メモ帳7

海外留学(98.5.4.)

自分はいわゆる留学をしているわけです。私がアメリカに留学したのは、まず、いわゆる語学学校に入るためでした。ボストンを選んだのですが、それは西海岸よりも東部の大都市に行ったということが、将来の経歴のためになる、と教えられたからです。本当は大学院に直接入ろうとしたのですが、願書を出したニューヨークの2つの大学は残念ながら不合格に終わりました。初めて渡米する際、回りはアメリカの大学(といってもボストン大学付属の語学研修センター)に行くといってわざわざ飲み会を開こうとまで言っていたのですが、ホンモノの大学入学の不合格からきた落胆の気持ちでいっぱいだった私は、とてもそういう会に参加するきにはなれませんでした。いま思うと悪いことをしたな、と後悔しています。

なお、なぜアメリカなのか、ということについては、単純にアメリカのクラシック音楽を勉強したいというのが理由でした。私の同僚は、ドイツ音楽研究のためドイツへ行きました。

世間でも噂されているように、いまアメリカの大学には、日本人がたくさんいます(中国人の多さに比べれば大したことではありませんが)。一昔前とは違って、日本の人も豊かになって、気軽に海外に出られるようになりましたから、奨学金をもらってとか、一生の決断をして、などという留学は、もはや過去のものとなりつつあるのでしょうか。旅行感覚でフラっとという人も多いでしょう。

最近の留学生は豪勢な生活をしているといわれていますが、語学学校は大学と違って自由時間がたくさんあるので、夜中遊びに回ったり、旅行をあちこちしたり、結構自由奔放な人もいます。それは日本人だけでなく、韓国から来る人にも多かったです。彼らの方は、服装も乗っている車も、日本人より贅沢だったと思いました。またアフリカやエジプトから来ている 学生は、恐ろしく身分の高い人達ばかりで、中にはなんとか国王の息子とかいうのもいました! あちらの国では、留学はやはり並大抵ではないようです。一方南米系の人々は割と入国しやすいからか、あまり贅沢に見える人達はいませんでした。勉強も、それほど熱心でない人が多かったと記憶します。

アメリカといえば、もちろん英語が使われていますが、会話は苦労しました。まず聴きとりができないということが恐怖になるんですね。ハンバーガーを注文したときにも、店員が何を言っているのかさっぱり分からず、本当に当惑しました。"For here, (or) to go?" (日本でいう「お持ち帰りですか?」に当たる)や"Ketchap?"(ケチャップはいるか?)という単純なフレーズがまず分からなかったですね。きちんと文章になっていないものはかえって分からないのではないかと思いました。

英語研修においても、会話は得意ではありませんでした。アジア人の中でも、日本人が割とおとなしい、というのが先生方にもよく知れわたっているので、多少話せなくてもどうしてそうなるのかは分かってもらえます。一方南米系の人間はやたらとしゃべる。文法もあまりできてなくて、発音もすごいので、何を言っているのかさっぱり分からないということも多いのですが、それでも人をなぎ倒すかのように喋りまくります。どうやら向こうの教育というのが、文法など構わずに、とにかく話すことを強調する授業だというのが理由のようです。文法のテストは特になく、話せるようにさえなればいい、と南米系のクラスメートが教えてくれました。

そのため、文法の知識に弱いということが彼らの欠点で、TOEFLでも、リスニングのセクションはほぼ問題なくできるのに(私にはこれが一番つらかった)、文法がからっきし駄目なんですね。日本人は文法セクションに強いというのが一般的傾向のようです。それは日本でも勉強できるセクションでもありますし。

ところで、ボストンのような大都市の場合、日本人も多く、同胞ゆえすぐに友達になってしまい、英語学校以外はほとんど日本人と連れ合う、という状況にも陥りやすいかもしれません。ですから、下手をすると、英語を使う機会はかなり減ってしまいます。大学とはちがって、教室にいるアメリカ人は先生のみ、あとは留学生ですから、いわゆるネイティヴの英語を聞き、話し合う機会というのは、思ったよりも少ないかもしれません。それにはまってしまうと英語が上達するのも大変なのかもしれません。特に英語学校の場合、外国生活を楽しむだけに来る人も多く、片言も話せなくても、すぐ日本に帰るのだからいいや、みたいになってしまうの ではないでしょうか。これは若い人達に限らず、会社派遣で仕方なく来ている人 達数人にも見られました。会社派遣の人達は金銭的なサポートをしてもらってい るので、毎日日本語の新聞を読み(「衛星版」といわれています)、頻繁に高価な日本食を食べているんですよね。 私はとってもうらやましかった。

でも、やっぱり英語学校というのと、正式にアメリカの大学に入ってアメリカ人に混じって授業をするというのとでは、全く次元が違うと思いました。現在いるフロリダ州の州都・タラハッシーは学校外に日本人がほとんどいないので、英語を使う機会は格段に多くなりました。もちろん大学に無事(?)入りましたので、アメリカ人と一緒に勉強している訳ですし、議論することも多いので、ボストンにいるときよりも、どういう風にやっていくのかがつかめたような気がします。

一方、例えば映画や音楽文化などからいかに理想化されたアメリカのイメージが日本に伝えられているかということが分かるという点では、短期留学にも良さはあると思います。できれば夏休み、語学留学と称した「旅行」をすることをお勧めしたいところです(お金と暇がある、という条件はあるでしょうが)。生活レベルのことま で分かりますし、人種差別を体験できるかもしれません。生活費は安いですから、 お金の節約にもなるのかもしれません。

でもアメリカに留学して、英語が話せただけでは、あまり面白くないのではないかと思います。できればその言葉を道具として、将来なにか役に立つものを獲得して帰りたいというのが、私の希望です。だから留学することが目的になってしまうのは、あまりいい気がしません。夢のアメリカの大学へ、などというのはちょっと違うかな、という感じもします。なんか発想が矛盾してしまってますが、自分が両方を体験しているというところから、とりあえず考えてみました。要は、どういう目的でアメリカなり海外にいくのか、ということなのでしょうけれど。


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