Mr. Tの現代アメリカ音楽講座




1998年10月16日


これは新潟県新津市にあるFM新津の番組「ドクターヨコサカのクラクラクラシック」において、1月末に放送されたアメリカ音楽紹介の原稿です。


皆様こんにちは、フロリダ州立大学院の谷口です。

アメリカ音楽といいますと、皆さんは何を思い浮かべられるのでしょうか? やはりジャズやポピュラー音楽でしょうか。それともこの番組でも紹介されたラグタイムでしょうか?

学校の音楽の時間でアメリカ音楽といいますと、<草競馬>や<金髪のジェニー>、<スワニー河>といったスティーヴン・フォスターの歌曲がしばしば歌われておりますし、鑑賞の時間には、<聖者が街にやってきた>といった愛国歌や、ミュージカルなどが聴かれているのではないでしょうか。

クラシック音楽に詳しい方ならば、ジャズの影響を強くうけたアメリカ人作曲家のことをご存じかもしれません。例えばガーシュイン。<ラプソディー・イン・ブルー>や<パリのアメリカ人>など、一度聴けば、そのアメリカらしい響きが心に残ることでしょう。あるいは、ジャズを直接使わなくともアメリカ的なものを題材にした音楽もあります。例えば、ファーディ・グローフェという人はコロラドにある大峡谷、グランド・キャニオンを題材に壮大な風景を音に託し組曲<グランド・キャニオン>を書きました。

こういった曲を聴きますと、私たちはほぼ瞬間的にアメリカ的な音の世界に浸ることができます。日本にいながら、アメリカを旅行したような気分になるかもしれません。

しかし、私のようにアメリカに長いあいだ住んでおりますと、こういった日本でよく聴かれるアメリカ音楽の「古典」とされるような作品は、実際にアメリカで作られた音楽のほんの一部でしかないことが分かります。つまり、日本にはまだ紹介されていないアメリカのクラシック音楽が山のようにあるということなのです。

今回の「くらくらくらしっく」では、そういった、日本ではほとんど紹介されることのないアメリカ音楽の中で、もっとも保守的な側面を表している3人の作曲家を紹介したいと思います。

私がいま、保守的と申しましたのは、これからご紹介する作曲家たちが、アメリカ人らしさを特に前面に打ち出すことをせずに、ヨーロッパから与えられたクラシック音楽の伝統を忠実に守った、ということからなのです。人によっては、彼らの音楽があまりにもヨーロッパ的に響くために、アメリカ的な要素が全くないじゃないか、と言われるかもしれません。実は本国アメリカでも、つい最近までそういった理由で保守的作曲家が批判されておりまして、どんなに立派な音楽を書いても、アメリカ的でないというだけで軽視され、忘れ去られた存在になっておりました。世代的には、19世紀後半から20世紀の前半に活躍した作曲家なのですが、ちょうどこの時代、日本では明治維新のあと、西洋音楽が一般に幅広く浸透しつつあった時代であったということも、ここに付け加えておきましょう。

では、まず論より証拠ということで、一曲聴いてみましょう。最初の作品はジョン・ノウルス・ペインという人の書いた序曲<お気に召すまま>です。ペインは1839年メイン州に生まれ、ドイツで正式な音楽教育を受けました。アメリカに帰国してからは、ハーヴァード大学に勤めていたのですが、じつは、当時ハーバード大学にはまだ音楽学部がなく、ペインはその設立に力を注いだ人として、アメリカの音楽史の中では大変重要な存在となっております。

今回お聴きいただきます演奏会用の序曲<お気に召すまま>は、シェイクピアの書いた同名の劇にもとづいた作品なのですが、特に物語そのものを忠実に音楽で再現するという訳ではないようです。しかし、その厳かで華やかな、それでいてどことなくユーモラスな舞台劇の雰囲気が彷彿としています。オーケストラの響きは、ペインのドイツ留学の成果がはっきりと現れておりまして、ブラームスやべートーヴェンといったヨーロッパ音楽の王道を感じさせる仕上がりになっています。実はこの作品、ハーバード大学にできた新しいコンサートホールの開幕のためにかかれたのですが、当時のアメリカ人達の音楽嗜好が、いかにヨーロッパを向いていたかということが、この作品からも伺えると思います。

ではジョン・ノウレス・ペイン作曲の序曲<お気に召すまま>を、ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でお聞きいただきましょう。

[ここで音源] 序曲<お気に召すまま>/ジョン・ノウレス・ペイン作曲/ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモーニック/演奏時間:10分10秒 使用CD:New World NW 374-2.

次はジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィックという作曲家を取り上げます。チャドウィックは1854年マサチューセッツ州郊外の生まれ。ボストンのニューイングランド音楽院に学んだ後、ベルリン、ライプツィヒ、ミュンヘンと、3年間をドイツ各地で過ごしました。1880年にボストンに戻ってからは、自宅で音楽を教えていたのですが、1892年、母校ニューイングランド音楽院の教師となり、後進の指導に当たりました。

今回お聞きいただきますのは、チャドウィックが1895年から96年にかけて作曲した組曲<交響的スケッチ>から<<ノエル>>という曲です。この<<ノエル>>といいますのは、フランス語によるクリスマスの曲のことなのですが、チャドウィックはその雰囲気をくみ取り、とても暖かで情感豊かな音楽を作り上げています。さきほど聴いていただいたペインよりも、凝った和音を多く使っておりまして、作曲技法の冴えも見せてくれます。実は作曲者チャドウィックの息子さんの名前もノエルというそうでして、題名には、何かしら個人的な感情移入もなされているのかもしれません。

では、ジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィック作曲、組曲<交響的スケッチ>から第2楽章<<ノエル>>をお聞きいただきます。演奏は、ホセ・セリブリエール指揮チェコ州立フィルハーモニー管弦楽団です。

[ここで音源] 組曲<交響的スケッチ>から第2楽章<<ノエル>>/ジョージ・ホワイトフィールド・チャドウィック作曲/ホセ・セリブリエール指揮チェコ州立フィルハーモニー管弦楽団/演奏時間:8分15秒 使用CD:Reference Recordings RR-64 CD

最後は、1863年マサチューセッツ州に生まれたホレーショ・パーカーという人の作品です。パーカーは作曲を、たったいま聴いていただいた曲の作曲者チャドウィックに学びました。そして、1880年ミュンヘン高等音楽院に留学し、これまたチャドウィックのドイツ時代の先生だったファインベルガーという人に3年間師事しました。アメリカに帰国後は、イエール大学で教鞭をとったのですが、彼の弟子の中には、後にアメリカ音楽を代表する作曲家となるチャールズ・アイヴズもおりました。アイヴズの作品をお聴きになった方はご存じだと思うのですが、アイヴズの作品は新鮮な響きにみちあふれていいます。音楽文化の発祥地であったヨーロッパの最先端をいく作曲家よりも、さらに進んだ音楽のを開拓しておりました。しかし、同時にアイヴズの音楽には、古き良きアメリカを思わせる懐かしさがあることも否定できません。そういった哀愁を音楽として実現させたのは、やはり伝統的な作曲法をイエール大学時代に、ホレーショ・パーカーとともに学んだことにあるのではないか、と思われるのです。

チャドウィックの音楽が色彩豊かな管弦楽法を特色としたのに対しまして、パーカーは北欧の音楽を思わせるくすんだ色調を持っております。次にお聴きいただきます、パーカーの最高傑作といわれる<審判の時>という合唱曲からも、その響きの重厚さが感じられることでしょう。クラシック音楽に詳しいかたは、この曲がイギリスの大作曲家エルガーやウォルトンに通づる端正さや荘厳さを持っていることが感じられるかもしれません。パーカーが、のちにオックスフォード大学から名誉博士号を受け取ったことも、彼の音楽がいかにイギリス人に共感したのかを物語っているのかもしれません。

それでは、ホレーショ・パーカーの合唱曲<審判の時>から、今回は時間の都合により、最終楽章のみをお聞きいただきます。演奏は、アンナ・ソラッノ(ソプラノ)、ジュリー・サイモン(メゾソプラノ)、ケント・ホール(テノール)、デュアン・アンダーソン(バス・バリトン)、アーベントムジーク合唱団、ネブラスカ・ウェスリアン大学合唱団、ネブラスカ室内合奏団、指揮はジョン・レヴィックです。

[ここで音源] <審判の時>から最終楽章/ホレーショ・パーカー作曲/アンナ・ソラッノ(ソプラノ)、ジュリー・サイモン(メゾソプラノ)、ケント・ホール(テノール)、デュアン・アンダーソン(バス・バリトン)、アーベントムジーク合唱団、ネブラスカ・ウェスリアン大学合唱団、ネブラスカ室内合唱団、ジョン・レヴィック指揮/演奏時間:10分13秒 使用CD:Albany TROY 125 (2枚組 TROY 124-125の2枚目)

こういったアメリカで作られたヨーロッパ風の音楽を聴いてまいりますと、アメリカの文化というのものが、いかにヨーロッパに深く根差しているかが分かります。しかし、アメリカ人がこういったヨーロッパの模倣に甘んじなかったのは言うまでもありませんで、今回ご紹介した3人の作曲家の後の世代の人々は、みなアメリカらしい表現を探究し、アメリカらしいクラシック音楽を作り上げていったということを、最後に付け加えておきたいと思います。


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