ピアノ作品集(ヘンリー・カウエルによる自作自演) 米Smithsonian/Folkways SF 40201 |
|
|
実験作曲家としてのカウエルの側面を知るには格好のCD。ピアノの弦を
引っ掻いたり、弦をはじいたりする《バンジー》や<エオリアン・ハープ》、トーンクラスター(カウエルが初めてこの言葉を使ったといわれており、後にバルトークがこの用語の使用許可を求めにカウエルとコンタクトをとったという)の先駆けとなった《マノノーンの潮流》、《虎》などが聴ける。《マノノーンの潮流》は、左手がクラスターで波を表現するが、右手はアイルランドの民謡のような旋律が奏される。なおこのCDの最後には、カウエル自身の語りによる簡潔な作品解説が収録されている。
参考ディスク:「Sound Forms for Piano」→こちらを 参照。(02.1.4.改訂) |
《音楽 1957 (Music 1957)》 渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団 米CRI-132 (LP) |
|
《音楽 1957 (Music1957)》と仰々しいタイトルが付いているが、前衛的な趣は全く無い。ただ、主にインドネシアや中国から影響されたようなエネルギッシュな音楽が楽しい。カウエル特有の、木管や高弦に聞こえるクラスター風のフレーズも、あちこちに登場する。 曲は1957年、カウエルが東京滞在中に書かれた。委嘱したのはアンタル・ドラティ。彼は同年カウエルの新曲を携えてミネアポリス交響楽団を中東にツアーさせるつもりだったのだ。初演はギリシャのアテネ音楽祭にて行われ好評を得て、トルコ、レバノン、イラン、パキスタン、インドでも演奏された。 なお、私の所有するLPレコードはボストン大学の音楽図書館から除籍されたものを無料でいただいたものである。従ってジャケットの上下に分類番号やバーコードを消した跡がついていることをお断りしておきたい。 なお、YouTubeに同音源があった。筆者のLPレコードはモノラルであったが、これはステレオである。(05.5.14.,15.3.6.リンク修正、2019.04.07. YouTubeリンク付加) s |
交響曲第7番 ウィリアム・ストリックランド指揮ウイーン交響楽団 CRI CD 740 Naxos Music Library→http://ml.naxos.jp/work/241716 |
|
カウエルはサンフランシスコの中国人と日本人が多くすむ地域に育った。遊び友達には当然中国人や日本人が多くおり、子供どうしの触れ合いから多様な音楽を身につけていった。実際カウエルは中国や日本の歌をそれぞれの言語で歌うことができたと言っている。1927年頃までにカウエルは8年以上西洋音楽の理論を学習していたが、彼はそれと同じ時間を東洋の音楽伝統学習に費やすべきだと考えた。そしてアメリカで一早く世界の諸民族の音楽に魅了され、1931年から32年にはベルリンのホルンボステルとともに「比較音楽学」を研究した。カウエルはそこでは非西洋音楽の「科学的研究法」を学んだのだった。
またカウエルは1950年代アジア諸国を旅し、1956年には妻シドニーとともに日本を訪れている。1961年には再びアジア諸国を旅した。心の中では西洋と東洋の音楽伝統が融合した「世界音楽」が存在するものと常に信じており、日本や中国、その他の東洋の国々の音楽はアメリカ音楽の中に統合されるとさえ考えていた。 日本人の我々からすると、カウエルのナイーブな信念にもとづいた「世界音楽」は、異国趣味にもとづいた陳腐な西洋音楽だと容易に片付けられてしまうのかもしれない。しかしそこには素朴な力強さがあることは忘れてはならないと思う。彼の7番の交響曲もアメリカ的なエネルギッシュな側面と、5音音階が混在する作品で、安易さは拭い切れないにせよ、そこはかとない人間臭さがあることも確かなのだから(2009年1月5日、2015年3月6日リンク追加、2023年4月30日YouTube動画へのリンク)。 |
|
