メモ帳16:富山にて(5)

(1998.8.13.)

盆の季節になったが、梅雨は一行に明ける気配がない。事実昨夜から、ものすごい雨が降り続いている。午前中は土砂降りの中、病院へ行き、慢性運動不足による猫背を矯正するためのマッサージを受ける。午前中の病院は、お盆を前にして込み合い、なかなか自分の順番が回ってこない。機械による首牽引、腰牽引、そして人間の手によるマッサージという三本だてなのだが、結局すべて終わるのに、3時間近くかかってしまった。午前中はこれですべて終わってしまった。

午後からは、やはり豪雨の中、祖父の墓参りをした。一分もしないうちにびしょ濡れになるほどの雨足が激しかったが、あえて簡潔な墓参りを強行した。傘を差していたとはいえ、ろうそくと花を備え、簡単にお経の一部を唱えるだけで、充分衣服が程良く湿ってくるのだった。

お墓参りをすませ、私の家族は毎年恒例の温泉一泊の旅にでた。今年はコンピュータ・ グラフィックスの仕事で忙しい妹を東京に残したまま、4人で庄川温泉の川金という所にでかけた。例年、このお盆の家族旅行は、富山近隣の県の温泉に行くのだが、今回は、フルメンバーが揃っていないこと、予約を入れるのが遅かったこともあり、富山県内の温泉旅館にしたのである。

家族が好んでいく県外の温泉旅館といえば、石川県にある、片山津や山代といった温泉町が中心となる。サービスが行き届いた大きな旅館は、とても居心地がよく、リラックスできるのである。

富山の温泉には、実は数回行っている。知名度の高い石川県の温泉街に比べ、富山はあまりぱっとするものがない。しかし私の家族の行く温泉は、どれもなかなか粒ぞろいで、もしかすると石川県の温泉よりもいいところがあるのではないかと思われるほどだ。

その特徴の一つとして、適度な量の食事がある。石川県の有名旅館というのは、確かに海の幸豊富だし、それなりの魅力があるのだが、なにぶん競争が激しいのか、量の多すぎる食事に出くわすことが多い。それもステーキや焼き物、煮物など、それほど地域特産というほどのものでないものも出る。

また大きい旅館というのも考えもので、やたら広い館内を風呂に入るだけであちこち迷いながら歩くのはなかなか疲れる。お風呂がでかいのも楽しい一方、飽きてしまう。

また、サービスがやたらに良くて、その奧に人柄が見えてこないことがある。ああきっと、これ言われたとおりにやっているんだな、っていうのが、何となく伝わってきてしまうのである。

今回おじゃました川金さんは、鮎料理がご自慢の旅館。近代的な旅館の風貌はあるので、さすがに郷土の田舎旅館というほどにはならないが、それでも我々家族が慣れている旅館からすればこじんまりとしている。旅館で待ち受けていた人たちも、石川県の旅館の方々ほどてきぱきとした対応をしてくれる訳ではないが、何となくほっとさせてくれるところがある。昨年訪れた五箇山の温泉は、本当に家族だけでやっているところで、けっこうぶっきらぼうな応対だったのだが、それはそれで、あまり気にならないものなのだ。むしろご丁寧な応対がない分、こちらもそれほど気を使わなくていいという感じでもある。

料理はセッティングを省略するため、別の部屋に用意されていた。別の部屋といっても、実際に宿泊した部屋よりも立派な客室で、何かもったいないような気もしたが、まぁそれはそれ。違う部屋も一瞥(いちべつ)できて楽しめた。

鮎料理で驚いたのは、鮎の刺身! こんなもの初めて食べた! 実がひきしまっていて、とても舌触りがなめらかである。その他、鮎の佃煮や天ぷらなども美味であった。

それよりもうれしかったのが、不必要な焼き物や煮物が少なかったことで、日本酒を父と分けあって飲んだ私は、出された物をほとんどたいらげることができた。石川県の大きな旅館ではあまりないことだ。

お風呂もあまり大きくなかったが、露天風呂は温度が他の旅館よりも若干ぬるめで、長く入ることができたし、室内の浴槽にもジャグジーのようなものがあったり、とてもゆったりすることができた。

今回おじゃました新館は、各階5部屋で4階しかなかったのだが、お風呂場やバーなどへの距離が近く、あちこち歩かなくてすんだのがとてもよかった。

富山の旅館に改めて感心した今回の旅だった。実家から車で1時間というのも素晴らしい。


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