音楽の本まるかじり(1)



高い買い物?

東京で学生をしていた頃は、よく本を買った。神田の古書街には、お茶の水の中古レコード店探索を兼ねて、1週間に1回は足を運んでいたように思う。神田の専門古書店は、その種類も豊富なことで有名だが、値段も高い。とくにプレミアのついたものは、天井知らずのこともある。

音楽書の場合も、高い古本に出くわすときがある。私が神田で買った高い本の一つは、田辺尚雄著の『日本音楽史』(東京電気大学)の8800円(くらい)で、確かもとの値段は680円とカバーに書いてあったと思う。これはかなりの差額だ。その他、最近再販されたガイリンガー著(山根銀二訳)の『ブラームス』も5000円くらいした。これを買った時、私は「包みはいいです」と言ったのだが、お店の人は「いや、これは高価な本ですから」と、御丁寧に包装していただいたのを思い出す。私は心の中で「高価にしているのはあんたらだろ」とつぶやいていた。

古本の値段も場所によって随分違う時がある。バルトークの伝記と作品論を1冊にまとめた名著、スティーヴンスの『バルトークの生涯と音楽』(紀伊国屋書店)がその例。小金井市のとある古本屋でこれを見つけたとき、値段は4500円だったのだが、神田の音楽専門古書店では、8500円の値がついていた。ちなみにアメリカでは、原書がすでに第3版を数えていて、ぺーパーバックが17ドルくらいだ。

学部時代を過ごした新潟の場合は、値段もかなり良心的だった。一番高い買い物としては、『岩波講座 日本の音楽・アジアの音楽』全巻(岩波書店)があった。さすがに3万5千円の値段を見たときはさすがに迷いが生じた。1万円以上の本なんて見たことが無かったし、3万円なら、仕送りのお金のかなりを使うことになってしまう。 でもこの講座は注文した人しか買えなかったはずで、定価も全部買えば6、7万円になっていたはず。しかも当時大学の集中講義でいらしていた故平野健次先生の強力推薦もあり、これは逃せないと思ったのだった。

お店に何度か通ったあげく、結局貯金をおろして買ってしまったのが、内容が難しかった。講座というと、序論的な内容なのだろうと思っていたのだが、実は専門家の書いた最新の論文集で、初心者の私にはもったいない気もした。しかし付録にCDがついていて、普段聴くことのない音楽に触れることができ、それなりに価値があったと思う。

驚いたのは、同じものを神田の日本伝統芸能専門の書店で発見したときで、12万円の値段がついていたのである! これなら完全にお手上げ状態で、興味も湧かなかっただろう。地方にいるとたまにはいいことがあるものである。

古本以外にも高い本というものは存在するもので、偶然それを体感したことがあった。前述した故平野健次先生がお勧めの本に、『日本古典音楽文献解題』(講談社)というものがあった。授業で紹介があり、「たしか値段は3500円くらいだ」と言われ、それならとさっそく生協で注文したのだった。2週間後に本が到着し、支払の時が来た。そのとき、生協の人は、「はい、1万8千円で〜す」と言われた。一瞬耳を疑った。本の裏を確かめた。確かに1万8千円だ! どうしよう。

その時はそんなお金も持っている分けがなく、とりあえず家に帰った。しかし運というのはあるもので、ちょうど実家から祖母が来ており、つい甘え言葉の一つでお金をもらってしまった!

そんなに無理して買わなくても…と今さらながら思うが、『日本古典音楽文献解題』は、日本の音楽の基本的資料をリストアップし、詳細なコメンタリーが加えられている。この分野を研究するには決定的な資料の一つなのであった。もちろんこの手の辞典類に特有の問題(最新の情報まで入れることができないなど)もあるが、そのような些細なことは全く気にならないほどの情報がつまっている。洋楽や民俗芸能を除く、日本の古典音楽に関する信頼できる古文書・書籍・雑誌・録音資料への強力なガイド役をつかさどるだろう。

しかし私が学部時代買った最も高い本はこれではなかった。『小泉文夫の民族音楽』(ラジオたんぱ)が高価な書籍No. 1だった。これは小泉さんが生前放送大学向けに行った16回分の講義テープで(だから書籍ではないと言われれば、それまでだが)、これが最高に面白いのだ。世界の民族音楽が録音とともに学べるだけでなく、民族音楽を勉強したくなってしまうのだ。おかげさまで、青土社からでていた彼の本を、神田で高い値段を払ってかうことにもなった。もっとも最近は『音楽の根源にあるもの』、『小泉文夫フィールドワーク』、『日本の音』などは再版されている(出版社失念)。なおこのテープには美しい解説書もついていて、これだけ買うこともできる(テープだけ買うことはできない)。広い人にお勧めしたいが、値段がなかなかのもの。これは秘密にしておこう。

この時に比べると、いまは貧乏な学生になってしまった。金目当てに私を襲わないでくださいね。


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