メモ帳14:富山にて(3)

(1998.7.31)

最近、かつていた学校の同窓会やOB会からの案内が届きました。大学院時代の大学からは、私の論文指導教官だった足立美比古先生が東北大学に転出されたとのお知らせが目に付きました。これで東川清一先生とあわせて、私がお世話になった先生はいなくなったことになります。

(2000.1.18.)たいへん光栄なことに、足立先生ご本人から返信をいただきました。東北大学の充実度は素晴しいそうで、環境も良く、充実した研究生活を送っておられるそうです。(私信:余計なことを書いてすいませんでした、足立先生!)

高校時代に所属していた吹奏楽部の同窓会からもお知らせが来ました。私はおそらく勉強よりも熱心に部活動をしていたと思うのですが、どうしてもOB会には参加したくないんです。というのも、私は高校時代の部活動って間違っていると思っているからなんです。なにしろ、体育会系ばりの厳しい上下関係があり、やたらと気合いが入っていたにもかかわらず音楽的な面が乏しかったような気がするからなんです。

しかも、ときより遊びに来るOBからは、いつも死ぬほど練習することばかりしごかれていました。上下関係も厳しく、ちょっと何かまずいことがあると、上級生からしごきが入るということがありました。あれ、なんなんでしょうね。ある高校の管楽器奏者は厳しい練習のため唇にあとがついたままになっている、おまえらもそれくらいやれ、とか言うの。それってやり過ぎで危険ってことなのに、そういうのを見習えっていうOB。僕はどうしてもそういうOBのいるOB会に参加したくないんですね。しかもOBはOB同士で上下関係がある。そりゃ実社会に生きれば上下関係は常に存在するわけですが、そういうのをOB会や高校生の部活動にまで持ち込む必要があるのでしょうか。

吹奏楽には夏に、コンクールがあるわけですが、富山は特に「しごき」のひどい高校がいつも全国大会に出場するので、私の高校もそれを見習っていたということがありました。そんなアホくさいことなんて、音楽とはそんなに関係ないことが分からないんでしょうか。やたらと私の高校は真似していました。ただがむしゃらにやればいいと思っている。しかし全国に出る高校というのは、それなりにきちんと音楽できるから評価されるのであって、しごきというのは、せいぜい集中力を高める一手段にすぎないのではないかと思います。

こういう高校の場合、練習中音を一つでも間違えると、演奏後「失礼しました」と大声を出して手を挙げなければなりません。あれもいったいどういう意味があるのでしょう。間違えたのは自分で分かれば充分。それはいけないことだということも、分かっているはず。手を挙げさせなければ反省しない、という考え方だったのでしょうか?

最近は高校では、男子生徒の音楽部離れが進んでいるそうですね。まぁ僕は、もう高校の時のような吹奏楽部には入りたくないです。音楽をやるんだったら音楽したいですからね。もっと楽しく音楽的能力を高める部活動だったら考えますけれど。


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