Mr. Tの現代アメリカ音楽講座




1999年1月


これは新潟県新津市にあるFM新津の番組「ドクターヨコサカのクラクラクラシック」において、2月末に放送されたアメリカ音楽紹介の原稿です。


皆様こんにちは、フロリダ州立大学院の谷口です。

先月末の放送では、日本であまり知られることのないアメリカ音楽から、西洋音楽の主流であるヨーロッパの面影を強く残した3人の作曲家たち、ペイン、チャドウィック、パーカーという人達をご紹介しました。フォスターやガーシュインといった作曲家、あるいはジャズやミュージカルといったいかにもアメリカ色を強く思わせる日本でもおなじみのアメリカ音楽をあえて避けまして、そういった典型的なアメリカ音楽作品だけでは見えにくいアメリカ音楽の多彩さと知られざる面白さを皆さんとともに楽しみたい、というのが、私の目的の一つでした。

特に、その時ご紹介した作品は、ベートーヴェンやブラームスといったドイツ・ロマン派音楽の王道を行く作曲家たちの響きを持った音楽でありまして、ちょっと聴いただけでは、あるいは一生懸命に聴いても「いったいこれはどこの国の人の作品なのかな」、と思わせるなものだったかもしれません。

ヨーロッパ各地からの移民が、いわゆる今日の近代国家であります合衆国を築いた主要な民族の一つであることは間違いないんのですが、インディアンとよばれるアメリカ先住民の音楽を除けば、アメリカの音楽の歴史といいますのは、たかだか2百年ちょっとしかありません。先月ご紹介した作曲家たちの活躍した時代もせいぜい19世紀末から20世紀の冒頭数十年ばかりです。しかし、そのもとであるヨーロッパ文化が移植され、20世紀初頭にはすでにアメリカ音楽の基礎が曲がりなりにも出来ていたという事実も見逃せません。

今回の「くらくらクラシック」は、前回に引き続き、ヨーロッパ的な伝統に基づきながらも、アメリカ的な響きを作ろうとした作曲家たちの試みをご紹介したいと思います。

最初は1839年コネチカット州に生まれた、ダドリー・バックという人をご紹介します。バックは、18歳の時、当時の作曲家がみなそうしていたように、ドイツに留学しました。帰国後は、主に合唱曲で名を上げたのですが、教会のオルガニストとしても活躍しまして、オルガンのためのソナタなども書いております。

今日お聞きいただきますのは、バックが1868年に作曲した、オルガンのための変奏曲です。変奏曲という形式は、モーツァルトもベートーヴェンも、それ移行の作曲家もすでにたくさん作っておりまして、バックが何か特別に新しいものを付け加えた訳でもありません。しかし、この変奏曲、今は正式なタイトルを伏せておきますけれども、ある有名な旋律を使っているために、アメリカ人の愛国心に訴えたようです。皆さんも、お聞きになればそれが実感出来ると思います。

ということで、さっそくですが、ダドリー・バックの書いたこのオルガンのための変奏曲を、ジェームス・E・ジョーダンの演奏でお聞きいただきましょう。正式なタイトルは曲の後にお知らせします。

[ここで音源]<星条旗>による演奏会用変奏曲/ダドリー・バック作曲/ジェームス・E・ジョーダン(オルガン)/演奏時間:10分23秒/使用CD:Gloriae Dei Cantores GDCD 011

ただいまお聞きいただきましたのは、現在アメリカの国家として歌われております曲をつかった変奏曲でして、タイトルは「<星条旗>による演奏会用変奏曲」でした。この曲が始めて演奏された時、その演奏会では他にもバックの作品が数曲演奏されたようですが、特に<星条旗>による変奏曲が演奏されたあとは、聞き手がとつぜん目覚めたように拍手喝采したといいます。アメリカ人にとってヨーロッパ風の音楽が、とたんに自分たちの見近な存在として感じられ、共感を呼んだのでしょう。

