最近見たもの、聴いたもの(62)


2003年10月13日アップロード


03.9.26.


私が所有する小泉文夫本
整形外科の帰りに、富山県では一番大きいといわれる書店に足を運ぶ。音楽のセク ションを見る と、小泉文夫の本がたくさん置いてある。彼は民族音楽の研究・啓蒙はもちろんのこと、西洋芸術音楽至上主義に疑問を呈していた人でもあり、私が尊敬する学 者の一人でもある。

残念ながら私は小泉さんに直接お会いしたこともないし、彼がNHKで「世界の民族音楽」 を放送していた時、中学の私はまだ民族音楽に目覚めていなかった。民族音楽に接したのは高校の頃、地元のフクロヤで買った仏オコラ・レーベルのLPが最初であったが(←長岡鉄 男の影響)、ラジオたんぱから発売されたカセットを新潟大学の図書館で聴いて、衝撃が走った。何と言っても話すのが上手く、学習する概念がきちんと整理さ れている上に、音楽の例示の仕方も適切だった。

彼の講義は人気があったと聞くが、それは全く不思議ではない。こんなに面白い講義なら、 もっと聞いてみたかった。学部時代、音楽学の先生の研究室にはプリンス・レコードから出た別の民族音楽解説のレコードもあり、そちらも借りてテープに落と して聞いた(女性アナウンスがカットされたものが、その後キングの民族音楽の全集の特典CDになっていた)。当時大学では非西洋音楽(いやな言葉だ)の講 義は日本音楽史しかなく、小泉さんのレコードやテープに受けた恩恵は計り知れない。

彼の音階論には異論があるのかもしれないし(三音からできているのだから「トライコー ド」?)、そもそも五音音階は汎民族的に見られることも問題なのかもしれないけれど、彼が非西洋音楽やポピュラー音楽を学問対象の価値があるものとして提 唱した意義はやはり過小評価できない(なんでも芸大に歌謡曲のクラスを設けようとさえしていたのだとか)。

そんな中、青土社から出版されていた彼の著作が、学研から小泉文夫選集とし て再び世に出ているのはうれしい。私も小泉さんの著作は、一時期集めていた時があって、思い入れも深いのである(写真。ここにある他は『日本の音』や『日 本伝統音楽の研究』(2冊)などを持っている。わらべうたの専門書などは持っていない)。しかし、このように小泉文夫さんの業績が再び見直されているよの は嬉しい(『小泉文夫の礎』という大部のCDセットもあるようだ--こういうセットはぜひ分売して広く世に広めてもらいたいものだ)。小泉さんに刺激され て、これからますます多様な音楽に関心を持つ人が増えてほしいと思う。富山市立図書館からは、岡田真紀著『世界を聴いた 男:小泉文夫と民族音楽』も借りてきた。


03.10.6.

9月27日、初めてオー バード・ホールに入ってみた。富山の文化拠点富山駅の北側にできたもので、奥深い舞台が特徴と聞いている。

一言で言うと、これは富山市立歌劇場といった趣さえある器だ。客席の奥行が舞台の深さとは対照的で、 オペラを楽しむには、案外これくらいが適当なのではないかと思う。ただ天井が高いので、1階では舞台上の音が全部頭上を通り過ぎてしまうのではないかとい う心配はあった。私は2階前列の中央だったので、満足した。

実は友人知人から、このホールについてあまりよい評判を聞いていなかったので、それほど期待していな かったのだが、実は用途によっては、かなり優れたホールなのではないかとさえ思った。オルガン付きのコンサート専用ホールはあちこちにあるのだし(富山 は?)、もしここを拠点として、本当に舞台芸術が花開くのであれば、可能性はあるだろう。もっとも、このソフト開発が一番の難題であることは、興行主も感 じているかもしれない。

一方、このホール本体の周りの通路のあちこちには舞台の模型が展示してあり、興味をそそられた。すべ てが富山でなされたプロダクションではないようだが、日本のオペラの上演のために作られたものも多く、富山でも観てみたいものがある。過去のポスターのさ り気ない展示も面白い。私が日本を離れた間に起こっていた諸活動がいきいきと感じられ、悔しささえあった。

