらしい。
[3] コンサート・バンドのためのアレンジで、ピアノ独奏なしでも演奏可能とのこと。
[4] おなじみのオーケストラ版。1942年。
ガーシュインの演奏したピアノ・ロールとジャズ・バンド版 [1] との合奏。ただしピアノ・ロールは強弱が記録できないので、この録音では、おそらく ピアノ・ロールで演奏したものをテープに別収録し、スピーカーから再生されたテープにバンドが合わせる形をとっている(それによって、ピアノの音量がうま くバンドと混ざりあうという計算だったのだろうか)。
疑問の一つとして考えていたのは、はたしてこのピアノ・ロールがジャズ・バンドと「協奏」するために作られたものかどうかである。作曲者ガーシュイ ンが記録したピアノ・ロールの歴史的価値を疑う訳ではないが、ジャズ・バンドであろうと、オーケストラであろうと、ピアノ独奏以外に一緒に演奏する楽隊が あるのであれば、この演奏に見られるようなテンポでガーシュインが弾いたのであろうか、ということである。
この録音は実験としては面白いと思うのだが、いま述べた通り、ピアノ・ロールに記録された演奏の性格、そしてそのピアノ・ロール(のテープ)に合わ せてバンドが演奏する意味について、判然としないところもある。
同時収録作品は、パリのアメリカ人(ニューヨーク・フィル)と第2ラプソディー(ティルソン=トーマスのピアノとロスアンジェルス・フィル)。 (03.8.1.、03.8.27.追記)
ガーシュインと親交のあったレヴァントのピアノは常に積極的で、独特のスウィング感も持っている。フレージングやアクセントのつけ方 が面白い。やや、はしょったようなところもあるが(楽譜にこだわる人は、この辺りが気にかかるかもしれない)、その勢いが、かえって20年代のアグレッシ ブなジャズを彷彿とさせる。[4] 版のオケは、やや重い感じもするが、中間部からは、レヴァントの勢いに乗せられているようなところもある。終始緊張感の抜けない、白熱の展開である。(た だし、大胆なカットあり--傷にはならないが)。同時収録は、モートン・グールド管弦楽団との「第2ラプソディ」(すごい!)、コストラネッツ指揮ニュー ヨーク・フィルとのヘ調の協奏曲、再びグールドとの「I've Got Rhythm変奏曲」、3つの前奏曲。内容盛りだくさんの素晴しいCDだ(モノラル録音)。 |
クラリネット・ソロが魅力的。[4] 版だと思うのだが、バンジョーが良く聞こえるのには感心。録音のせいか、やや低音が不足気味だが、ビートは感じられる。全体的には、オケもピアノも、着実 であるとは思うのだが、やや内向的でドライだ。
2枚組(1枚の値段)のアルバムの、その他だが、グールドのピアノ独奏は、「3つの前奏曲」など、なかなかの聴き もの。自作自演の「ラプソディー・イン・ブルー」は、ビクターに入れた2つの録音の両方が入っている(私はPearlの2枚組を推薦するが)。バーンスタ インの「パリのアメリカ人」(1949年、RCA交響楽団との録音)は、ノイズも少なくないが、コロンビアのステレオ録音に負けない迫力がある。「ポー ギーとベス」(抜粋)は、同オペラ初演後に、白人歌手を起用して発売された同曲のまとまった録音の最初のもの。CDの最後には、グールド編曲の「ポーギー とベス」からの管弦楽組曲(30分弱)が収録されている。これには歌心もあり、時にアグレッシブ(雑?)だ。編曲というより、パッチワークといった感じも するが、ベネットの交響的絵画やガーシュイン自身の「なまず横丁組曲」などと比較してみるのも面白い(どの楽器が歌の旋律に当てられているか、注目してみ るのもよい。この編曲の弱点は、サックスが入っていないことだろうか)。ちょっと最後がイマ一つだが。RCAから出た歴史的録音に興味のある人には、楽し いアルバムだろう。
