音の日記8
花火の音(1999.2.8.)
 

私のこの駄文シリーズ「音の日記」なのですが、あの由緒あるサウンドスケープ(音風景)活動グループ「サウンドスケープフォーラム」の方がその第6回目を読んでくださり、何と機関誌に掲載までしていただくことになってしまいました。いや〜何とも身に余る光栄であります。

その機関誌「みみにたこやき通信」を先日頂いたのですが、その号の第1面の特集は花火の音風景でした。それを読んでいたところ「な〜るほど〜、面白い。そういえばそういうネタがあったか、」とひらめくものがありました。そこで、恩を仇で返すが如く、今回はネタ泥棒させていただき、花火と音について書きたいと思います。どうもすみませ〜ん。

私の故郷富山にも、お盆に、ささやかながら花火大会があります。それは南から北へ流れる神通川の河川敷で行われています。

ところが、私、生まれてこのかた、一度も河川敷で花火を見たことがありません。いつも実家(神通川からは車で20分くらい)の前の路地にたって、いろいろな建物の合間を縫うようにして見える花火の断片をいつも見ながら感動しているんです。

理由は両親が人ごみや車の渋滞などを嫌っているからなのですが、かくいう私も、いつも遠くから花火をみることに慣れていたため、そんなものだろう、くらいに考えていたんです。

で、実家の近くで見る花火の音風景が、なんとも独特です。といいますのも、光の速度と音の速度が違うため、遠くで見ると、花火の花の広がりと「ドン」という音との関係が実際よりもずっとずれた形になるからなんです。よくテレビで花火の様子が映し出されるをみると、近くから撮っているためか、「ドン」という音と同時に花がパッと開き、火の粉がパラパラパラという音をたてます。 これが、実家のように遠いところだと、なんともいえないタイミングになるんですね。まずは花火の花がパッと広がる。近所の子供たちもそれをみて「きれぇ〜」とか叫びます。で、しばらくたって充分花火が広がったところで「ドーン」と音がなります。花火にも「ため」がある、花火が広がっていても音をださないように我慢しているって感じなんです。だから実際に破裂音がすると、なぜかそのエネルギーの爆発の感じがとても満足できてしまうんです(う〜ん、私って変な人〜)。

ところで、花火を近くで見ている人は、破裂音とともに、「たまやー」と叫ぶのでしょうか。ちなみに私の実家の周辺では叫ぶ人はいません。やっぱりタイミングがはずされているからでしょうかね?

私は、多分近くで見ても「たまやー」は言わないだろうな、と思います。な〜んか照れ臭くって。歌舞伎でも、かけ声ってありますけど、どうもああいうのは苦手です。

でも、近くで見ている人は、とうぜんいっぱい人が集まっていますから、きっとザワザワとした興奮と話し声で臨場感があるのでしょうね。まだかまだか、と花火をまつ緊張感・期待感もあるでしょう。

一方私の実家周辺は、「ドン」という音を聞いてからのそのそと外に出てきます。御近所さんと、一緒に楽しむって感覚です。近くの車道には車がたくさん行き来していますが、そんなのちっとも気にしません。それも、音風景のうちに入っているのでしょう。

緊張感はありません。着物を来ているひとも、うちわをあおぐ人もあまりいません。

アメリカでは、ボストンやアトランタで、独立記念日を祝して花火をしたことがありました。この時です、私が近くで花火をみたのは。アメリカ人の典型的反応は、「ウー」とか「アー」とかいうそうです。確かにそういう声もありました。まず見たのはボストンはチャールズ側沿いです。一日前からテントを張って備えている人もいるくらい、込み合っています。なぜかラジオではヘンデルの<王宮の花火の音楽>が放送されていました。アメリカなのにどうして〜。

アトランタは、リノックス・スクエアという、ショッピングセンターの近くです。これはかなり至近距離で見ましたので、花火の一部がすぐ目の前まで落ちてくるほど。これだと花が開く瞬間と音がみごとにマッチしますね。うれしい。

あと、私の好きな花火の音というと、一度にたくさんの花火が打ち上げられるパターンの時のものです。「バドドバドドンドン。ドバ、バドバドン、バババドドババン」っていう不規則なリズム。偶然の産物なのですが(いや、花火師さんの精密な計算か?)、とても素敵です。普通の花火の「ドン」と「ドン」の間にはかなり間がありますが、こういうのは全く間がない。しかも低音だけでなく、小刻みに中低音も割り込んでくる。やっぱり見せ場は本当は聞かせどころでもあるのかな。

う〜んやっぱり花火っていいですよね。あんなに単純な音なのに、なんだかワクワクしちゃいます。効果音のレコードとかで花火を聞いても、なんだか情景が浮かびますもの。



記事一覧に戻る
メインのページに戻る