次は、ヨーロッパの音楽伝統に基づき、しかもアメリカの土地に長く存在する音楽伝統、つまりアメリカ先住民の音楽を下敷きにしたアメリカ音楽をご紹介します。

ご紹介する作曲家は、エドワード・マクダウェルといいます。1861年生まれのマクダウェルは先月ご紹介した作曲家たちがドイツに留学したのに対しまして、まずフランスへ留学しました。マクダウェルはかの有名なパリ音楽院に入学し、同期には印象派の作曲家として後に知られるようになるドビュッシーもいたのですが、どうやら勉学の方はあまりうまくいかなかったようでして、3年後再び今度はドイツのシュトットガルトやフランクフルトで勉強いたします。10代の後半から20代の後半をヨーロッパで過ごした彼は、19世紀後半に見られた国民学派の作曲家に影響されます。ヨーロッパの主流であったドイツ音楽に対し、ドヴォルザークやチャイコフスキー、グリーグといった、東欧や北欧の国々の作曲家がそれぞれの民族の表現を探究したのが国民学派だったのですが、マクダウェルはこれを自分の故郷、アメリカの表現にも使おうと思ったのでした。

マクダウェルが注目したのが、アメリカ先住民、いわゆるインディアンでした。19世紀後半には、アメリカ先住民の音楽がいくらか、ヨーロッパ系アメリカ人によって楽譜にされておりまして、マクダウェルもいくらかそういう楽譜にかかれたインディアンの音楽を使って、これからお聞きいただく、オーケストラのための組曲第2番<インディアン組曲>をつくりました。ところが、マクダウェルの音楽の作り方が非常にヨーロッパ的であったために、当時のある批評家からは、この曲は「美しいがインディアン的でない」と言われ、別の批評家からは「インディアン的だが美しくない」といわれたそうです。みなさんはどうお考えになりますでしょうか。

それでは、5つの楽章からなる、エドワード・マクダウェルの<インディアン組曲>から、哀れみの歌と漢字で書く、哀歌、そして村の祭りとだいされた2つの楽章をお聞きいただきましょう。演奏はジークフリート・ランドー指揮のウェストファリアン交響楽団です。

[ここで音源] <インディアン組曲>から、<<哀歌>>、<<村の祭り>>/エドワード・マクダウェル作曲/ジークフリート・ランドー指揮ウェストファリアン交響楽団/演奏時間:12分08秒使用CD:VoxBox CDX 5092 (CD 2 of 2 CDs)

最後は、何となくアメリカっぽいアメリカ音楽、というのをご紹介しましょう。この何となくアメリカっぽいというのは、特定のアメリカ的な要素、例えばこれまで聞いていただいたように、アメリカの国家を使うだとか、インディアンの音楽を使うとかせずとも、アメリカ的な響きがする、そういった音楽のことをイメージしています。その例として、今回はハワード・ハンソンという作曲家を取り上げます。

1896年、ネブラスカ州に生まれたハワード・ハンソンは、音楽教育の基礎をアメリカ国内で終え、ローマに留学しました。彼の両親はデンマークからの移民であったようで、批評家は、それをもとにハンソンの音楽は北欧的な響きがすると言っていたそうですが、ハンソン自身は、自分は常にアメリカ的な音楽を書いているのだと主張していました。

これからお聞きいただきますのは、1930年に作曲された交響曲第2番で、<ロマンティック>というタイトルがつけられております。<ロマンティック>といいますと、クラシックファンの方にとっては、オーストリアの作曲家ブルックナーの交響曲が思い起こされると思うのですが、ハンソンの場合は、おっとりとしたブルックナーとは違って、もっと若々しく熱のこもった力強い響きになっています。もしかしたら、ハンソンはそういうところに自分のアメリカらしさを感じていたのかもしれません。

では、ハワード・ハンソン作曲、交響曲第2番<ロマンティック>から、今回は時間の都合で最終楽章のみをお聞きいただきます。演奏は作曲者ハワード・ハンソン指揮、イーストマン・ロチェスター管弦楽団です。

[ここで音源] 交響曲第2番<ロマンティック>から最終楽章/ハワード・ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団/演奏時間9分25秒/使用CD:Mercury 432 008-2

ヨーロッパ系の移民が主要民族であるアメリカで、その母国の音楽から抜け出すということはそれほど容易なことではないと思うのですが、今日ご紹介した作曲家たちは、多かれ少なかれ、アメリカらしさを追及していたと思います。それは我々日本人の見方からは必ずしも成功していないかもしれませんが、こういった試みを多く積み重ねていくことで、何かしら自分達のアイデンティティを求めた作曲家がアメリカにもいたのだ、ということを知っておくことは大切だと思います。


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