音楽の本まるかじり(3)



楽譜の話

 楽譜を探すのにはどうしたら良いのだろうか? バロック以降の曲ならばたいてい楽譜屋さんに置いてあるし、売り切れていても大抵は店員の人がカタログを調べて取り寄せてくれる。少なくとも演奏に必要な曲の大半はこれで揃うのではないだろうか。  

 しかし学問研究に、演奏用の楽譜が使えないこともある。楽譜校訂者の書き加えが、しばしば多くあるからだ。例えばバッハの平均律を議論するとして、レポートに「25小節目のクレッシェンドが緊張を高め、それがフォルテで最高潮に達したとき、フーガの主題が再呈示され、スタッカートとレガートの組み合わせにより、主題がより明確に奏される」とは書けないのである。なぜならバロック時代の作品には、テラス的ダイナミクスしか存在せず、クレッシェンドというものは使われなかったし(マンハイム楽派の意義を考えていただきたい)、バッハがスタッカートやスラーを書いたとは考えにくいからである。もちろんこういった演奏用の楽譜は、演奏者に楽譜解釈のヒントを与えてくれるるという利点はある。しかし学問研究となるとそれが邪魔になることもある。作曲家の意図とは違っているかもしれないからだ。では学問研究に使われる楽譜とは何だろうか?  

 近年は、critical editionといわれるものが一般的になった。Critical editionは、多くの学者が揃って、作曲家の意図に沿った楽譜を作るための研究をした上ででき上がる楽譜だ。たいていそれは余計な指示記号等を除外したすっきりした楽譜になっている。強弱やアーティキュレーションの時代的配慮はもちろんのこと、版による音の違いも考えられている。例えばある小節のある1音について、EなのかEbなのかということが、しばしば問題になる。Critical editionは、あらゆる版の違いを比較・参照した上で、最終的に、その1音を決定する。  

 Critical editionのもう一つの特徴は、編集者が楽譜校訂上問題となった様々な問題(今述べた指示記号や音の違い、音の違い、あるいは手稿譜や出版譜のミスなど)をレポートした本がついていることだ。研究者は、本当に最終的に楽譜となったものが正しいのかどうなのか、これによって最終的な判断が自分で下せるという訳だ。  

 最近話題になっている「原典版」(Urtext)だが、それらもこういったcritical editionにもとづいたもので、楽譜としては究めて信用できる [注1]。Critical editionが入手困難な場合、こういった楽譜を使うこともあるだろう。もしレポートで楽譜の版が問題になるときは、どの版を使ったのか、脚注にでも示しておくと無難だろう。  

 ただ、少し話題がそれてしまうが、こういったcritical editionなり、原典版がそのまま演奏に使えるかというと、やや疑問が残る。というのも音楽は、楽譜がすべてではないからだ。楽譜は、音として表現されたとき、初めて音楽になる。特にバロックの場合、書かれていない多くの所に装飾音が入っていることがある。それらは演奏するとき、各々の奏者によってつけられていたもので、楽譜には必要がないものとして書かれていないのである。そうすると、当時どのような装飾がなされていたかという問題が起こる。興味がある人は演奏習慣研究の代表的な著作、Robert Donington の The Interpretation of Early Music, New rev. ed., (New York: Norton, 1989)を読むのも良いだろう(日本語訳もあるドルメッチは「歴史的」な一冊 [注2])。しかし「この本に載っている規則に従ったからいい演奏になる」とは限らない。最終的には演奏者の音楽性にもとづいた判断や、演奏家としての創造性が重要になってくるからだ。そういう点では、演奏の場合、楽譜が原典版でなければならないということにはならないと思う。  

 話を元に戻そう。Critical editionというのは、大抵作曲家の全集という形で出版されていて、簡単に目当ての曲が見つからないときがある。交響曲もオペラも室内楽も、みんな同じようなカバーで並んでいる。どうやって探したらいいのだろうか? もちろん1巻1巻探すこともできる。自分の知っているレパートリーならある程度のめぼしがつくというものだ。しかし知らない曲の場合、探すのにとても手間がかかる時がある。  

