メモ帳41

雑記

2003.4.4.アップロード

2003.2.20.

私が先日白人の一人と話したところ、フセイン武器査察に応じなければ、すなわち交渉段階で決裂すれば戦争はやむを得ない、というような認識を持っているようだった。つまりフセインという悪人を改心させるか、やっつけるのか、といった非常にミクロな選択肢に考えを持って行かれているような印象なのだ。そもそもフセインを今現在打倒する意味、またそれによって起こるイラクならびに中東の情勢、ならびに今回のテロに直接関係のない一般市民はどうなるのか、という問題に想像を巡らせるということがないのだろうか。

もともと「テロ撲滅」などという抽象的なスローガンのもとに「戦争」を起こすということ自体が愚かなことと思わざるを得ないように思うのだが、そもそも武器を持って報復すること自体がテロリストたちにとっては「してやったり」であると歴史家のハワード・ジンは言っている。

もっとも先週日曜日の『ニューヨークタイムズ』には、さすがに世界中で巻き起こっている反戦デモの様子が伝えられ、米国ジャーナリズムの反骨精神を垣間みたように思う。スライドショーなどがサイトにも掲載され、市民が束になったときの力を、まざまざと見せつけられた。

世界最大の軍事力を持ち、今年の軍事予算も軒並みアップのようだが、アメリカ人たちも、そろそろ自分たちの税金の用途に目を向けたほうがいいように思う。連続テロの時点で、軍隊の持つ本当の「力(無力?)」の意味を再考すべきではなかったかとも思うのだが

「Weapons of mass destruction(大量破壊兵器)」なんて、アメリカだって(世界で一番大量に)持っていいる。結局政治の力なのだろうか…「殺人兵器」にどういう修飾語がつくのかというのは。(05.1.18. 訂正)


2003.3.6.

日本のアニメがアメリカの熱狂的ファンの間で愛好されているのは有名だが、漫画の進出も激しくなりつつあるようだ。今までは日本とアメリカでは本の開き方が逆だったため、日本のオリジナルを裏返しにして印刷したり、背景を変えたりして、編集も大変だったようだが、最近は日本と同じように右とじの英語版日本語漫画が出始めている(アメリカ風に読もうとすると「こっちから読むと最後を読むことになり、物語が台無しになる、という警告文まで書いてある)。経費削減もあるのだろうが、アメリカのオタクたちの「本物志向」も影響しているのかもしれない。

先日Amazon.comの『となりのトトロ』(アメリカ版)に対するレビュー欄を読んでいた。アメリカ版DVDは、英語の吹き替えのみが入っているようで、しかも日本語に切り替えることもできなければ、字幕さえない。またもともとのワイドスクリーンの一部をカットして、テレビ用のサイズにしているようだ。そして、どうもこの作品に対しては、やはりコアなファンがたくさんいるようで、日本語に切り替えのできないのはおかしい、作品はいいのだがDVDは最低、という感想がかなりたくさんあった。

ところで「オタク」という言葉を、ある白人のアニメファンに発したことがあったが、なんとも不思議なことに、感謝された。その道の通として、名誉なことなのだという。アニメ雑誌も各種でているし、本物のオタク(?)は、日本語が読めなくても、日本語で書いてある、好きなアニメ関連の本を集めるのだとか。「Dojinshi」という単語までもネット上に見られるようになった。

早くからアメリカに進出したアニメに『マッハGo! Go! Go!(スピード・レーサー)』がある。あまり日本では放送されないので、改めて楽しむことになったのだが、オリジナルから大分カットしてあるようで、かなり早口になっている。これでは何を言っているやら…長年アメリカに住んでいても、かなりキツい。

もう少し最近のアニメには『ルパン三世』もあるが、内容が大人向きということになっているようで、ケーブルテレビの「カートゥーン・ネットワーク」でも、夜/深夜の時間帯で放送されている。また、昼・夜両方放送されているものでも、昼のバージョンはセリフを穏当なものに変えるために、吹き替えを別に行っているという情報も発見した。

大学にもアニメやポピュラー音楽から日本の文化に関心を持つ人が増えてきているようだ。

ということで、私が数年前に見かけた、アメリカ国内に見られるアジア文化についての本を挙げておく。

"Eastern Standard Time : A Guide to Asian Influence on American Culture from Astro Boy to Zen Buddhism"(Amazon.comのページ)


2003.3.18.

先ほどまで、友人宅に行ってアメリカの愚行について議論をしていた。この友人の日本人の彼氏は白人のアメリカ人なのだが、「戦争だ〜、わ〜い」と無邪気に喜んでいた。彼がどのような動機でそのようにふるまっているのかは分からないのだが、分別をわきまえていないかのようなその行為に、心底落胆した。

私はアメリカのマスコミが言うのとは逆に、国連は負託されたその責任を果たしていたと思う。その責任を無にした国がいたということではないだろうか。


2003.3.20.