全体にリズムが重め。クラシックの演奏家がジャズ風の作品を、楽譜を見ながら実直に演奏したという感じである。(10から12、 99.9.13.アップロード)
(2000.3.26.追記)この演奏をエアチェックした当時は、それなりに気に入っていたのに、なぜか、今はあ まり面白く聴けなくなってしまった。ガーシュインの伝記で有名なジャブロンスキーもご推薦ということだそうなのだが。
バーンスタイン2回目の録音。冒頭のクラリネットの崩し方は、旧録よりも露骨になる。全体にテンポが引き伸ばされた印象で、細部に独特のクセがある ようだ。ロサンゼルス・フィルはニューヨーク・フィルに比べて、やや柔軟性やスピード感、軽さに欠けるかもしれないが、しっかりとしたリズム感は保たれて いる。[4]の版だが、中間部にカットがある。DGの録音のせいかもしれないが、ピアノは旧録よりも細めに響く。中間部のスローなソロの部分の「引きず り」はちょっと楽になった一方、オーケストラが叙情的に演奏する部分は、旧録ほど盛り上がらないし、ヴァイオリンのソロの強奏もない(バーンスタインが旧 録で行った変更)。総合的には旧録音の方がうまく統率がとれ、バーンスタインのピアノも冴えているといった印象を持った。
旧録音に比べると、オーケストラが若干野暮ったく聞こえる。オーケストラ全体のバランスの取り方、管楽器のアタックが、時々乱暴になるからかもしれ ない。ピアノ・ソロも、洒落っ気が薄くなっている。プレヴィンで買いは旧録ではないだろうか。エンディングのトゥッティの前は、旧盤同様ピアノの「どソ ロ」になっているが、これはおそらく自演盤の演奏にそったものなのかもしれない。旧盤同様、カットがある。使った版は [4] であろう。
爽やかな音楽作り。ピアノも鮮やか。[4] の版を使用しているが、中間に大胆なカットがあるとともに、オーケストレーションに、若干手が入っているようだ(エンディング部分など)。イギリスのオケ 特有のアーティキュレーションが感じ取られるが、品良くまとめられているので、あまり気にならない。「オーセンティック」という言葉にこだわらない限 り、優れた演奏だと思う。 |
1976年以来《ラプソディー・イン・ブルー》の真の姿、真の「ジャ
ズ・バンド版」を探し求めてきたペレス。演奏用の楽譜復元のために、5つ
もの版の楽譜を使ったという([1]
以外にもポール・ホワイトマン・アーカイヴ所蔵の資料なども使ったとある)。しかも単に楽譜を修復しただけでなく、ガーシュインが1924年6月10日に
録音した自
作自演のレコードにおける演奏スタイルにも着目し、そのスピリットも忘れないようにしたという。結果としては、おそらく現在入手できるなかではもっとも
「オーセンティック」な演
奏が出来たと思う。もちろん自作自演がもっともオリジナルといえばそうなのだが、当時の録音技術による音質の問題、おそらくSPレコードの録音時間の制約
からきた大胆なカットなどが気になる人もいるかもしれない。また、「オーセンティック」とはいっても、この演奏は、決して単なる「真似ごと」に終わってい
ないと思う。演奏全体がとても生き生きしており、自発的なアンサンブルの反応も素晴しい。この編成だと、バンジョーもはっきり聞こえる。名演だ。
このCDは全体のコンセプトも面白い。「《ラプソディー・イン・ブルー》の誕生」と名付けられたこのアルバムに収録された曲は、《ラプ ソディー・イ ン・ブル》が初演された日のポール・ホワイトマンのコンサートで演奏されたものすべて。これを聴くと「現代音楽の実験」と題されたこのコンサートで、本 当に「実験」の名にふさわしいのは《ラプソディー・イン・ブルー》だけではなかったか、と思われてしまうのだった(エルガーの《威風堂々ル》第1番まで 入っ ている!)。しかし、歴史的価値のある貴重な復刻だと思う。 個人的には、自作自演盤と、このCDに収められた<ラプソディー・イン・ブルー>が一番好きである。(99.5.29.、 03.12.28.改訂) |