 そういう時にまず便利なのは、作曲家別の主題目録だろう [注3]。バッハを研究した人なら、シュミーダーの主題目録はご存じだろう。バッハの全作品が、シュミーダーの作った作品番号(BWV)順に並んでいる [注4]。もしカンタータ第80番を探す場合は、BWV80を見るか、索引で Ein feste Burg ist unser Gottを探す。該当ページを開くと、歌詞の作者、オーケストレーションの情報に続き、BGAとかNBAとかいう項目に当たる。「BGA XVIII, 319 u. 381 (Wilhelm Rust, 1870) -- NBA I/31; S. 73。」BGAは19世紀の古いバッハ全集で、第18巻の319ページにカンタータが、381ページには、同じメロディーで書かれた歌詞の違うヴァリアントが載っている。NBAは新バッハ全集で、シリーズ1、第31巻の73ぺージから、やはりカンタータが始まる。  

 バッハに限らず主題目録には、個々の作品に関する様々な情報が掲載されている。自筆譜や初演(演奏者の情報も含まれている場合が多い)、作品の献呈、第1版の楽譜、その後の様々な出版譜、代表的文献の情報まで載っていて、これだけで、解説などを書く際の基本的情報は手にはいる。  

 なお主題目録は、ふつう独立した書籍として出版されているが、例外もある。例えばシューベルトやベルリオーズのものがそれで、彼らの主題目録は、全集楽譜の最終巻として 出版されている。これらの全集を探すときはご注意を。参考文献の所に置いていない可能性が高い。  

 さて、次は様々な作品を集めた譜例集について考えて見よう。これまで述べてきた作曲家の全集楽譜とちがって、譜例集には多くの作曲家の作品がまとめて一冊に収められている。その目的は多彩で、実際的なものとしては、アメリカの学生が音楽史を勉強するための譜例集がある。そのなかのいくつかを例として挙げると、  

Hoppin, Richard. Anthology of Medieval Music. New York: Norton, 1978.  

Wilson, David Fenwick. Music of the Middle Ages: An Anthology for Performance and Study. New York: Schirmer Books, 1990. (ヒリアード・アンサンブルによる録音もある)  

Marrocco, W. Thomas and Nicholas Sandon. Medieval Music: The Oxford Anthology of Music. London: Oxford University Press, 1977.  

Downs, Philip G., ed. Anthology of Classical Music. New York: Norton, 1992.  

Plantiga, Leon, ed. Anthology of Romantic Music. New York: Norton, 1984.  

Morgan, Robert P. Anthology of Twentieth-Century Music. New York: Norton, 1992.  

Simms, Bryan R. Music of the Twentieth-Century: An Anthology. New York: Schirmer Books, 1986.  

 国別に音楽を集めたものもある。MonumentsとかHistorical Setsなどと言われるものがそれだ。内容的には、より学問的色が濃くなっている。例えばドイツものでは、  

Denkm獲er deutscher Tonkunst [DDT]. 1st series. 65 vols. Leipzig: Breitkopf & H較tel, 1892-1931. Repr.: 65 vols. and 2 suppl. vols., Wiesbaden: Breitkopf & H較tel, 1957-61.  

イギリスものなら、  

Musica Britannica: A National Collection of Music. London: Stainer and Bell, 1951-.  

ジャンルに限定した譜例集もある。  

Reichert, Georg, ed. The Dance. Vol. 27 of Anthology of Music. Ed. by Karl Gustav Fellerer. Cologne: Arno Volk, 1974.  

この譜例集には中世から20世紀の西洋のダンス音楽が、年代順に並んでいる [注5]。  

 特にルネサンスやバロック初期を研究するためには、こういう形でしか出版されていない作品に遭遇することが多い。問題はこのような譜例集に含まれている膨大かつ多様な曲目のなかから、どうやって自分の目当ての作品を探すかである。世界中にどんな譜例集があって、それぞれにはどんな曲目が含まれていて、など全部知っている人は相当の博学だ。そうでない圧倒的多数の人(もちろん私もこのなかの一人)には、譜例集所収の曲探しに適したガイドブックがあるので紹介しよう。  

Heyer, Anna Harriet. Historical Sets, Collected Editions, and Monuments of Music: A Guide to Their Contents. 3rd ed., 2 vols. Chicago: American Library Association, 1980.  

