メモ帳34

雑記


2001.5.10.

最近マックのG3 PowerBook Firewireを買った。友人からはなんでG4にしなかったのか、なんで今どきマックなんだ、と言われる。う〜ん、まあ、それほどの理由はないんですけどね。G3を買ったのは安かったし、メモリが256MBもついてきたから。新しいOSになっても、とりあえず、大丈夫そうだから、ということでしょうか。そして、マック使いの友人に強く勧められたのも、大きな要因。G4の方が長もちするよ、ともう一人の友人はいう。その一方で彼女は「マックはもともと長もちするコンピュータだ」と言ったことがある。でも、前使っていたPower Mac 7600はG3を買ったその日に御陀仏になってしまった。4年間の命だった。

私はあまり、コンピュータの寿命については期待していない。長く使えるには越したことがないが、いずれにせよ周辺機器やソフトが古くなるのは間違いないし。マックであることも、別に特別こだわりがある訳ではなく(長い間使っているだけに「愛着」はありますけどね)、最初に買ったコンピュータがマックだったというくらいなもの。当時はWindows 95もなく、マックの使いやすさ、日本語対応の機能には、かなり魅力的なものがあった。もちろん、その後、Windows 95が開発され、マック使いの私には「ヤラレた」という感情があるし、Windows嫌いといえば、嫌いなのかもしれない。まあ、でも、どうしても仕事で必要ということならばなれば、両方使ってもいいんじゃないか、とも思う。

あまり互換性というのにはこだわっていない。ウェブなどは、基本的にテキスト・ファイルだし、プラットフォームを選ばないよう、もともとできている。ブラウザ特有のコマンドは入れる必要がないのではないか。また、他人とファイルを共有するということが、どのくらいあるか、ということだ。友人からMIDIやMP3のファイルをもらったことがあるが、それくらい(これらだって、プラットフォームを選ばないファイル類だ)。たいていのことは電子メールのレベルですむ問題であるし、特に不満はない。

もちろん、最近私の研究分野の資料で、Windowsのみに対応しているものもあり、ちょっと気にかかっているところもある。いずれはソフトで対応するか、もう1台買うことにもなるんだろうか。まあ、その時になったらなったで考えればいいので、あまり心配はしていない。

他の友人に、マック使いだったのがWindowsに転向すると宣言したのがいた。何でもコンピュータ専攻の故に、必要とのこと。そうなのか〜。文系の私にはそういう事情が分からないのだが、世の中そういうことになっているんなら、仕方ないのかなあ。


01.5.14.

日本も最近国際化しているなあ、と思うことがある。毎年日本に帰るごとに、外国人が増えているかのようにさえ見える。日本人が英語を勉強すれば国際人になれるような勘違いをしている一方、足下からは、いつの間にか、どんどん国際社会が訪れているようだ。

でも、急速な国際化に対応しきれずに、思わず外国人を差別してしまうこともあるのだそうだ。例えばアパートを借りるだけでも一苦労するとか、銭湯に入るのを断られるとか。お風呂の文化というのは、確かに日本独特のものがあって、外国の人にはちょっと分かりづらい。もしかすると、いきなり石鹸もって湯舟につかったとか、水(湯)遊びしちゃったりしたのかな。まあ、日本の子どもでも、プールみたいにして遊んじゃったりしますけど(自戒を込めて)。

文化の違いもあって、この他にもいろいろトラブルもあるんだろうけれど、こういう時こそ、日本の文化を知ってもらうこと、相手の文化を知ることが大切だ。差別は恐れと無知から生まれるのだという。それならば、恐れをなくし知ることが、まずは差別撤廃の第一歩なのかもしれない。あるいはどういうことが差別にあたるのか、認識を高めることも大事だろう。差別というのは、自分が気がつかないうちにやっていることが多いようだから。こちらの授業で「アメリカには依然差別がある」と発言した日本人が、先生から「日本にも、差別が根強く残っている」と返されて、驚いたという。案外外から眺めるくらいの余裕をもっていないと、分からないもんなんだろうか。アメリカで少数民族として暮らす意義は、こういうところにもあったのかもしれないなあ。

そのアメリカも、紆余曲折を重ねながらも、多くの移民を受け入れてきてここまで来ている。というか、外国人がアメリカに貢献したことは多いんではないかい(じ、自分は例外っす (^_^;;;;)? 日本も恐れずに着実に進んでいってほしい。学ぶこと・教えること、たくさんあるんじゃないかなあ。面白くなりますよ、多民族化する日本っていうのは。

参考サイト:The BENCI Project


01.5.28.

友人の日本人に誘われて、映画『真珠湾』を見てきた。 『タイタニック』を上回るものをと、鳴り物入りで登場 したそうだが(?)、『タイタニック』に比べれば、明らか に負けではないかと思った。

まずやたらと最初の1時間を使って語られる愛の部分に、 どうも感情移入できない。ひどく表面的な話に見えてし まう。おそらくこれが後の真珠湾攻撃のための布 石になるつもりなんだろうけど、どうもその部分があま り生きてこない。やたらとキスシーンばかりが目立つば かりで、その価値がなくなってしまう。

見どころはもちろん真珠湾攻撃の場面で、これはこの映 画でも、一番良くできた部分だろう。アメリカ人たちの狼狽 と恐怖が、ひしひしと感じられた。一方で、これは物 語的な面白さではなく、映像のすごさが「売り」ではないかと思うことがある。また、 その売りの部分にしても、最近みたアカデミー賞受賞映画のい くつかから取られたようなものがあり、二番煎じだとの 批判は、まぬがれないのではないか、とも感じた。

日本軍側は、キャストがハリウッド周辺の日系人から選 んだようなので、日本語はあまりうまくないし、凧上げしてい る子供たちの横で(つまり野外で)、習字で書いた垂れ 幕をあちこちにかけながら軍事会議という、極めて不自 然な設定。アメリカ国内だけでなんとか繕うとした予算 のなさが露骨に出ている。

ただし、憎っくき敵の日本人というよりは、勤勉に計画 をたて、作戦を遂行した真面目な日本人というイメージ が感じられる。おそらくバッシングに直接つながら ないように配慮した、努力の成果と言えるのかもしれない。筋に 直接関係のない、黒人があちこちに登場するのも、人種 問題に配慮しました、という主張の現れのようで、微笑 ましい。

問題の東京空襲については、兵器工場のみを、真珠湾の 復讐として攻撃したという設定になっていて、史実に反 している(別の場面では、着物を着た二人の芸者風の女性が、平和に歩く場面がある。これは東京ではなく、京都だったと逃げる手もなきにしもあらずだろうけれど)。これはおそらく、日本人にとっては不満なと ころではないだろうか。

全体としては、物語に筋の見えにくい、焦点のない映画 という印象が拭いきれないし、八方美人してしまったた めに、感情的な高ぶりが、異様に押さえられてしまった ようなところがあると思う。



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