メモ帳9

一時帰国も楽じゃない

(98.5.31.)

私は、一年に一度、日本に里帰りするようにしています。アメリカにいると、確かに語学力がつくし、勉強にも集中できます。でもやっぱりストレスが溜まるし、不健康なものばかり食べてしまいます。また、できれば日本的な感覚も忘れたくありません。

今のところ、夏に帰るのが恒例で、大体日本には2、3週間滞在といったところです。でも、一回だけクリスマスに帰ったことがありました。2年前の年末のことです。飛行機のチケットはどうやら、夏よりも冬の方が競争率が高いようで、いつもはデルタ航空でタラハッシー→アトランタ→東京と行くのですが(あるいはアトランタからは日本航空)、シーズンが悪かったのか、値段がものすごく高く、また席も満席でした。そこでこの時はしかたなく、別ルートを模索。タラハッシー→オルランド(ディズニー・ワールドがありますね)→ミネアポリス(ミネソタ州)→東京というルートを取ることにしたのでした。

オルランドまではデルタでしたが(コムエアーといってプロペラ機専門の別ブランドになる)、オルランドからは、俗名「ノ○スワースト」といわれる航空会社を使いました(N航空のスチュワーデスさんがそう言っていたので、本当でしょう?!)。それも、その飛行機は朝6時発で、前日にオルランドのホテルに一泊しなければなりませんでした。まぁ値段が安かったし、ゆっくり帰るものいいか、とその時は思ったものでした。

オルランドのホテルに行くには、空港からシャトルバスに乗ることになっていたのですが、これがどこに来るのか分からない。何しろ誰も何も案内してくれなかったのです。ただ旅行会社から、シャトルに乗るということを聞いただけなのでした。旅行会社が、こういう時、どこでシャトルに乗るか知っているということは稀です。

仕方がないので、空港の案内係に尋ねました。シャトルバスに乗るところは決まっているようで、早速行き方を教えてもらい、とりあえず一安心。指定のところでしばらく待っておりました。

しかし、いつまでたってもバスがこない。時計を見ると、もう20分は経っています。他のホテルのシャトルが次から次へと来るのに、私の行くホテルのバスは全く来る気配が無い。仕方がないので泊まる予定のホテルに電話をしました。

「予約しているのだが」というと、名前を聞かれ、リストをチェックしてもらったあとホテルの係員が告げたのは、「バスは20分おきに出ていて、オルランド空港のターミナルを巡回しているはずだから、もう少しまてば来るはずだ」とのこと。さらに「いま道がこんでるかも知れないから、時間がかかってるのだろう」と。それじゃ、仕方ないか、とさらに10分待ちました。

いや〜バスは来ませんねぇ〜。ホテルにもう一度電話、ちょっと怒った調子で、「いつまでたってもバスがこないけど、どういうことだ」とたたみかける。すると「いま、運転手一人よこします」との返答。あれ、じゃあ巡回しているバスはどうなるの、と思いながらもとりあえず、運転手の来るのを待つことに。

となりにアメリカ人の老夫婦が、やはり私と同じホテルに行くようで、一緒に待つことになりました。彼らもホテルに電話したらしい。とりあえず、ここで、待っているのは私だけでないと分かり一安心。

5分後にバスが到着。老夫婦とともにホテルに向かう。はて、ホテルがよこすといった運転手はどこへ? というのも、私が乗ったバスは巡回していた方のバスだったようなので。おいおい、結局、私は40分近く待たされたんだぞ。20分ごとに出ているって本当かよ!