 この本の第1巻は「本篇」で、作曲家全集の場合は作曲家の姓の、多作曲家コレクションの場合はタイトルの、それぞれアルファベット順に譜例集がリストアップされている。各々の見出しの下には、譜例集の内容が、第1巻、第2巻…と、巻次順に並んでいる。ある特定の全集の中に、どのようなものがどのような順で収められているのかを知るのに、とても有効な本といえる。  

 第2巻の「索引」は更に便利だ。なぜならこの巻では、作品名で検索できるからだ。例えば アイヴスの<ムジカ・デ・カメラ>という曲は、Boletin編のLatino-Americano de M徭icaの第4巻にあるとか、ラッススの合唱音楽は次のような譜例集にあるとかが即座に分かる。 

(1) Antiqua Chorbuch. Vol. 1. Heft 3; Vol. 2. Heft 3 

(2) Commer. Collectio operum musicorum XVI Bd. 7, 8, 10, 12 

(3) Recueil de musique ancienne. Recueil des morceaux de musique ancienne. Bd. 2, 5, 6, 9. [注6]  

 以上、このHeyerは、多数巻からなる譜例集のみを扱っているので、1巻ものは載っていない。1巻ものの譜例集の中の曲を探すには、次の本がよい。  

Murray, Sterling E. Anthologies of Music: An Annotated Index. 2nd ed. No. 68 of the Detroit Studies in Music Bibliography. Warren, MI.: Harmonie Park Press, 1992.  

 この本の良い所は、簡略化された解説がついていることだ。試しにマショーの<わが始まりはわが終わり>を探して見よう、3つみつかった。  

Gleason, Harold. Examples of Music before 1400. New York: Appleton-Century-Crofts, 1942; 2nd corrected printing, 1945. 81-84.  

Leuchter, Erwin. Florilegium Musicum: History of Music in 180 Examples from Antiquity to the Eighteenth Century. Buenos Aires: Ricordi Americana, 1964. 33: 26-27.  

Starr, William J. and George F. Devine. Music Score Omnibus. Part 1: Earliest Music through the Works of Beethoven. First Ed. Englewood Cliffs, NJ.: Prentice-Hall, 1964. 23-24.  

 そして最初の譜例集のエントリーには、次のような記号がある。  

Sf(a3)/RSK/Mf/I/Tr  

 これらは、「フルスコア(ア・カペラ3声)/鍵盤楽器用のスコアに簡略化されている/ムジカフィクタも書かれている/インチピットがある/転調されている」ということを表わしている [注7]。  

 さて、その他楽譜に関しては、写本や古い印刷譜をどう探すか、ということなども考えなければならないが、それらはやや専門的になるので、機会を改めて扱えれば、と思う。  

 最後に、楽譜分析に役立つ文献を1つ紹介しよう。  

Diamond, Harold J. Music Analyses: An Annotated Guide to the Literature. New York: Schimer Books, 1991.  

 これは楽曲分析を含んでいる雑誌論文や博士論文が、作曲家・作品別にリストアップされている便利な本だ。例えばラヴェルのソナチネには、  

Smith, Edwin, "Ravel: Sonatine." Music Teacher 55 (March 1976): 13-15.  

という論文があり、「主題旋律と各楽章の形式の分析。無調(全音、旋法的)和声に関する言及がある」とある。ブラームスの<ドイツ・レクイエム>に関しては、  

Wastafer, Walter. "Over-All Unity and Contrast in Brahms's German Requiem." Ph.D diss., University of North Carolina at Chapel Hill, 1973.  

があるようだ。  

 なお分析に限らず、雑誌論文や修士論文、博士論文はとても有益な資料だ。それらの検索法についても、改めて考えてみるつもりだ。  

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[注1]原典版には、レポートが付いていないのが普通で、そこがcritical editionとの大きな違いだ。 

[注2]Arnold Dolmetsh. The Interpretation of Early Music of the XVIIth and XVIIIth Centuries Revealed by 

Contemporary Evidence. New ed. London: Novello, 1969. First published in 1915. 

[注3]アメリカの大学や、国立音楽大学などの図書館では参考文献(Reference)のコーナーに置いてある。 

[注4]シュミーダーのバッハ作品番号はモーツァルトのケッヘル番号のように、年代配列ではない。ジャンルごとにまとまってはいるが、作曲年代との厳密な関連づけに役に立つわけではない。 

[注5]これら譜例集は、あくまでもほんの一例に過ぎない。譜例集は無数にあると考えてもよいくらいだ。 

[注6] 実際にはこれ以外にもかなり多くあったのだが、ここでは3つにとどめておく。 

[注7] 本の冒頭に、省略記号の説明がある。


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