ジョン・ケージの音楽

ピア ノ作品集『ある風景のなかに』
スティー ブン・ドゥルリ(ピアノ、ほか)
Catalyst (BMG) 09026-61980-2
ケージというと、舞台の上で一定時間何も演奏しないという作品《4分33秒》や 「偶然性の音楽」という言葉ばかりが、後の影響力からか、注目されている。しかし彼は1951年に「偶然性」を始める前、伝統的で耳障りのよい作品も書い ていた。彼がエリック・サティをアメリカに紹介した最初の人物ということを思いだすのもいいだろう。このCDに収められた作品は年代的にとても幅広く、多 彩な作品に接することができるし(伝統的なピアノ、ピアノ弦にモノをはさんだプリペアド・ピアノ (注1)、おもちゃのピアノなど)、録音が良く、ケージ入門用として勧められるだろう。アルバム・タイトルにもなった《ある風景のなかに》という作品など は普通のピアノのために書かれているが、その作曲年代を考えると、結構時代を先取りしている音がすると言えないだろうか。 

ただ誤解のないように付け加えると、彼の偶然性の作品の中にも、音の示唆に富むものが多く、ケージはあくまでも作曲家であったというこ とを忘れるべきではないだろう。ぜひ彼の幅広い作品群に耳を傾けてほしい。(1998、2001.4.3.改訂)

(注1)プリペアド・ピアノとは、演奏前に、ピアノの弦の間にねじやボルトを挟む準備 (prepare) をして、今までには得られなかった新しい音を因習的な西洋の楽器から導き出したケージのアイディア楽器である。当サイトに関連記事もあるので、参照していただきたい。
 

 
David Tudor, Rainforest II + Cage, Mureau (同時演奏)
ジョン・ケージ、デヴィッド・テュードア
New World 80540-2
ただ無心に耳を傾けることによって、その凄さが聞こえてくる音楽、それがこれなのだろうか、と考えていた。テープを使っている。即興 の部分が大きい。コンサートとは文脈が違う。いろいろこの作品の性質について知ることは可能だ。しかし、そんなことよりも、とにかく心を落ち着けて聴いて みることが大切なように思える。もちろん、どんな音素材がどういう風に発展していくのか、考えることも不可能ではないけれど、どちらかというと、そういっ た行為は徒労に終わるというか、あまり本質的ではないようにも思える。それにしても、よく継続的に音楽が続くものだと感心するばかり。

CDの解説は、おそらくクラシックのトレーニングを受けた人向き、あるいは現代音楽の「洗礼」を受けてない人たちのために書かれたのか もしれない。しかし、このCDにあるような音楽が好きな人は、解説が全くなくとも作品を充分楽しめるだろうし、嫌いな人はどんなに解説を深読みしても、作 品は耳に入ってこないと思う。そして、耳に入る・入らないというのは、この作品に対するアプローチにとって、決定的なのではないかと思う。集中することに よって、時間の流れを忘れることによって、得られるモノが大きい。これは、BGMとは対極をなす音楽なのかもしれない。(01.5.7.)

 
変化 の音楽
デヴィッド・テュードア(ピアノ)
スイスHut Hat
ケージが偶然性の音楽というのを使い出して、比較的最初の頃に書かれた作品。「偶然性の音楽」というのは、作曲家が音を自分で選んで 決める従来の作曲法を意図的に排除しようとした考え方(本当は完全なる自由はないと思うが、ここではそういった問題には立ち入らないでおこう)。それは、 人間の意志が決定できないような要素を意識的に取り込むやり方ともいえるだろうか。特にこの作品では中国の「易」を使ったとされているが、それによって ケージは、自分自身が決定していない音を、音符にしている。

音符そのものは一方で従来からのものを使っており、ピアニストはそれに忠実に従って演奏する。だから演奏については、従来の音符から演 奏する方法と同じだ。

というのが作曲技法上・演奏の問題。そういうことを知らなくても、この音楽は充分楽しめる。テュードアのピアノは常に濃厚であり、その 緊迫感にはしばし圧倒される。聴いた感覚では、ケージの使った偶然性云々というよりも、研ぎ澄まされた技巧的なパッセージと吸い込まれそうな静寂とが凝縮 された時間をつなげていくピアノ音楽の傑作の一つといったところか。かつては第3部・第4部のみをいれた、同演奏者による別音源が米New Worldから発売されていた。(02.1.18.)