なお、元のマスターテープの痛みが激しいようだ。LPのオリジナルがみつけられたら、そちらの方がいいのではないかと思う。こちらは第7交響曲のオリジナルLPのジャケット。 |
交響曲第5番 ディーン・ディクソン指揮ウイーン交響楽団 米Bay Cities BCD 1017 |
|
5番はフル・オーケストラなので、7番よりも力強さがでているように思う。第1楽章のティンパニーやチューバなどに注目したい。7番同様、インドネシアのガムランの影響が垣間みられる。高弦や木管にクラスター風の長めの音が出るのも7番と同じ。
第7番のCRI盤と同様、第5の音源の傷みが激しい。Bay CitiesのCDでは、冒頭のワウ・フラッターも気になる。一方米DestoのLPは疑似ステレオ化されており、切れ味が悪い。American Recording Societyの10インチが見つけられればベスト。まあ、そこまでやる人はいないか。 筆者が持っているのは、ピストンの第2交響曲とカップリングした30センチLP(←画像)。 YouTubeに当該音源があった。以下に貼り付けておく。 (98.5.3.改訂、98.5.12.訂正、01.5.7.改訂、01.9.28.追加、01.10.3.訂正、 18.6.23.YouTube動画挿入) |
交響曲第10番 F. チャールズ・アドラー指揮ウイーン管弦楽協会 米Unicorn UNLP 1045(LP) |
|
6つの楽章からなる、素朴な味わいの交響曲(ウイーン交響楽団の委嘱に
よる)。各楽章には賛美歌、フューギング・チューン、「Comeallye」、ジグ、間奏曲、フューギング・チューンというタイトルが付けられている。この風変わりの楽章のせいか、楽曲解説には、交響曲の伝統よりも、組曲やセレナーデに近いのではないかとある。でも音楽機能を考えながら聴くと、おそらくこれは、もう少しシリアスな聴取を前提としているように思える。作品としてはあまり良い出来ではないように思う(演奏が問題であることも考えられるが)。ただ10番も、それまでの交響曲のように民謡風の作風で書いていたことは分かる。
併録曲は、《賛美歌とフューギング・チューン》第2・第5番、《バラード》、《フィドル弾きのジグ》。この中では、《賛美歌…》2番がよくこなれた演奏であり、《フィドル…》が比較的楽しい作品だ。《賛美歌…》5番は、第10交響曲の第2楽章のアレンジだが、2番よりもどっしりとした感じに聞こえる。演奏次第では、結構面白くなるだろう。(01.5.7.執筆、05.5.14.改訂) YouTubeに同音源があった。(2019.01.02.) |
賛美歌とフューギング・チューン第3番、オンガク、交響曲第11番《音楽による7つの儀礼》、命題
(交響曲第15番) ロバート・ホイットニー、ジョージ・メスター指揮、ルイヴィル管弦楽団 米First Edition FECD-0003 【録音】1967年11月、1958年4月、1954年6月、1961年11月 Naxos Music Library→http://ml.naxos.jp/album/FECD-0003 |
|
カウエルはトーン・クラスターという言葉を発明した米国実験音楽の先駆者だが、東西の民族音楽にも広い関心を持っていた。日本の雅楽のテクスチュアと陽・陰旋法を柔軟に混ぜて作った《オンガク》は最終的にはポリフォニックに展開。確固とした終結部を築いていく。
《命題》第1楽章は弦楽四重奏曲第3番《モザイク》の各楽章を編曲し、舞曲と再現部を添えたもの。第2楽章も、不協和音による対位法を用いたため初演時に論争の的となった弦楽四重奏曲第2番をまるごと編曲したものである。興味を持った音楽語法は何でも率先して使ってやろうとするアメリカ精神がこの作品にはある。愛、労働、戦争、死などを、人間が誰しも経験する儀礼として綴り上げた交響曲第11番も組曲風だが、動機の絡み方に全体をまとめる意志が聴き取れる。 カウエル晩年の包容力豊かな作品に果敢に挑んだルイヴィル管の貴重な記録だ。1曲を除いてモノラル録音 (『レコード芸術』2006年1月)。 