Gershwin Rediscovered
II所収。ジッゾによるこの「再発見」のシリーズは、これまで慣習的に演奏されてきたガーシュインが、実は作曲者の意図とは大きく離れているのではない
か、という疑問から、ガーシュインの楽譜の問題に取り組み、より正確なガーシュイン像を作り上げようと試みたものである。
<ラプソディー・イン・ブルー>においても、ピアノやオーケストラの部分がカットされたとか、ピアノ・ソロの部分も48小節あまりが カットされたということがあったらしい(どの版でそれがなされたのか、正確な情報がないが)。また、ピアノ・ソロ版とオーケストラ共演版の出版譜は、発想 記号を加えられ(誰によって?)、ジャズ風であるべきなのがロマンチックになったのだという。その他にも、次の部分への橋渡し的な役割を果たしていたフ レーズが実は前の部分の終わりであるように勝手に変更されたことがあったらしい。 ということで、この演奏では、そういうカットを復元させたり、余分な発想記号を切り捨てたり、正しいフレージングにしたりしたようだ が、実際聞いたところ、驚くほど「ロマンティック」な側面は残されていると思った。それはジッゾのピアノの演奏法が依然クラシック的な演奏法から抜け出て いないこと、おそらく大オーケストラ版([4])を使っていること(それを変更したという感じに聞える)、オーケストラの演奏があまり洗練されていないこ とに由来すると思う。 せっかく現在出版されている楽譜に問題があるということが分かっているのだから、もっと突っ込んだ調査をして、演奏法についても考えて 欲しかった。(99.1.23.) |
ポール・ホワイトマンのオリジナル版と書かれている([1] のことだろう)。オーケストラ作品全集の2枚組の最初に収録されている。中間のピアノソロにあまり聴いたことのない不協和音の入った箇所がある。それ以外 にも、他のCDで聴いたことのないフレーズもいくつか(即興か?)。演奏はその割に平板な印象。もっとエキサイティングしてほしい。スィングしてほしい! ライナーは、ガーシュインの伝記で有名なエドワード・ジャブロンスキーによるものだが、例のもったいぶった書き方が気になる人もいるかもしれない。 (98.12.17.) |
渡辺純一さんによる情報です。
版の種類は判らないがビッグバンドの編成(谷口注:おそらく [1])。カットは無し。トーマスのピアノは「かっちりと崩してある」感じで、かなり大胆な変化を付けているが、計算され尽くしているようで、楽譜に書かれた即興のようだ。「クラシック=上品、ジャズ=下品」というのは極めてバカバカしい二分法だと思う。ただ洗練された部分と独特の野暮ったさをそれぞれのジャンルから取り入れようとしているという努力の跡が感じられる演奏であり、それぞれの良さ、それぞれの時代の空気の良い部分を取り入れて作り上げた一つの形がこれなのだろうか、と思わせる演奏。(カップリング)
John Adams: Lollapalooza
George Gershwin: Rhapsody in Blue
Leonard Bernstein: Prelude,Fugue and Riffs
Darius Milhoud: La Creation du monde
Igor Stravinsky: Ebony Concerto
Paul Hindemith: Ragtime
George Antheil: A Jazz Symphony
Dacid Raksin: The Bad and the Beautiful他の曲もジャズとしての演奏で、全体的にノリがよい。 アンタイルは(曲が)笑える。(98.9.20.)