昨晩は東部時間の7時から礼拝があった。内容は苦悩に満ちた(しかし顔にはださない)もので、祈りは敵・味方双方に捧げられ、兵士たちや一般の市民にも向けられた。最後の賛美歌が終わっても、牧師さんが立ちすくんで動かなかったのが、胸をしめつけた。

連続テロの時も、全身に虚脱感を感じたのだが、今回の最後通牒後の時間の重苦しさというのは、味わったことのないものだった。日本の方でも、多くの方が、同様の気持ちになられらのではないだろうか。

私は9・11以来、意識してテレビを見ないようにしていたのだが、ある日ふとテレビを見たところ、フセインの顔が大々的に映り出したのには腰を抜かした。ずっとCNNを見ていた人は、自然にあそこまで持って行かれたのだろうか、と不思議に思っていたら、いつのまにか虐殺まで始まってしまった。まったく意味不明。何のための侵攻なのか。

そもそも目的がテロ撲滅であるのならば、戦争終結後、せめて自国民がテロの恐怖から解放されるために行われるべきだと思うだが、現実は、むしろこれからの未来に強い不安を感じるのではないかと思う。

こちらにも政府側に立つ学者や報道者はたくさんいるようで、ラジオなどを聞いていると、すでにフセイン打倒後の世界についても考え始めている。どれだけの予算がいるとか、どういう政策を進めていくかなど。その分析は知的でさえある。しかし、私はその発言に見られる未来のアラブ世界や世界平和よりも、いかに発言が植民地主義的な発想であるかということばかりが気になった。自分の怒りを抑えながら。


2003.3.21.

今日、公共ラジオ放送で、イラク系アメリカ人と名乗る男が、「米軍は民衆に爆撃を加えて殺したり、憎悪を生産しないで欲しい。フセインは経済制裁を経て弱くなっている、今こそイラクの民衆と共に立ち上がり、フセイン政権を打倒する行動にでるべきではないか、力を合わせるべきではないか」という意見を述べていた。この人は1996年までイラクにいたというが、罪のない祖国の民が、今度は現在自分の住む国の軍隊によって殺されるのが耐えられなかったのだろうか。

(03.4.2.追記)実はアメリカ政府自身、イラク国民は米軍と戦う前に降伏し、フセイン政権を労せずして打倒できるという考えがあったらしく、それで派遣された軍隊の規模も小さかったのだという。しかし、この作戦ではアメリカは勝てないのではないかと指摘する人(スコット・リッター)もいるようだ。

日々のニュース映像の中で、イラク各地の爆撃の煙や光は映し出されている。米軍の兵士たちの姿も見える。しかし、肝心のイラクの人々の様子、彼らが今人間としてどのようにあの場に生きているのかは、やはり伝わってこないように思う。あの煙や光の下で何が起こっているのか、苦しいながらも、想像力を働かせなければならないのだろうか。

少なくとも、いま何が報道されていないかを考えるべきだろう。


2003.3.25.

アメリカでは戦争開始で反戦を訴えていた人達の間からも、とにかく始まってしまった戦争を一刻も早く終わらせるという意味で、賛成に回る人たちがいるようだ。

例えば、私の友人の彼氏が白人米国人なのだが、彼は現段階でアメリカ軍が撤退した場合、戦争を完全に遂行してしまうよりも事態が悪くなるのではないかと言う。その理由は(1)アメリカ自らの正当性さえも否定してしまう、(2)フセインの力が逆に膨張するだろう(それはあり得るかもしれない)、(3)親米政権なしに、アラブ世界からの反発だけが大きくなり、今度は対アメリカの武力行使が行われるのではないか、国連が機能しない(?)現在、国際平和を調停する機関がない、などだった。

しかし一方で彼に言わせれば、今回の戦争はアメリカの覇権主義によるところが本音であり、イラクの解放というのはウソだろうし、連続テロ事件との関連性もほとんど立証されてないということだった。こういった見方は、メディアに無邪気に反応した、「イラク人民を解放する!」と言う人よりも、救いがあるといえるのかもしれない。

私の考え方は、テロに対する戦争としては、むしろ効果は逆だろう、イラクを最終的に「民主化」することにはなるのかもしれないが、中東情勢は混乱を増すだけだろう、というものだ。また、国連の機能を無視した行動は、やはり暴力が法律を凌駕というテーゼを世界中に誇示してしまったと考える。

米国人たちは「なぜ自分達が嫌われるのか」と問うようだが、もし嫌わねばならないのであれば、おそらく現在のような国際社会における行動が契機になるように思われてならない。


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