《オンガク》は1957年カウエルが日本を訪れた際にスケッチが書かれ、同年アメリカでオーケストラ作品として仕上げられた東洋趣味作品の一つ。<雅楽>と題された第1楽章は笙のクラスター的があまり明確になっていないためか不満になるが、たとえば同じく雅楽に影響されたホヴァネスの《苔の庭》などよりは、ずっと雅楽を勉強した感じに聞こえる。さすが米国で比較音楽学を最初に研究した一人だ。第2楽章は<三曲>と題され、タイトルから箏や三味線などからヒントを得た音楽となっているが、その影響は音階構造に聴かれる程度に止まっている。テクスチュアがヘテロフォニーではなくポリフォニーなのは、彼が楽曲の展開法を西洋に依存しているからだろう。 異国趣味の作品として一蹴することも可能なのだろうが、彼の東洋への憧れの念は尊重しておきたい。 なお《オンガク》が収録されていたオリジナルのLPは米ルイヴィル管弦楽団・ファースト・エディション・レコードLOU-595である。1958年のモノ ラル録音。(2000.4.19.執筆、05.11.29. 改訂、2015.3.6. 記述追加&改訂&NMLリンク追加) |
アメリカの古い賛美歌の中に「フューギング・チューン」と名付けられたスタイルのものがある。例えばそれは2部形式の賛美歌で後半が簡単なカノンのようになっているもの。考えてみれば、教会にくる全ての人が歌う賛美歌に、簡単なカノンといえでも、ポリフォニーを歌わせるというのは結構敷居が高いと思われるのだけれど、南部に残る独特のシェープノート(◯や△や□などを音符にしたもの)という記譜法を使ったソルミゼーションを身につけると、それほどトレーニングを積んでいない人でも、簡単にコーラスや、このフューギング・チューンが歌えるということになるのだそうだ。筆者も一度シェープノートを体験したが、もともと読譜に苦労していないし、通常のドレミ唱法を知っているので、この、俗に「ファソラ唱法」というのは、かえって歌いにくかった。ようするに7音名を覚えなくても、少ない音名数で歌えるのがミソなのだけれど…。
ヴァイオリンとピアノに加え、鉄板を叩いたような打楽器も(第1楽章に)入っていて、異国趣味も感じさせる、楽観的で興味深い作品。最終楽章では、ピアノの鍵盤を下からすべるように弾く部分や、内部奏法もある(この音はケージ風でもある)。
筆者が持っているレコードには、アナイッド&マロ・アジェミアン(ヴァイオリン&ピアノ)、エルデン・ベイリー(打楽器)という演奏の音源もある (米MGM E3454)同時収録はアイヴズのヴァイオリン・ソナタ第4番とホヴァネスの《カーギズ組曲》である。(01.12.26.)
<ペルシャ組曲>の2年後に書かれた作品。第1楽章はイランの太鼓が入っているので、自然に「ペルシャ風」に。ヴァイオリンは、うまくそれに乗って演奏するが、聴き手を魅了するほどの強さは、あまりない。第2楽章は、ピアノとヴァイオリンが三連符で絡むが、あまり大きな展開もなく終わってしまう。第3楽章は、第1楽章と性格がほとんどかわらない。第2楽章のまでの流れの後で、ちょっと一休みという感覚に聞こえた。第4楽章では、ヴァイオリンとピアノがやや国籍特定不可能な音楽を奏でるところへ、イラン太鼓がはいってくる。しかし、今回は太鼓が入っても、特別アジア的なものを感じなかったのはなぜだろう。結局、イランを感じたのは、イラン太鼓のおかげだったのか、という印象を拭い切れなかった。
それとも、こういう曲は、あまり「国の響き」にこだわらずに聴いた方が良いのだろうか。しかし、タイトルから、イランの響きをカウエルが追及したかったということは充分考えられるのだが。こういう問題はホヴァネスの音楽にもあるような気がする。
なお、筆者が所有するレコードの音源に、レオポルド・アヴァキアン、ミッチェル・アンドリューズ(ヴァイオリン)、ベイジル・バハール(ペルシャ・ドラム) (米CRI SD 173) というのがある。演奏者のアヴァキアンはイラン生まれのヴァイオリニストである。(99.10.17.、2019.04.07改訂)