メモ帳42

雑記

2003.5.31.アップロード

2003.4.?

先週は散々な一週間だった。なにしろ木曜日にはコンピュータのハードディスクがお釈迦になってしまい、しばらくは学校のコンピュータを使わなければならないからだ。幸い現在は学校のウインドウズのコンピュータに日本語を打てる昨日が搭載されているため、日本の人とのコミュニケーションに大きな支障がでることはなくなったが、それでも学校にくるのは面倒だし、作業に無駄が多くなる。

金曜日は学校の帰り、立体駐車場から家に帰った。駐車場は暗く、当然ライトをつけたのだが、外はまだ4時半で明るい。すっかり疲れて昼寝を8時くらいまでしてしまったが、なんと外からドアをノックする音が。何かと思ってドアを開けてみると、最近引っ越してきたという韓国人が、自動車のライトがついたままなのだという。見てみると、学校の立体駐車場の時につけた車のライトが、いまや死にそうなくらいぼんやりと付いている。バッテリーの上がりの状態に極めて近いようであった。エンジンをかけることも、こうなるとままならない。

幸い教えてくれたこの韓国人がジャンプケーブルで車をスタートさせてくれたので、近所の人通りのない工学部や高磁波実験室の周りをぐるぐる1時間15分ほどドライブしてきた。夜中のため特別きれいな景色が堪能できる訳ではなく、ひたすら充電の旅ではあったが、ようやく帰ってきたころには、バッテリーは回復していたようで、ほっとしている。

キリスト教では聖週間から復活祭という流れの週だった。水曜日はユダヤ教の過ぎ越しの祭りで行われた食事を再現。当時の習慣に基づいた文句を唱えたり、聖書からの一部を読んだり。もちろん普通のアメリカ風の夕食もあった。木曜日はイエスの最後のひと時を噛み締める礼拝。今年は復活祭が早い方なので、なかなか夜の闇が訪れてこなかったのだが、それにしても福音書の物語とともにろうそくが一本一本消されると、それなりの劇的な雰囲気が出てくる。

復活祭の日は、アメリカをまもなく離れることも考えて、早朝礼拝に参加した。私の教会からもかなりの人が来ていて、聖歌隊メンバーとして活躍することになった。池の近くの緑の豊かな公園でこの礼拝は行われたが、日の出が拝めなかったのは、いささか残念であった。天気予報だと大丈夫と言われていたそうだが、それでも真っ暗のなかから少しずつ空が明るくなってくるのは、雰囲気が出てきて、とてもよい体験になったと思う。

9時半からは、教会にて復活祭記念の食事。復活祭はクリスマスとともに、あるいはそれ以上に宗教的に重要な祝日だ(ただし「世間」は普通の日曜日--パブリックスというスーパーは休業したが)。


03.5.19.

先日アメリカ人と、なぜか今回のイラク戦争について話すことになった。今回の戦争が終結したことによって、アメリカ人は安全と感ずるようになったのか、あの戦争は本当にテロ撲滅や大量破壊兵器撲滅のためのものだったのか、という疑問を呈してみたのだが、彼から返ってくるのは、「表現の自由や人権の尊重」の素晴らしさという主張ばかりなのだ。つまり「イラクの民主化」という、アメリカの主張をそのままナイーブに受け取っているばかりなのだ。

また、戦争に直接かかわっていない一般の人たちが殺されたことについても、表現の自由や人権が与えられたことで、物事が相殺されるかのような発言があり、まるで納得がいかなかった。

また、戦争一般についても、「良いところも悪いところがある。その両方を考えられる方がより良い」という主張だった。戦争に良いところ? 彼はそれが一体何であるかは明らかにしなかったのだが、実際に戦場に駆り出される側にとって、「戦争の良いところ」などあり得るのだろうか(メダルだの褒章だのは、戦争をする側の都合によって作られた道具にすぎないではないか)。領土拡大を安全なところから喜んでいる立場の人間ならば、もちろん違う見方をすることは、確かにあり得るだろうが、実際に生死を賭けている人間から見れば、そんな見方というのは、かなり「現実」から離れているように思う。

