メモ帳27

一時帰国日記:京都(2)


今回は一時帰国していた際につけていた日記の中から、一部をお送りします。
1999.7.3.(土曜日)

昼食をすませてから、みんなで二条城へ。大政奉還のなされた場所として有名だ(ろう人形が、当時の様子を再現している--これは不気味でグロテスクだ。できれば早々にとっぱらってほしい)。たくさんの壁画があるのだが、かなり痛んでいるように見えた。帰りに売店で買った絵ハガキのように、奇麗には見えなかった。それにしても、あちこちに置かれたテープによる解説ブース、あれはちょっとうるさいのでは。どちらかというと解説を読みながら落ちついて展示物を見たい私には邪魔でならなかった。

オルセン夫妻が気になっていたのが、お寺や神社や、こういった歴史的建造物を見るための拝観料。300円台から600円台まで。海外で教会を見学するとき、お金をとられた記憶がない。ご夫妻にとっては、かなりの金銭的負担らしい。

私はその後、京都駅に戻り、三十三間堂行きのバスに乗る。ここも団体観光客が多かったが、週末のせいか、若いカップルも見えた。

しかし、この千体観音堂には圧倒されてしまった。それぞれの観音様が物凄く精巧に出来ていて個性があるというのに、これだけの数が並べられているなんて。その細部は裏にある展示で触ってみることもできたのだが、正直言って、呆れるほどのディテールに富んでいるのだ。仏教というのが、これほど権威のあるものだったのか、改めて驚いた。

そのあとは、京都市博物館に入ろうとしたが、5分おくれで間に合わず(なんと4時に入館受付終了!)、近くの智積院(ちしゃくいん)へ。明治15年に金堂を焼失し、現在あるものは、昭和50年の建立らしい。そばにいたタクシーの運ちゃんは、広い桧のをわざわざ壊して云々…とか言っていたが、パンフレットにそんなことは書いてなかったぞ。

でも、新しいとはいえ、私の目には立派な寺院であり、壁画もとても印象的だった。他の寺院とちがってかなりいろいろ中をみることもできた。質素な作りだが、庭園の美しさは素晴しい。

国宝をみせる建物は、自動ドアで冷房の効いた美術館といった感じ。テープの解説もあり、人工的な感じ。美術を鑑賞するのが下手な私にとっては、このような近代的なセッティングは、文脈から切り離された宝物の集合体、というほどのものにしか見えなかった。

京都について、オルセン博士が一言。「みんな誤解しやすいんだけど、京都ってみにくい大都市の一つなんだよね。」

古い文化遺産は形として残っている京都。しかし現在の物質文明を生きる京都人にとっては、やはり四条周辺あたりが最も魅力的なのだろうか。大阪を中心とした関西商業社会、あるいは東京を中心とした物質文化。これらが伝統を形から破壊することはないかもしれない。しかし、日常の生活から、お寺や神社は遠いものであることもはっきりしているような気がする。現代のものというのは、本当に場所のアイデンティティーのないものばかりだ、と思う。それがモダンの理想でもあるのだろうけれど、なんだか寂しい。

1999.7.4.(日)

今日は東寺(とうじ)の「がらくた市」にでかける。大半は古着や雑貨だが、第二次世界大戦中の魚雷などもあり、大いに驚く。意外にも78回転レコードも多い。東京の神田神保町には、こういうのを専門に売っているお店があるのだが、価値ある掘り出しものなんて、そうそうないのだろうな、と思った。しかし、外国人である二人にはとても魅力的なものに溢れているだろう。何しろ異国の文化を目の前で、しかも安い値段で手にいれられるのだから。

尺八の名取、梅鴬(ばいおう)であるオルセン博士は、いろいろ尺八を探していた。最初に見つけたところは奇妙な長さの尺八で、歌口が壊れていた。値引きもしそうもないケチなオヤジだったので買わなかった。2軒目では約10本もの尺八があり、3千円から1万円台まで様々。とりあえず一本一本吹き比べてみる。六寸管(E管)を探していたところ、一番安いのがそうで、しかも良い響きがする。とりあえず一通り吹き終ってから、その三千円の尺八を購入。「一番ええ音のするのが一番安い尺八とは。アホですわ」、とお店の人もがっかり。見た目は確かにシンプルなのだが、楽器として機能するものは一番安いものだったという。

3軒目では、着物や雑貨を売る店に、ぽつんと置いてあった尺八。売り物かどうか私が尋ねてみると、2千円との答えが返ってくる。紅葉製で竹ではないのだが、低音を除いて大変よく鳴るそうだ。奥さんの着物と合わせて5千円なり。お店の人もオルセン博士の尺八のうまさに圧倒されていた。

今、日本人でも尺八を吹く人はどんどん減ってきているので、オルセンの尺八はかなりの驚きだったよう。あるお店の人は「もう師範級」とまで言っていた。

午後から京都バスで比叡山へ。1時間ほどバスに揺られただろうか。時間の都合で根元中堂(こんぽんちゅうどう)を中心とした東堂(とうどう)と西堂の一部しか見られなかったが、根元中堂の神秘的で暗いお堂は印象に残った。「不滅の法灯」の話をお坊さんがマイクで(!)してくれた。毎日油をたやさないようにしているそうだが、うっかり油が断えてしまうと火が消えてしまう。注意を怠るのを「油断」というのは、ここから来たのだとか。また、このお堂では、葬式は行わず、お祈りだけがなされるため、建物の構造が、他の寺院とは違うのだそうである。

修学旅行の時とは違って、かなり身近に「伝統的な」京都に触れることができた。ポストモダンなJR京都駅も、実はモティーフは京都の地理なのだそうだ。

これからの京都はどうなるのだろう。神社仏閣は、外国人と旅行者のため、地元民は四条界隈でリトル東京を楽しむのだろうか。それを一概にせめるつもりはない。どの地方都市も、大なり小なり東京化(大阪化)し、若者はアメリカの物質文明にあこがれる。その中で伝統なるものと、どう向きあっていけばよいのだろうか。私の故郷富山は京都のような歴史的建造物はほとんどないし、大都市でも中都市でもない。京都は観光があってたくさんのお金が外からもたらされる。しかし地元は、より近代的な街である京都に暮らす。京都の駅ビルのSkywalk(デパートの連絡通路。京都市街が見渡せる)でたそがれる多くのカップルを見ながら、いろいろ考えさせられた。



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