音楽雑記帳(22)



プリペアド・ピアノの一日
1998年10月16日



ジョン・ケージの<ソナタとインターリュード>を27年も弾いて来られたという、レーク・フォレスト大学(ノース・キャロライナ州)教授、ルイス・ゴールドスタインさんが、昨日10月15日フロリダ州立大学を訪れました。そして、ドホナーニ・リサイタル・ホールで、このプリペアド・ピアノ(ピアノの弦の間にネジやゴムを挟み、通常のピアノでは得られない独特の音色効果を施したピアノのこと)の代表的作品の全曲を披露されました。

午後8時からの演奏会に先立って、当日の午後ピアノのプリパレーション(準備)が行われました。小さな工具箱の中には、たくさんのネジやゴム線、消しゴムなどが収められており、ネジの長さも様々です。もちろんピアノの弦に挟むものですから、ある程度の大きさはありました。一番大きいので8センチもの長さがありましたが、それよりはちょっと小さめなものが大半でした。<ソナタとインターリュード>の場合、ネジを挟むのは中音域と高音域だけ。低音は2、3音に丸めたゴムを挟むだけのものでした。

ピアノの弦は1つの音につき3本あるのですが、挟むのは真ん中の弦と右側の弦の間です。というのも、今回つかったスタインウェイの小さなグランドでは、弱音ペダルを踏むと鍵盤が右にずれ、物を挟んである弦の方にのみにフェルトが当たるようになるので、音響効果が高いということなのです。

ピアノのプリパレーションには4時間を費やしました(初めて曲を演奏したときは、ピアノの弦に挟むものを探したこともあって、これが2週間もかかったそうです)。ゴールドスタインさんは、工具箱からネジをだして、ひとつひとつ挟んでいきます。この作品の場合作曲者のケージは、ネジやゴムを弦のどの位置に挟むのか、かなり細かく指定したのですが、ピアノの大きさも実際は様々ですし、指定した箇所が、必ずしも一番音のいい場所とは限りません。そこで、演奏家たちは、実際に音を耳で聞き、思考錯誤しながら、最終的な場所を決定していくようです。ネジは大きければ大きいほど音が低くなり、手前に寄せればフェルトとの距離が縮まりますから、音は高くなります。隣り合った音の場合、鍵盤上では高い音がでるのに、ネジの挟む位置のために、実際に鳴る音程が逆になる場合もあるようです。

全体としては、ガムラン音楽を思わせるゴングのような響きになるのですが、非常に音が小さい点が、ガムランとは違っています(ケージは当作品作曲前にヨーロッパには旅しましたが、東アジアには行っていなかったようです。ただ、彼が学んだヘンリー・カウエルが知っていた程度の民族音楽の知識はあったでしょう。もしかしたらカウエルがガムランの録音を持っていた可能性もあります)。また、ジージーという独特な音もでます。ケージの指示では、ネジとナットの組み合わせでこの音を出すことになっているのですが、ゴールドスタインさんは、残響が長すぎるということで、2本のネジを互いに触れる程度に、3本の弦の間の両方に挟みます。

全体的な音響に、必ずしも一定の規範がある訳ではありません。決定的に見本とされる音響は、まだ確立されていまいようです(もちろんケージはマロ・アジェミアンの録音を推薦していたことは知られていますが)。今日までプリパレーションの方法については様々に議論されているそうですが、ゴールドスタインさんの場合は、これまでの試行錯誤の結果からの記憶を頼りにしたり、様々な録音を聞いて学んだりしているそうです。それに加えて、実際にプリパレーションしてみる段階で、即興的に音を変えてみるということも行うそうです。

プリパレーションしている途中で、普通のピアノ(!)を調律するピアノ調律士がやってきました。ゴールドスタインさんは、弱音ペダルを踏むときにギシギシ音が言うのを直して欲しいとか、弱音ペダルを踏んだときに、鍵盤が充分右に動かないので、弱音の効果がでない、といった注文をつけていました。とにかく音色が重要なポイントとなる作品なので、この辺りには神経を使っているようです。調律士はきちんと問題を解決してくれましたが、ピアノを眺めて、「もうあなたって〜」といいながら、半ばあきれ顔でした。