翌朝の空港行のバスは問題なくホテルを出発。いや〜朝5時起きというのは辛いですねぇ。でもすがすがしい感じもして、なかなか良かったです。バスの隣にすわった紳士は、たまたま私がいまいる学校のご出身で、随分と話が盛り上がりました。彼は旅行が好きなようで、私の飛行機のチケットを見るや、私の乗る予定の飛行機の設備やはどうだとか、フライト番号を見て、飛行機がどこから最初に出発しているのかなど、いろいろ説明してくれ、半分「うるさいなぁ、このオヤジ」と思いながらも、感心しまくりのフリをしていました。

でもやっぱり朝の飛行機はつらい。ミネアポリス行の飛行機の中で、私は自然に眠りについてしまいます。ああ、本当に眠かったなぁ。

そして、飛行機がもうすぐミネアポリス到着の時間。しかしなぜか一向に着陸体制に入らない。アナウンスがあり、どうやら天候が悪いらしく、しばらくは降りられないらしい。仕方ないので、飛行機は空を空しく旋回するばかり。まぁこういうこともあるから、特に国際便の場合は、乗換時間がたっぷり用意されている訳で、急いで乗り換えしなきゃならないなぁ、とちょっとだけ不安になる。で、結局30分くらいたったろうか、再びアナウンスが。「遂に着陸か」と思いきや、なんとミネアポリス着陸を断念して、近くの別の空港に臨時に向かうという。エ〜。どうやら旋回しているあいだに燃料が少なくなってきたらしい。

結局、飛行機はミネアポリスよりやや北にある、軍事用に使われている小さな空港に一時待機。燃料を補給いたします。これでやっぱり1時間たったろうか。まぁそれでもアナウンスによると、天候も回復したようだし、このままミネアポリスに行けば、なんとか日本へ帰る飛行機に乗れるという感じでした。

ところが、今度はエンジントラブル発生! おいおい、なかなかやってくれるじゃないか、ノー○○エスト! さすがに他のアメリカ人や同乗していた若干名の日本人も不満がたまってきたようでした(どうやらディズニーの帰りの方が乗っていたようです)。休憩の必要な人は空港に出てもいいが、なるべく機内に待機せよとのアナウンスが入ります。結局私は機内でぼーっとしていておりました。

さらに30分間がたちました。でも、いつまでたっても飛行機が出ない。まだスタッフがあちこちから来てチェックをしているようだし、もう少しかかりそうだ。と、時計を見ると、日本行の飛行機は見事にミネアポリスを発っている。アーア、今日の飛行機は逃したみたいだな。結局この小さな空港に来て1時間40分ほどたったところで、再びミネアポリス向けて出発進行。いやはや、エライ目にあったもんです。

さすがに2時間以上飛行機が遅れると、ほとんどの人がもともと乗る予定だった飛行機に乗り遅れたことになります。ミネアポリスのノー○○エストの事務所に行くように、機内から指示がありました。

ノー○○エストの事務所は、すでに人で溢れかえっていました。みんなこれからどうするのか、係員と相談することになるのです。入り口には番号札をとる機械があって、さっそくそれをとって待つことに。どうやら私の前には40人位いるようです。カウンターは4つあったと記憶しておりますが、それにしてもアメリカのこと、しばらくは待つハメになるでしょう。お腹がすいていたので(お昼の時間をとっくに過ぎていました!)、ホットドックに食らいつきました。普段はこんなもの食べないのに、なんとなく今回はおいしく感じました!

結局それからどのくらい待ったでしょうか。ようやく私の番になり、ノー○○エストの係員と対面です。「もう今日は飛行機ありませんよねぇ〜」、と渋い顔をすると、係員は「どうやらそのようです。こちらのホテルをご案内します。明日、便がありますので、それでよろしいですか」というようなことを言ったようでした。まぁ、それしか選択肢は無い訳で、それに従うしかありません。でもこのノー○○エストの係員はすごく親切で、この辺で一番良いホテル(と彼女が言った)を紹介してくれ、最後に歯磨セットまでくれたので、私は満足。そうか、この会社もこういうときはかなりサービスがいいんだな、と感心!