打楽 器作品集(全集第1巻:1935年〜1941年)
アマディンダ・パーカッション・グループ
ハンガリーHungaroton Classic HCD 31844
四 重奏曲(1935)(Z. Vacziによる編曲)、三重奏曲(1936)、空想の風景第1番(1939)、第1コンストラクション(イン・メタル)(1939)、第2コンストラク ション(1940)、リヴィングルーム・ミュージック(1940)、ダブル・ミュージック(ルー・ハリソンとの共作)(1941年)

ケージの打楽器作品のみを概観するというのは、一見変わった試みのようでいて、実はかなり実のある試みかもしれない。彼の出発点が打楽器のための作品群で あるからだ。第1集はその中でも、特に初期の作品がまとめて聴ける。

第1曲目の四重奏曲は、4つの楽章からなる22分余りの作品。ヴァッチのよる編曲というのはどのくらいまで行われているのか分からない が、 "Instrumentation" とあるのだから、おそらく楽器の選び方に関係しているのかもしれない。しかしケージらしいと思うのは、やはりそういった楽器の使い方、音色だろう。チャベ スの《トッカータ》とかヴァレーズの《イオニザシオン》は打楽器音楽の古典のように考えられるかもしれないが、やはりリズム的な側面、そしてタイトな構成 が感じられる。一方この四重奏曲は、打楽器の微妙な音色の変化が緩やかな時間感覚の中で提示され、いかにも後の、音がぽつりぽつり出てきそうなケージを感 じさせる。リズム感のしっかりした第2楽章でも、パルス感に独特の波があるように聞こえる。実際はしっかりとしたビートで貫かれているのかもしれないが、 やはり全体の鳴り方に耳が行ってしまうのだろう。自然に第3楽章にも入っていける。第4楽章は、おそらく同作品では一番タイトなビートのある部分で、曲を まとめあげる手法としては古典的な感じさえあるのだが、それでも、何か面白いものが飛び出してくるような音色への興味は尽きない。

続く三重奏曲には、ジャケット裏の写真に使われている日本太鼓らしき音が入っている。1分前後の楽章が3つ。数種類のリズム型がくり返 し使われ交錯するような作品に聴こえた。

《架空の風景》は第6番までがあるシリーズの第1弾。上下にずれていく電子音は、これまでの打楽器作品におけるパルス感をいきなり崩し てし まうようなところがある。それに打楽器は音色やリズム型を思い出したかのように付け加えていく。要素としては(1)電子音、(2)ゴワーンというドラ系の 音、(3)プリペアド・ピアノの音といった感じで、後二者が線的な時間の流れに、楔(くさび)を不規則に打ち込むように進んでいく。ところが中間部には 「線」と「楔」の役割が途中で入れ代わったりするところもあり、これが面白い。曲の盛り上がり・盛り下がりの作られ方に注目して聴くのもよいだろう。エン ディングの終始感(のなさ?)といい、ケージ作品のその後を象徴しているような作品ではないだろうか。

《第1コンストラクション》も、パルスとどんよりとした時間の流れの合間を打楽器アンサンブル縫っていくような所があり、一見ハチャメ チャなダイナミクスの出し方も、音色の使い方も、それなりに意味深に聴こえる不思議さがある。そして次の楽器・音色・音型として何が出てくるのか分からな いおもちゃ箱のような楽しさを醸し出す「構成」は四重奏曲よりも上等になったような気がする。《第2コンストラクション》は、意外性からやや遠のいたもの の、ガムラン音楽を思わせる金属打楽器、歪みの心地よく効いたプリペアド・ピアノなど、独特の雰囲気が聴かせる。興奮度の高さでは第2の方に軍配が上がる のかもしれない。