クロークや飲食コーナーなど、これまであって不思議でなかった空間ができたのも、やはり時代の変化だ ろう。公会堂の廊下はそれなりに広かったし、ガラスばりであったため外との一体感があった。オーバードの場合は、しっかりと閉じた空間で、日常との境が明 確になっているようだ。白を基調としたホール入り口とは区切りが付けられている。

演奏開始前のベルは録音による教会の鐘らしき音だ。個人的にはこの鐘の鳴り方が寂しく、もうちょっと 工夫できないものかと思う。一方その後の事細かなアナウンスは東京流であり、個人的には懐かしくも感じられた。

インフォメーションのコーナーは設けてあったが、チケットカウンターが離れている上、表示が分かりづ らいのも気になった。またそもそもインフォメーションというのがどういう役割を持っているのか、分からなかったということもある。

そのチケットカウンターはオーバードホールの入り口(ワシントンのケネディ・センターみたいだ)をさ らに下って1階の地味な場所にある。常連客ならば分かるのだろうが、初めて行った私には、ちょっと分かりづらかった(照明もやや暗め?--まあ、アトラン タのボックスもそうだったかな)。駅の北口から歩いて入るのならばあるいは分かりやすかったのかもしれないが、演奏会が終わった後、北口の駐車場へ歩いて いってしまう客は、ほとんどその存在さえ感じられないように思う。それに、タラハシーでさえ座席はコンピュータで処理しているので、紙の座席表を使うの は、やや時代遅れという感も免れまい。アメリカではネットで座席予約さえできるのだし。クレジットカードがJCBのみというのも、なんとかならないだろう か。チケットは高価なものなのだし。

2階のインフォメーション・センターで、臨時にチケットも販売できないものなのか?(あるいは何かポ リシーを持っているんだろうか?)

「ライブラリー」については、実は期待していたものとは違っていた。富山の音楽の歴史を知るための資 料室を期待していたのだが、そうではなくて、音楽や舞台芸術をこれから勉強したいという人の「啓蒙施設」ということなのかもしれない。ただ、置いてある本 がちょっと専門的であり(そういう点では市立図書館より刺激的であって良いとは思うが)、気楽に入っては見たが、何をするのかというのが分かりにくいかも しれない。また奥にあるビデオにはビクターの『世界民族音楽大系』や『日本古典芸能大系』など、市立の専門施設には置いておくべき映像資料もあるが、その 他のものが寂しい(なぜ富山の伝統芸能や民謡やチンドンの映像資料がないのだろう? アマチュア合唱団は? 吹奏楽は? 市民オーケストラは? 桐朋オケ は? 利賀村は?)。また収納スペースに限りがあり、本格的にしようとすると、限界が見えてきそうではある。富山の事情を無視して、あえて私の本音を言え ば、ここには音楽・舞台関係の専門書店(楽譜も含めて)を置くのが理想的だと思う。それが不可能であれば、せめて公演中の演目に関する商品や、オーバード ホールのグッズなど(ないのかな? そういうものは)。

全体としては、ホールを作った側の熱意が伝わってきたので、感心もしたのであるが、感動した公演から 次へつなげて行く仕掛けが欲しいと思った。

(03.10.13.追記)駐車場の事前精算機には長い列ができるようだ。この時間を持て余した人が 何か眺められるポスターや絵画があるといいようにも思う。外の景色に興味が持てれば、それに越したことはないのだが。チラシはあるけれど、列を離れて取っ てくるのが気にかかるし、どこにどんなチラシがあるのか近付かなければ分からないレイアウトは、ちょっと問題だと思う。


03.10.10.