で、ホテルに向かおうとしたところ、いきなり2人の女性が近づいてきて、「日本人の方ですよね。一体どうなっているんですか?」と訊ねてくる。ちょっとビビってしまった私ですが、さらに横から、今度は日本人夫婦が、私も私もとやってくる。どうやら飛行機はもう無いらしく、ホテルに泊まるようですよ、と説明。番号札を持って順番が来たら搭乗券を見せるように指示しました。「いや〜助かりました。ありがとうございます」とすがるような顔に、ちょっとためらってしまいましたが、英語が多少出来てこれほど嬉しいと思ったこともなかったな、と自己満足(いやですねぇ、こういう気持ちになるなんて)。

それはともかく、ホテルに行くには、またもやバスに乗ることになりました。そして前日と全く同じように、ひたすらバスを待つことに。しかもここはフロリダ州ではありません。Tシャツでも過ごせるオルランドとは違って、ごっついジャケットを着ても寒いミネソタなのです。雪がこんもり積もっておりました。結局たまりかねて、またもやホテルに電話を。すると、なぜかこちらも、20分くらいおきにバスが出ているからもうすぐ来る、といったような返事。さらにしばらくまっていると、先ほど話してかけてきた女性2人と御夫婦がいらっしゃる。どうやら同じホテルに泊まるらしい。さらに待つこと10分、ようやくバスが着きました。

ホテルは、ノー○○エストが宿泊代も食費も出してくれるということで、まぁ悪くはなかったです。でもこの辺で一番いいホテル、とはちょっとねぇ。どう見てもエコノミーでしたけれど。まぁそれでもレストランがあるだけ、ホリデイ・インよりはずっとましなんだろうな、と思いました。でも食事はお世辞にもうまくなかったです!

次の朝、御夫婦の方は、日本の旅行会社がバスを手配。2人の女性と私は、ホテルのバスに乗り込みました。思いもかけずミネソタに滞在。せっかくなので、おみあげの一つでも、ということで空港の売店を徘徊。絵葉書や冷蔵庫にくっつけるマグネットなど、毒にもならないものをとりあえず買って飛行機を待つことに。ところが今度は、これまで御一緒させていただいた女性2人が記念写真を撮りたいと言ってくる。なんでも助けていただいたお礼に、とのこと。エ〜、そんな〜、別に何かした訳でもないのにぃ〜と思いながらも、強引に断わる理由もないので、とりあえず写真に入れていただくことに。でも私の写真なんか、どうするんでしょうねぇ?

別れ際に、お互いにどの席になるか、情報交換。ここでこの2人に指摘されたのは、私の席がビジネスクラスに変更されているとのこと。「やっぱり良いことをした人はこういうところで感謝されるんですねぇ〜」とか言われながらも、本人はまったく気付きもしなかった訳で、ただただ戸惑ってしまいました。でもそのとき思い出したのは、前日のノー○○エストの係員が「こちらのサービスで、ビジネスクラスに格上げしましょうか」、と言っていたような気もするし(その時は漠然と「そりゃいいね」といったような気がする。なにしろビジネスクラスが何なのかも知らなかったし)、朝チケットを別の係員に見せたときも、コンピュータ画面と搭乗券を比較して、「アレ、このチケットエコノミー・クラスになってますよ」なんて言っていたんですよね。

その時は「ふ〜ん、それは面白いねぇ」なんて何の気もない顔をしていたのですが(だって、もともとエコノミーの値段しか払ってないし)、どうやらいつの間にかチケットが格上げされていたようです。なんと、これが私の人生の中で、初めてビジネスクラスというものに遭遇する機会となりました。

実はノー○○エストは、機内食が最悪だと思っていました(日本から帰ってくるときはエコノミーだったので、これを再確認することになってしまいましたが)。しかしビジネスクラスは全然違います。白い陶器の皿にレストランのコースのようにして出てくる料理は絶品。おいしかったな〜。もしかして、この航空会社は、こうやって客を徹底差別することによって安いチケットを提供しているのかな、とさえ思いました。ビジネスクラスの席には個別のテレビもあり、当時流行っていた「インディペンデンス・デイ」を3回くらい見てしまいました。

以上、これが、私の体験した日本帰国で一番ドラマティックだったものです。今年も夏帰るつもりですが、こんな目には遭わないだろうな、と思います。またあまりこういう目にしょっちゅう遭うのも疲れますしね。でもあのときお会いした日本人の皆様、お元気かしら? と思い出す今日この頃です。


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