音の日記10
音の雑文集
01.6.25.アップロード


2000.6.27.

新しいアパートに移って、はや2週間が経過。少しずつ新しい環境にも慣れてきた。音的な変化としては、言葉的な面白さがある。今度引っ越したのは、大学経営のアパート群なのだが、住人の4割が中国人なのだそうだ(エアコンを取り付けてくれた、大学の用務員による情報)。実際お向かいさんは、中国人(おそらく大陸の人たち)3世代、2階も中国人カップルといった感じ。で、よく入り口付近には、他の中国人もたむろしている。聞こえてくる話し声は、いつも中国語。ここはアメリカのはずなんだけどなあ。とても不思議。

あとは、お向かいの家族には小さな子供(2歳くらい?)がいて、昼間は結構元気な叫び声も聞こえたりする「ギエ〜」とか「キャー」とか。自分も子どもを持つと、こういう声を毎日聞くことになるんかいな、と思う。さすがに夜は静かで、前にいたアパートの上の住人のように、夜更かしもしないので、とても静か。なぜかおかげで夜、寝るのが早くなり、朝方に以降しそうだ。これは大変健康的でよい。やはり音というのも、生活のリズムに入っているんだろうか?

朝も、6時半から、鳥の鳴き声がすごい。気持ちとしては、うるさ〜い、などともいいたくなるのだが、それはやはり鳥たちにはかわいそう。でも結構大きな鳴き声の小鳥(?)もいるんだよな〜。目覚まし時計はいらない。


2001.6.23.

最近アメリカでも、ようやく携帯電話が普及し始めている。日本ではもう、数年前に問題になっている、騒音問題が、いまこちらでも起こっているような印象を受ける。車を運転しながら話している人も多い。車など、視角さえあれば、ちゃんと運転できるようだけれど、実際日本では、運転中に携帯電話で話していたため事故になったちうのは多いのだそうだ。そうすると、案外、耳の情報というのも、運転には大事なのだろうか、という気がしてくる。ラジオを大音量で流す人もいるけれど、耳はなんとなく、視覚に集中しているような気がする。アメリカではヘッドフォンを付けながら運転するのは禁止されているそうなのだが、やはり耳を完全遮断してしまうのは、大音量でもスピーカーから聴くのとは違うのだろうか。状況を判断する条件として、耳がふさがれていないというのが、大事なのだろうな、と思う。状況の「雰囲気」をつかむということが大事なのだろうか。心理学をやった訳ではないので、詳細については分からないのだが、興味深いところだ。


2001.6.24.

エアコンにリモコンがついている機種というのは、アメリカでは珍しいのだが、なぜああいうリモコンを操作すると「ピー」という音がなるのだろう? 信号が届いたぞ、というのが分からないと不安になるからだろうか? それとも切り替えがうまくいったかどうか、耳や目では確かめにくいということか。そういえば、テレビのリモコンには、こういった音の出るものはない。ビデオのにはオン・オフのスイッチがついている。どういった基準でこういうのは決められているのだろうか。


2001.6.25.
あらためて、音風景(サウンドスケープ)について

音風景とかサウンドスケープという言葉がある。私のサイトに、この「音の日記」というコーナーを作ったのにも、そういった音風景やサウンドスケープの概念に魅力を感じたからだ。

おそらくここをご覧になっている方はご存じなのかもしれないが、音風景というのは、特定の場所に特定の視覚的な風景があるのと同様、特定の場所には特定の音があるということを意味している。その特定の場所にある音を、風景になぞらえて、音風景と呼んでいるのである。

しかし、この概念には、身近にある場所の音を、知的に聴き、価値判断を下す過程も含まれている。現代社会において、人間が心地よく過ごすためにはどういう音があるべきなのか、どういう音はなくすべきなのか。それを積極的に考える営みがなければならないと思う。

ただ漠然と、面白い音を探すのも大切だが、もっと積極的になってみよう。まずは耳をそばだててみる。そして、音を客観的に見てみる。どんな質の音なのか。高い音なのか・低い音なのか。長い音なのか・短い音なのか。鋭い音なのか・鈍い音なのか。固い音なのか、柔らかい音なのか。これはおそらく、注意深く耳をそばだてる行為がなければできないだろう。

そして、それは心地よい音なのか・不快な音なのか。この風景にふさわしい音なのか・そうでないのか。毎日の生活に必要なのか・必要でないのか。文化的に大切な音なのか。動物たちや人間にとって大切な音なのか。

せっかく音について考えるなら、どうして大切な音なのか、どうしたら、そういう音が発見されるのか、みんなで考えてみたい。

日常に騒音があふれないように。不必要な音楽がないように。考えることが必要なのではないだろうか。何気なく聞き逃してしまうのではなく、ちょっと心に留めてみる。それが大切だと思う。


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