私が所有する北朝鮮の10インチ盤

村山一雄さんのご紹介により、富山県福光市で月一回催されている「アナログを語る会」に 参加。フランス料理店ラモヴェールの別棟である小さな「多目的ホール」(丸いテーブルが横に5つくらい置けそうなところ)にSPやLPを持ち込み、みんなで鑑賞したり、話しの 種にしたり、BGMにしたりする憩いの場である。毎回特にテーマも設定せず、持ち寄った音源を自由な順序で再生する。会費はケーキ、アイスクリーム、コー ヒー、ハーブティーが出されて1000円なので良心的。

せっかくなので、私も3種類ほど音源を持ち込む。まずはアメリカで購入した 『Serenade in Blue』というラジオ番組のレコード。いわゆるジャケットもなく、SPレコード風の茶色い袋に雑然と入れられているレコードで、30分の番組がLP1面 に納めらている(→ラベルの例)。どうやら空軍が制作し「スペー ス・エイジ」に放送されたもののようで、米軍が軍人募集の宣伝をするメッセージも含まれている。私がかけてもらった回の番組は、どうやらムード音楽が続く 内容で。そのうちの一つは1930年代の歌をアレンジしたもののようだった。アレンジも歌もすべて軍おかかえのミュージシャンたちのようだった。

2枚目は私の所有するレコードの中でも謎な一枚。北朝鮮の10インチレコードである(左 の写真参照)。お茶の水にあった某中古レコード店の新年福袋の中に入っていた1枚で、アルファベットでピョンヤンと書いてあるので出自は分かるものの、そ の内容についてはハングルがまるで読めないので、分からないのである(ラベル→A面B面)。聴いてみ たところ、どの曲も同じように元気な行進曲を吹奏楽が奏しているもののようだ。形式も比較的単純なので、2曲ぐらい聴いたらさすがに飽きてしまうような内 容だった。

(04.1.10. 追記)ハングル文字のタイトルについては、回答をいただいた→こちらを参照。

3枚目はモートン・グールドのアルバム『Curtain Time』から《So in Love》。『日曜洋画劇場』のエンディング・テーマで有名なので、どのくらい反応があるのかと思えば、さっぱり。富山にはまだ朝日系のテレビ局がない、 つまり淀川さんの時代の番組を見た人は皆無なので、まったくウケないのは当たり前なのである。しばらく聴いてなかったら、ちょっと盤の質が悪くなっていた ようだ。気をつけよう。

そのほか今夜この会で聴いたのは、ジャズ、タンゴ(《ラ・クンパルシータ》のLP・SP 聴き比べほか)、アルフレッド・ハウゼ楽団による日本の秋の歌のアレンジ、日本コロムビア70周年(だったかな?)に発売された流行歌の歴史をナレーター で振り返る企画LP5枚組など。この最後のLPボックスの1枚目のLPは日本コロムビアの川崎工場の絵が配されたピクチャーレコードだった。

この「アナログを語る会」のメンバーのお一人は富山ジャズクラブにも所属されているそう で、丁寧に名刺をいただいてしまった。ジャズは全くの素人だが、一度このジャズクラブというのも覗いてみたいものだ。


03.10.12.

今日もオーバードホールに 出かける。先日のオペラでは、このホールの良さを体感できたのだが、オーケストラの演奏会では残響のなさが致命的な欠陥に思えてきた。そもそも電気的増幅 のない生楽器の音だけによる音楽では、コンサートホールの反響が楽器の一部となるような存在である。これではちょっとオーケストラはかわいそうだ。楽器の 細部は明確に聞き取れるのだが、やはり演劇・オペラ用に作ったホールなのだろう。

また多くの市民から指摘されているように、座席数を欲張り過ぎたために、前の席との幅に余裕がなく、 人が通るのが大変だ。「多目的ホール」への誘惑に負けたのか、商業主義の罠にかかったのか。

本当にオペラや舞台芸術のためのホールを作ったということであれば、やはりそういう方面のプロダク ションがもっと求められる可能性があるのかもしれない。舞台芸術の人材を育てるのがそもそもの目的だった桐朋学園の富山誘致も、結局はオーケストラの音楽 家向けになってしまい、結局シンフォニー・ホールを作るべきだったのか、というところになってしまいそうでもある。

金沢に音楽堂ができたこともあり、あるいは富山は舞台芸術振興にウェイトをかけなければいけなくなる のであろうか。


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