第1楽章<人は何のために生きるのか>では、混沌とした序奏のあと、合唱が入る。賛美歌《夜を守る友よ》である。これはいわゆる夜警の歌といわれ、「夜、どんなことが起こったか話してくれ」、「これから夜明けが来ているのか知らせて欲しい」といった内容。これは賛美歌によく現われる歌詞で、「実人生においていろいろな問題を持ったとき、それが解決されるのか? それを言ってくれよ」といった意味合いを含んでいる。一説によるとアイヴズは、同交響曲で実に42の曲を引用をしているというが、この第1楽章で引用断片がないのは7小節のみだそうだ。
第2楽章<世俗的な社会の進歩を、この国を開いた清教徒たちの試練に対照させたコメディー>は、人生の幕開け。夜明けの終わり。コメディーが展開される。引用は26曲。
第3楽章<形式主義と儀式主義に対する人生の反応>は古典的なフーガで書かれているが、人生における儀式を象徴するのだという。
第4楽章<人間の実存という現実と、その宗教的な存在とにかかわる神格化>について、アイヴズは、「最終楽章は、第3楽章に対して神聖である。前3楽章は実人生における諸要素の象徴であるのに対し、最終楽章は、それらを超越した宗教的経験である。」と述べている。(01.11.30. 改訂)
まずは、初演を担当したストコフスキーが指揮という、歴史的価値があ る。第1楽章は、盛り上がりという点ではちょっと不足感もあるが、第2楽章のカオス的な部分が淡々と進んでいて、それが面白いところではある。しかし第3楽章になると、オルガンとともに、のびやかな音楽づくりが見られ、この楽章が単にほっとするだけのものではなく、にじみ出てくるドラマも内包していることが聞き取れる。第4楽章も、例えば小澤のように楽想が綺麗に積み上がってくることはな いものの、変転する音の数々には透徹したものを感ずる。だからこそ、エンディングにも無理がないのかもしれない。(01.11.30.) |
(2)タングルウット音楽祭合唱団、小澤征爾指揮ボストン交響楽団 Deutsche Grammophon 423 243-2.
第1楽章は、冒頭から聴き手をがっちりつかみ、合唱も華々しくオーケストラと共演している。第2楽章は、ストコフスキー盤よりも拍節感がタイトで、指揮者(複数)によるリードが強い。炸裂するオーケストラもモダンな感じだ。引用された旋律がいくつかはっきり聴き取れるし、ソリストの縦
横の活躍も楽しい。重ね合わせの妙技が楽しめる。第4楽章は、合唱の入りをクライマックスと想定したように聞こえる作りで、そこまでじっくりと音楽が堆積してくるのは見事だ。第3楽章の方は、やや曇った感じもするが、他楽章とコントラストを為すということならば、成功しているというべきなのだろうか? 全体としては、指揮者が耳で聴いたものが、うまく伝えられているという印象を持ったし、第4番の1枚目としては、一番ふさわしいような気がする。
(01.11.30.)
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(3)クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーブランド管弦楽団 英Decca 289 466 745-2(Double
Decca、アイヴズ交響曲全集、2枚組)
小澤がアイヴズのスコアの中に引用された雑多な旋律を自ら選んで整理し、全体として一筋の流れを紡ぎ出すのと対照的に、ドホナーニは、あえて入り交じる引用旋律のバランスを取り、それらを対位法的にあぶり出す。だから第2楽章・第4楽章の場合、聴こえてくる音楽の層の厚さ、多様さが新鮮でもある。時には淀んだ音の流れが続くことがあり、直線的な流れには欠けるところもあるが、小澤とは違った楽譜の読み込みと耳の判断が面白い録音であると思う。特に第4楽章には、本当にいろんなやり方があるものだと感心した。一方第3楽章は、音こそ古典的だが、やはり対位法が基本であり、その鳴らせ方に確固としたアイディアがあるように感じられる。たっぷりとしたスケールの大きさに好感を持つリスナーもいるかもしれない。(02.6.24.) |
第1楽章はややスマートな仕上げ方だと思ったが、混沌から混沌へと移り行く第2楽章は見事。ここまで音が雑多に混ざるとすごい騒音になるのだが、つい「美しい」と感じられてしまう。そして、やはりこの楽章は楽譜の中から何をどうやって聴かせるかが問われるような気がする(もちろんそれは、どんな曲でも同じなんだろうけど)。一方、どの演奏を聴いても「この部分は覚えている」という音響のあるのも不思議なものだ。楽譜だけでこの旋律は絶対に聴かせるべきものだというのが分かるものなのか、とても興味深い。オーケストラの機能性もすこぶるよいので、爆発した時の音響たるや、気持ちがよいやら恐ろしいやら。 第3楽章も、すっきりと見通しのよい演奏で、この点では小澤のは不満になるくらいだ。一方ドホナーニのと比べると、やや縦割りがしっかりし過ぎるように感じる人もあるかもしれないし、やや管弦楽もうるさいと感じられるかもしれない。もちろんそれは趣味との兼ね合いでもあるだろうけれど。 私にとって第4楽章は、もっとも楽想が覚えにくい楽章なのだが、セクションごとに様々な動機の絡みがあるように思う。ティルソン=トーマスは、各セクションに違った光を当てながら、山あり谷ありでクライマックスまで進行させていくように感じられた。微分音が表現の一つとしてとして成功しているのも、おそらくこの演奏で初めて聴いたように思う。独特の後味が残る合唱の後、最後に「トン、トン」という静かな打楽器が残るのだが、それが第4楽章冒頭とうまく呼応しているのも、この演奏で初めて分かった。 全体にテンションが高く、疲れるところもあるかもしれないが、優れた演奏であることには間違いない。チャールズ・アイヴズ協会のウェブサイトでは、このティルソン・トーマス盤を一番に推薦しているようだ。 カップリングは第1交響曲と、第4交響曲で引用された賛美歌を5曲(→こちらを参照)。 (02.12.17.) |
(5)ジョン・アダムズ、フランク・オッル指揮アンサンブル・モデルン、コレギウム・ヴォカーレ・ゲント,ヘルマン・クレッチマー(ピアノ)独Ensemble Modern Medien EMCD-001
随分近くで録音したかのように感じられる録音。編成の大きさは分からないのだが、実体よりもかなりうるさく収録されているのではないかと推測する。(この項未完、04.9.11.)
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