《リビングルームの音楽》は、おそらく音素材のユニークさゆえに注目されがちなのかもしれないが、これまで通して聴いてきた作品のため に、耳が慣れてしまっているところがある。むしろテキストを含めた声が生み出す子音と母音のリズミックな絡み合いに関心が向く。チャールズ・アマーキアン のテクストの音を楽しむ作品を思い出した。その他にも手拍子やリードオルガンなど、音の小さいものが選ばれているのも新鮮に聴こえた。

ルー・ハリソンとの共作になる《ダブル・ミュージック》になると、なぜだろう、ずっと普通に落ち着いた打楽器作品という印象。両者とも ガ ムランには影響されていたと思うが、かっちりとしたリズムを全体に使うという点ではハリソン的だが、直線的で後戻りしないような展開はケージ的である。

何と盛りだくさんで楽しく、充実したCDだろう。これはぜひ多くの人に試していただきたいケージCDの一つだ。(02.8.30.)

Fifty-Eight (1992) ヴィム・ファン・ズットフェン指揮パノニス管楽オーケストラ Hat Art CD 6135.

ランダムに漂う管楽器の音。ある程度音価に制限は加えられているものの、かなり自由に演奏できるとのこと。ライブ録音だが、生真面目に演奏している 印象をもった。むしろ会場にいる子供の声や、雑音の方が、私には楽しめた。もっと遊び心が欲しいところだ。(2000.5.11)


フォンタナ・ミックス&声楽のための《ソロ》2. Hat Art 6125

《フォンタナ・ミックス》は、いわゆる偶然性の音楽を実践してからの作品であり、図形や模様の書かれた透明なシートを重ね合わせて楽譜を作り上げる ことになっている。音の素材は規定されていたと思うが、それをどう演奏するかは、かなり自由に行えるのではないだろうか。

《フォンタナ・ミックス》といえば、筆者はTurnabout LP所収のテープ音楽作品を思い浮かべるのだが、どうやらこれは器楽版の演奏ということらしい。しかも、Solo for Voice 2との同時演奏。全体に音のない時間もかなり長く、聴くだけというのも、ちょっとつらいところがある。でも、演奏自体はそれほど悪くない。声の部分はリゲ ティーの「アヴァンチュール」を思わせる、ヴォーカブルを多用している。(2000.4.21.)


フォンタナ・ミックス 米Turnabout TV 34046S (ステレオ盤)/TV 4046 (モノラル盤)、日本ビクター (フィリップス) SFL-7923 (いずれもLP)
 
ミラノ電子音楽スタジオで制作した、ケージ電子音楽の代表作の一つ。楽譜は透明シートを使った図形によるもの。その楽譜がどのように 音になったのか、この音源を聴いただけではほとんど分からない(いや、もっとも彼の図形楽譜が、ほとんどインスピレーションのためのものなのかもしれない が)。ワイヤー(鉄線)を引っかく音、ピアノの中にマイクを入れてそれでピアノの弦を引っかく音、ガラスにマイクをこすりつける音など、9つの音源が使わ れているという。ゴーという低音、キュルキュルキュルという高音、とにかく豪快な音が最初から最後まで続く。そこには因習的な形式感は全く認められない。 しかし、何とも魅力的な音の洪水である。同時収録はイルハン・ミマロールーの《苦悩》(今日的に聴くと、昔のゲーム機といった趣きもある。いや、作品のシ リアス性を疑うものではないのだが)とベリオの《ヴィサージュ》である。筆者所有の国内盤LPの解説は上浪渡氏による(A・B面が逆になったのは、当時の 作曲家たちの知名度を配慮していたのだろうか?)。

筆者個人としては、ケージと出会った最初の作品(大学の音楽史の講議だった)。ぜひCDにして欲しい(01.11.10.)



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