音楽の本まるかじり(6)



追憶の作曲家たち:口伝による歴史

Wilson, Elizabeth. Shostakovich: A Life Remembered. Princeton, NJ: Princeton University Press, 1994.

昨年(1996年)の11月、フロリダ州立大学卒業生でインディアナ大学の名誉教授、ロシア音楽研究家のマルコム・ブラウン博士がアメリカにおけるショスタコーヴィチ受容に関する講演を行った(フロリダ州立大学音楽学部、ドホナーニ・ホールにて)。ブラウン博士によると、1960年代グラウトが音楽史の概説書の決定版として登場した時、ショスタコーヴィチの扱いは不当に軽かったという。しかしヴォルコフが編集した『証言』が現われてから人気が急上昇し、音楽史の教科書付属の譜例集にあったブリテンの一曲が後の改訂でショスタコーヴィチの作品に差し替えられた。

アメリカにおいてショスタコーヴィチがより多くの人に受け入れられるのはよいのだが、人気のもととなった『証言』の内容は問題だ。日本でも最近は記述に疑問を投げかける動きもあるが、ブラウン博士は(1)ヴォルコフはショスタコーヴィチに3、4度しか会っていないことが家族から証言されていること、(2)ヴォルコフは、『証言』の内容が、すべてショスタコーヴィチ本人からの発言であると言っているが、物量的に3・4回の取材だけではそれは不可能であること、(3)ヴォルコフとショスタコーヴィチには直接的な関係がなく、ショスタコーヴィチの弟子を介して初めて対話が可能になったという証言があることなどから、少なくともヴォルコフには真摯さが足りず(少なくとも(2)の「嘘」が決定的だ)、証言は様々な二次資料からの寄せ集めを多く含んだ「偽書」だと結論づけた。アメリカにおけるショスタコーヴィチの人気がこの偽書によって上昇したのは極めて皮相的であるが、それでも『証言』におけるロシア音楽家の記述はアメリカに移民してきたロシア音楽家たちに共感できるところがあるらしく、全てが偽でもないという。少なくとも『証言』はショスタコーヴィチが生きた時代のロシアの音楽家達を知るための「読み物」としては評価できるのだそうだ。

講演はさらに、現在最も信頼できるショスタコーヴィチの伝記としては何があるのかという議論に進んだ。実はそのなかでブラウン博士が選んだのがWilson著のShostakovich: A Life Rememberedであった。この伝記は、ロシア学者でチェロ奏者でもある著者がロシアに在住するショスタコーヴィチ縁り(ゆかり)の人々に当たり、彼らの記憶にとどめられているショスタコーヴィチ関連の情報を引き出したり、一時資料として最も信頼できるという書簡その他の資料を作曲家の生涯を追う形に編集した労作である。著者が全てのデータを解釈し叙述するこれまでの伝記と違い、ウィルソンはあくまでも生の資料への案内役をとる形で書かれている。読者は常に文章中の主語が誰なのか注意深く追わなければならない。扱われている資料も、インタビューであったり、書簡であったり、随想であったりするが、これら数多くのものに触れることにより、ショスタコーヴィチ像を読者自らが想像することが期待されているようだ。下手に脚色された伝記を読むよりも実体のあるものを手にしたいなら、確かにこれは、近年のショスタコーヴィチ関連書籍の中では決定的なものになるだろう。これまで英訳されてない資料も多く含まれている。


Perlis, Vivian. Charles Ives Remembered: An Oral History. New York: Da Capo, 1994. Repr. of 1974 ed. by Yale University Press.

パーリスはイエール大学において「口述音楽史プロジェクト」というのを行っている。今世紀のアメリカの作曲家を何人か取り上げ、各人に馴染みの人達にインタビューをし、それらを文字に起こして出版するというものだ。コープランドの2冊にわたる大部の自伝 [Aaron Copland and Vivian Perlis, Copland: 1900 through 1942, (New York: St. Martin's, 1984); Aaron Copland and Vivian Perlis, Copland since 1943, (New York: St. Martin's, 1989)] もこの一環で(この場合コープランドの文章もインタビューの「起こし」だ)、コープランドがすでに他界してしまった現在、この類のプロジェクトの大切さが研究者のみならず一般の愛好家にも認識され始めているのではないだろうか。

アイヴスを扱ったこの本の場合、1974に第1版が出版された時点でインタビューされた人々はすでに高齢であり、パーリスがこのプロジェクトを始めたタイミングが良かったと言える。上記ショスタコーヴィチ本同様、パーリスはアイヴスの生涯を追えるようにインタビューを編集し(書簡や随想はないが、写真は多く含まれている)、アイヴスの素顔に迫ることができる。収録されたインタビューのいくつかは、コロンビア・レコードからアイヴス生誕100年を記念して発売されたレコードにも収録されており、筆者もMITの図書館で聴かせてもらった。アイヴスの人間としての魅力が感動をもって語られ、驚くべきドキュメンタリーに仕上がっていた。活字になってしまうと、残念ながら細かなイントネーションや感情の高ぶりといったようなものは薄らいでしまうが、だからといって感動のすべてが失われてしまうということはない。

アイヴスの音楽そのものの分析に関心がある人は他の資料もあたらなければならないだろうが、最終的に作品の評価を考える時、作曲家の生きた社会的文脈は忘れられないのではないだろうか。また作曲家の世界を一頁一頁ひもといてみることは、音楽聴取を一層深めることにもつながるだろう。


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