最初にCDを見て驚いたのは、演奏時間が28分もあること。そんなにピアノソロが遅いのか? 聴いてみると、その理由が分かった。これはマークス・ ロバーツとリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラによる、<ラプソディ・イン・ブルー>の編曲プラス即興演奏なのだ。ところがやたらとオリジナルに こだわるような部分もあり、そこが即興部分の語法(ブルース+モダン寄り)と大きく食い違い、ちぐはぐな印象を与える。マークスの意図は「ガーシュインの オリジナルのスコアの本質を崩すことなく、このよく知られた作品を一新すること」だと言っているが、筆者はガーシュインのオリジナルの形を留めている演奏 とは思えなかった。(開始3分ほどしてから、私は「もう好きにしてくれ」と思った。事実その通り好きにやってくれたのだが!)。しかし同作品はつまるとこ ろジャズなのだから好きにしたらいいという人もいるかもしれないし、こういう崩し方が好きな人もいるかもしれない(私はゲテモノだと思うが)。できれば Sony Classicalではなく、Jazzレーベルとして出してくれると抵抗なく聴けたかもしれない。普通の<ラプソディ・イン・ブルー>に飽きた人向けであ り、「最初の一枚」には勧めない。カップリングは<I Got Rhythm変奏曲>(これもかなり自由な解釈)とジェームズ・P・ジョンソンの<Yamekraw>。ところで、マークス・ロバーツという人はジャズの 世界では有名なミュージシャンなのだろうか? 使用された版は不明。(98.6.26.、98.12.16.改訂)
(99.9.18.追記)
と書いたところで、私がこの演奏が全く嫌いなのか、と聞かれると、それほどでもない、というのが真相である。ジャズのCDということであれば、即興こそが
ジャズの生命の源なので、こういうやり方もあると言われれば、それまでだからだ。しかし、私の求めているジャズが1920年代のものだとすると、はずれて
しまう、ということなのである。
グローフェによる「ポール・ホワイトマン版」だとライナーにリットン自身が書いている(おそらく [1] )。特にオーケストレーションの特殊さと、楽器の組合わせによる独特の響きのために、この版を演奏するのがずっといい、と言っているが、それを使うだけの 成果があったのだろうか。というのも、ノリの悪い打楽器や趣味の悪い音色、やや唐突なテンポ・ルバート、ポーズなど、正直いって都会的洗練が足りないとい う感じが拭い切れないからだ(ダラスは大都市なんだろうけれど)。ティンパニーが突然抜け落ちているような箇所があったのだが、あれは楽譜通り??? カップリングの<パリのアメリカ人>や<キューバ序曲>は、それほど気にならなかったが、<ラプソディ・イン・ブルー>がそれだけジャズ的ということなの か?(98.6.11.、同日改訂)
グローフェによるジャズ版([1]) 。スピード感あるブラスが前面に出て、弦楽器がやや控えめに聞こえるのは、オリジナル編成で演奏されているからだけではないだろう。クラリネットとサキソ フォンに若干スウィング感があるが、あとは折り目正しく実直に全体をまとめている(やや軍楽隊っぽくなっているのはそのせいか)。ピアニストも、攻撃的で さえあるバンドと張り合おうとしているが、特別ジャズ的という訳ではない。(98.5.12.、98.5.15.訂正) |
鮮やかなピアニズムと切れ味のよいオーケストラが聴きものの秀演(オーケストラ版 [4] で、カットなし)。ジャズ色が薄くなっていることは否めないが(響きもやや硬め)、シンフォニックで優雅、大胆かつ繊細な名ポップスオーケストラの特性は 活かされている。クラシカルな解釈である。(以上98.5.12.)
オーケストラ版([4])で、中間に大きなカットがある(カットを行ったのは、オスカー・レヴァントのが最初であろうが、この盤では、さらに長 い)。また、オーケストレーションが変更された箇所もあるようだ。
おそらく同曲の怪演(名演という人も…)の一つ。極端にテンポの遅いピアノソロ、後に引きずるようなリズムは、悦に入っているバーンスタインが好き な人にはたまらないだろうが、おそらくホワイトマン楽団が演奏したと思われる20年代のジャズのスタイルからは、かなり遠いだろう(「ブルージー」と言う にも、やや行き過ぎの感も。音楽学者デヴィッド・シフはバーンスタインのミュージカル、<オン・ザ・タウン>の中の一曲、『Big Stuff』に見られるような「酔っ払いブルース」だとさえ言っている)。
自発的なオーケストラの反応や、時より感じられるダイナミックな音楽の推進力など、メリハリが効いているという長所はある。しかし、この演奏は、マ ニエリスムが見え隠れするバーンスタイン版ガーシュインの秀演として受け取るべきだと思う。