一音一音のプリパレーションがすんだあと、作品の気になるフレーズを試し弾きします。ここで、いつも弾きなれているフレーズが自分の思うようにきちんと響くか、音色や余韻の具合を確かめます。場合によってはネジやゴムの位置を変えたり、違うネジに交換してみるという作業もします。実際に弾いてみると、メロディーが上にいくフレーズと下にいくフレーズで、同じ音でも文脈によって微妙にちがって聞こえる場合があるようです。その辺り、ある程度の妥協も必要なのかもしれません。

実際に弦に挟むネジやゴムの材質や大きさにも、いろいろ苦心されているようで。現在住んでいらっしゃるレーク・フォレストにある工具屋さんでも、在庫の良いところを選んで行っておられるようです。そこでいろいろなネジを眺めるそうで、ネジの太さが微妙に違うのをしげしげと眺めるのだそうですが、お店の人からみれば、ネジの長さには関心があっても、一本一本の微妙な太さの大きさなど気にもとめるはずがなく、ゴールドスタインさんの行動が奇妙に思われこともあるようです。でも、そもそもネジの使い道が違う訳ですから、仕方がないですよね。

夜のコンサートでは、1940年代ケージが打楽器とダンス・カンパニーの作曲家として知られていたこと、プリペアド・ピアノ発明に至る経緯などについて、簡単な解説がありました。その中で面白かったのが、ケージはプリペアド・ピアノのことを「ミュート(弱音器)付きのピアノ」とも呼んでいたとのこと。管楽器をやったことのある人ならば、ミュートは何かご存じですよね。ミュートは楽器の中に詰められる外的な物体であり、音色を変え、同時に音を和らげる。プリペアド・ピアノもこれと共通したところがありまして、外的な物体を弦に挟む、そして音色を変え、同時に和らげる。ですから、ピアノといっても、かなり音は小さくなり、広い会場でやるのには向かないのかもしれません。

ところで、プリペアド・ピアノを聴く、一番よい場所って知ってますか? ゴールドスタインさんによれば、それはピアノの真下だそうです! 今回のコンサートでは、2人の学生がピアノの真下で、床に寝そべって、<ソナタとインターリュード>65分あまりの全曲を聴きました。

音色に細かな神経の行き届いたゴールドスタインさんの演奏は、生で聴く楽しさという点では申し分なかったのですが、演奏自体は、やや腰が弱かったような気がしました。おそるおそる弾いているような、そんな感じです。演奏のあと、質疑応答がありまして、細かなタッチは音色に影響するのか、という質問があったのですが、それはあまりないのだというのがゴールドスタインさんの回答でした。それだったら、もっと大胆にメリハリの効いた音楽にすべきだったんじゃないかな、と思いました。またアジェミアンのような、旋律線がくっきり浮かび上がってくるような演奏ではなく、全体にぼんやりとした音響の連続になっていたのが惜しまれます。

それにしても、その音があまりにも小さいため、聴く方も緊張しました。すわっている椅子がすぐミシミシ音を立ててしまうので、おいそれと体を動かすこともできませんでした。アラーム時計を解除しなかった不届き者が約一名いたのも、ちょっと残念でした。しかし聴衆が最後の一音も聴き漏らしまいと集中し、静寂の後に音が消えていった後も長い沈黙が続いていたのは、感慨深いものがありました。自然に音が回りと同化していくような、そんなひとときでした。

CDで聴いても素晴しいジョン・ケージの<ソナタとインターリュード>ですが、微妙な音色の変化、余韻の残り方、ペダルの使い方などは、やはり生演奏ならではの味わいがありました。この次は、いつこの作品を聴くのか分かりませんが、今日一日で、にわかにプリペアド・ピアノへの関心が高まったことは間違いありません。



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