Mr. Tの現代アメリカ音楽講座



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2000年11月20日アップロード


これは新潟県新津市にあるFM新津の番組「ドクターヨコサカのくらくらクラシック」において、2000年10月末に放送されたアメリカ音楽紹介の原稿です。


皆さん今日は。フロリダ州立大学院の、谷口です。

今月の「現代アメリカ音楽講座」は、ユニークな音楽作りで有名な、ピーター・シックリーという作曲家、そしてこのシックリーが生涯をかけて研究しているというP. D. Q. バッハの音楽をお送りしたいと思います。

ピーター・シックリーという作曲家、日本ではほとんど、その名が知られていないのかもしれませんが、アメリカでは、数多くのCDをだす人気作曲家といえましょう。

その人気の秘密なんですが、これは、もう、私がとやかく説明するよりは、作品を一つ聴いていただいた方がてっとり早いんではないかと思いますので、さっそく曲の方を聴いてみることにいたしましょう。

タイトルは、《アイネ・クライネ・ニヒト・ムジーク》といいます。大作曲家モーツァルトの作品に《アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク》というのがありますが、これは、日本語に訳すと、小さな夜の音楽、となります。この「夜」というのが、ドイツ語では「ナハト」に当たるわけですね。では「ニヒト」というのは、何かと言いますと、これは英語で「Not」に当たる言葉でして、《アイネ・クライネ・ニヒト・ムジーク》、日本語では、非常の非という漢字を使いまして、小さな「非」音楽ということになるのでしょうか。

では、ピーター・シックリー作曲の、小さな非音楽、《アイネ・クライネ・ニヒト・ムジーク》第1楽章と第4楽章をお送りします。演奏は、曲を作りましたピーター・シックリー自身の指揮によります、ニューヨーク寄せ集め合奏団です。

[ここで音源] アイネ・クライネ・ニヒト・ムジークから、第1・第4楽章/ピーター・シックリー指揮ニューヨーク「寄せ集め」合奏団/使用CD=Vanguard 79399-2

《アイネ・クライネ・ニヒト・ムジーク》を、え〜、まあ、作曲〜しましたシックリーですが、自称音楽学者ということにもなっておりまして、CDの解説などにも、プロフェッサー・ピーター・シックリー(シックリー教授)という名前が記されております。このシックリー教授のご専門は、今年没後250年を迎えるドイツの作曲家のヨハン・セバスチャン・バッハの知られざる息子だとされている、P. D. Q. バッハという作曲家です。不思議なことに、このP. D. Q. バッハの作品、かなりの数がアメリカ国内で発見されているようで、また、ドイツ人作曲家ということが信じられないほど、アメリカ的なセンスを持っております。私などは、シックリー教授がP. D. Q. バッハをドイツの作曲家としていることに、強い疑いを持っているくらいです。

では、そんなP. D. Q. バッハの作とされている音楽から、まずは《ミサ・ヒラリアス》という作品をお送りします。シックリー教授によりますと、この曲の自筆譜は、1971年、ローマはバチカンの資料室で発見されたことになっております。タイトルの《ミサ・ヒラリアス》ですが、いろんな風に訳せると思うのですが、私はこれをとりあえず《お笑いミサ》と訳しておきたいと思います。ちなみに、シックリー教授、P. D. Q. バッハの作品目録も作っておられるようで、ご自身で開発された作品番号をつけています。参考までに、この《ミサ・ヒラリアス》には、シックリー番号N2Oがついております。

では、バーゲン・カウンター・テナー、オーケストラと合唱のための《ミサ・ヒラリアス》シックリー番号N2Oから、第1楽章をお送りします。普通ミサ曲の第1楽章はキリエと言うのですが、この作品では、イリェケとなっております。演奏は、ジョン・フェランテのカウンター・テナー、ピーターシックリー指揮のニューヨーク「寄せ集め」合奏団、ならびにブルックリン少年合唱団です。

[ここで音源] バーゲン・カウンター・テナー、オーケストラと合唱のための《ミサ・ヒラリアス》(S. N2O)から、第1楽章<イリェケ>/P. D. Q. バッハ作曲(?)/ジョン・フェランテ(バーゲン・カウンター・テナー)、ピーターシックリー教授指揮ニューヨーク「寄せ集め」合奏団、ブルックリン少年合唱団/使用CD=Vanguard 79399-2/演奏時間=4分51秒

3曲目は、再びP. D. Q. バッハの作品。《短気律クラヴィーア曲集》から、2つの前奏曲とフーガをお送りします。大バッハ、ヨハン・セバスチャンの名曲に《平均律クラヴィーア曲集》というのがありますが、P. D. Q. バッハは、持ち前の性格のためか、ちょっと短気に調律されたピアノのために、この作品を書いた、ということなのでしょうか。ちょっと私にも分かりません。大バッハに習いまして、1オクターブ内のすべての長調・短調を使って曲を書こうと試みたそうですが、楽譜には「特に難しい調は除いて」という但し書きが書いてあるそうです。どうしちゃったんでしょうか?

では、クリストファー・オライリーのピアノで、P. D. Q. バッハの《短気律クラヴィーア曲集》から、第3番嬰ハ短調、第6番変ホ長調、第10番イ長調をお送りします。なお、この曲のシックリー番号は、3.1415926ほど簡単、となっているそうです。

[ここで音源] 短気律クラヴィーア曲集(S. 3.1415926ほど簡単)から、第3番嬰ハ短調、第6番変ホ長調、第10番イ長調/P. D. Q. バッハ作曲(?)/クリストファー・オライリー(ピアノ)/使用CD=Telarc CD-80390

最後は、P. D. Q. バッハの音楽をもう1曲お送りすることにしましょう。タイトルは序曲《1712年》です。

シックリー教授によりますと、ヨハン・セバセチャン・バッハ関連の資料では、1712年に関する資料が異常に少ないのだそうで、それは、実は、バッハが、当時イギリスの植民地だったアメリカを訪れ、西マサチューセッツの教会に新しく建立されたオルガンの試奏(試し弾き)をしたからだそうなのです。バッハのこの、知られざる旅は、バッハ家のいわば伝説となり、そののちも、末永く語り継がれたそうなんですが、このシックリーの説、全くほかの音楽学者から相手にされていないそうです。しかし、その理由もシックリー本人に言わせれば、「ヤツラは伝記本を書き直すが面倒くさいから、バッハのアメリカ旅行を省いているだけ」なのだそうです。

ま、その話の真偽については、とりあえず、おいとくことにしまして、P. D. Q. バッハの序曲《1712年》は、この大バッハのアメリカでのオルガン演奏を記念して作られた曲だそうです。P. D. Q. バッハは大バッハの一番小さな息子、とシックリー教授は主張しているのですが、この音楽は、とてもバッハの息子時代の人物が作ったとは思えないほどの大オーケストラもつかっており、なぜか、有名なロシアのある作曲家の名曲に大変似ている箇所があるのが、とても不思議です。

では、ピーター・シックリー教授指揮、フープル地方シーズン・オフ管弦楽団の演奏で、P. D. Q. バッハの序曲《1712年》シックリー作品番号1712をお聞きいただきましょう。なおオーケストラの名前になっているフープルは、シックリーが教鞭をとっている大学のある、ノースダコタ州の町、なのだそうです。

[ここで音源] 序曲《1712年》(S. 1712)/P. D. Q. バッハ作曲(?)/ピーター・シックリー教授指揮フープル地方シーズン・オフ管弦楽団/使用CD=Telarc CD-80210/11分33秒


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