良いところと悪いところを両方考える、一見それは中立的でありバランスが取れているかのように見える。しかし、それは本当に中立なのだろうか。戦争の良さなどということを認めることによって現れる社会とは、アメリカのような社会なのではないだろうか。私はこの国の軍国主義には全く共感しないので、当然そんなバランス取りなどはしたくない。

それはともかく、アメリカの今回の武力侵略というのは、その理由付けが極めて希薄で、とにかく侵略だという印象が前面に出てしまったことは間違いないだろう。

「アメリカ原住民を殺していったように、世界を征服しようとしている」というのは、私や私の友人の日本人などは容易に想像するアメリカ像ではあるが、それもこの白人の友人からすれば、「そんな昔と現代とを一緒にしないでほしい」ということである(彼流にいえば、開拓時代と現代は違うというのだが、日本人的には開拓者精神がアメリカの骨頂と考えるところがあり、広く一般化してしまうようなところはある)。

また、アメリカは今回のイラク侵攻で、自分の気に入らない国を、このようにして軍事力で制圧していくという印象を与えたと思う。しかし、こういう意見に対しても「そんな馬鹿げたことはない」という。馬鹿げている、確かにそうかもしれない。しかし、今回のイラク侵攻が世界に投げかけたメッセージとは、まさしくこれではなかったのか。それをかたくなに拒む彼の表情を見ると、彼がいかにアメリカの外を知らないか、あるいは知ろうとしないかが分かってしまったような気がする。いかに馬鹿げていても、それを受け入れずして、どうして世界との対話ができるのだろうか。その誤解を解くことから、まず始めなければならないのではないのだろうか。


2003.5.21.

日曜日・火曜日とCBSテレビでヒトラーを扱ったテレビドラマが放映されていた。2時間のエピソードを2回、合計4時間にもわたる放送で、内容は「狂人」ヒトラーがいかにユダヤ人嫌いでワーグナーに酔いしれる夢想家であったか、その野望をいかに現実のものにしていったのか、というような内容であった。

なるほどこのテレビ映画はヒトラーが如何に悪人であったかを示す内容としては十分だったのかもしれない。しかし、一方でなぜヒトラーの反ユダヤ思想、排他的ナショナリズムがドイツ全般に広まるようになっていったのか、民衆はどのようにヒトラーに賛同していったのか、何がそうさせたのか、という側面が欠けていると私は思った。そしてそれはヒトラーが如何に悪者であるか(そしてそれは十分我々の印象に残っている)よりも、切実な問題ではないだろうか。


2003.05.22

Unsweet tea(unsweetened tea)という言葉をご存知だろうか。MS-Wordのスペルチェッカーでは「Unsweet」という言葉は引っかかってしまうのだが、フロリダを含む南部ではよく使われる言葉である。「甘くないお茶」のことを指すのだが、この言葉が存在するのは「sweet tea (sweetened tea)」、つまり甘いお茶(=砂糖入りのお茶)が南部では普通だからだ。しかもこれは冷たいお茶のみに使われる用語である。レストランなどへ行って「アイスティー」を頼むと、必ず「sweet or unsweet?」と聞かれる。

もちろん他の地域にはこのような言葉がなく、ボストンにいたときは砂糖の入っていないアイスティーが普通で、甘くしたい人は自分で砂糖を溶かさなければならない(日本のようなガムシロップはなかった)。実はこれに関して、私には苦い経験がある。アリゾナ州のフェニックスに行った時、レストランでつい「Unsweetened teaをお願いします」と言ってしまったのだ。当然ウェイトレスは何のことか分からずに戸惑っていた。友人が教えてくれなければ、私も何がどうなったのか分からなかっただろう。アリゾナは南部ではなかったのだ。タラハシーよりも、気温的には暑いのだが。

アメリカのどの州が南部なのかは、あるいは紅茶の甘さで分かるのだろうか。


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