最近見たもの、聴いたもの (76)


2004年9月執筆分
2014年7月16日アップロード


2004年9月28日

"Diversions." Calliope: A Renaissance Band. Summit Records DCD 112.

ルネサンス舞曲を集めた楽しいアルバムといってしまえばそれまでだ。しかしここではヴィオール族+リコーダーとコルネット+サックバットといった、音量の変化が面白い。ルネサンス時代には、楽器群は「内」と「外」という分類で分けられていたという。なるほどこうやって聴くと、はっきり音量差があるものだ。Summitというアメリカのレーベルは、割と地味な管楽器のCDばかりを出しているのかと思っていたが、こういう趣向のものもあるのだと認識を新たにした。

フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルでズサート組曲を楽しんだ私にはトラック (13) のロンド (17) (18) ブランスル(後者は確かPJBEではバスダンスというタイトルだった)も懐かしい。アントワープの出版社であるズサートの舞曲については、フィリップ・ピケットやデヴィッド・マンロウも録音している。本当にいろいろに演奏できるものだ。

なお打楽器、パイプとタンブール、ショーム、リコーダー、クラムホルンを演奏しているベン・ハームスはスティーヴ・ライヒ・アンサンブルでも定期的に演奏しているそうだ。

私のいた大学のコレギウム・ムジクムもこんなに上手かったらなあ。リコーダーは、まだピッチが合いやすかったけど、ダブルリード系は大変そうだった。


2004年9月24日

素顔のゲルギエフ (コンサート+講演)

ウイーン・フィルが11月に公演するのを記念して、「お話と音楽の夕べI」として、標題の催し物が行われた。場所は北日本新聞ホール。

地元出身のチェロ奏者高田剛志によるチャイコフスキーとラフマニノフの小品が2つずつ(伴奏は奥さんの林真生)。まだ楽譜からの音楽であることが感じられてしまったが、確かな技術で安心して聞けたのは良かったと思う。

メインは元NHKモスクワ支局長という小林和男氏によるビデオ上演と短いコメントだった。彼は、この指揮者を駆け出しの頃から知るという一愛好家という印象。NHKのドキュメンタリーの方は人間としてのゲルギエフに迫るもの。ロシアの政治・周辺地域の状況の中に生きたゲルギエフの存在、そしてキーロフ・オペラを改革した情熱人としての彼の人生といったところか。コーカサスの険しい山々から挑戦することを学んだという。それに加えて山好きのゲルギエフと富山との親和性(極めて表面的ではあるが)、ならびに小林氏本人の富山にまつわる話(これもゲルギエフとは関係ない個人的話題ではあるが)。

メインのドキュメンタリー番組からの抜粋は、ゲルギエフについて、ロシアについて無知な私にとっては、楽しめるものであった。一方で音楽的な話題、例えば彼がどういう方向性の音楽を考えているのか、自国音楽に対してどのように考えているのか、富山公演にチャイコフスキーの《悲愴》を持ってくる意義といった、コアな部分がなかったのが残念ではあった。

ただ、この催し物は、入場無料ということもあったのだと思うが、北日本新聞ホールが満席になるほどの人気であったし、それによって、多少なりともゲルギエフという指揮者の存在についてアピールしたこと、そして彼がウイーン・フィルとともに、富山で記念碑的なコンサートを行うことなどは、とりあえず広まったのではないかと思う。

個人的にはゲルギエフ/WPHという組み合わせが小林氏の言うような「ドリームチーム」かどうかは分からない。演目がゲルギエフにとってはお国ものであるのにウイーン・フィルにとってはそうではないことに対するもどかしさ、あるいはチケットが富山という地域においては破格であることの問題、そういったことも、一方では聞かれている。

また、指揮者の人間としての魅力=音楽の魅力でないことも確かでもある。ゲルギエフの生きた激動の時代、またその中で自国に止まりロシア文化に貢献した彼の姿は素晴らしい。一方で彼の音楽のどういったところに魅力があるのか、何が「実力」であるのかというのは、やはり彼の文化的背景、民族の歴史、人間的情熱だけでは分からない。彼の人間像に思いを馳せることによって音楽に親しむ、コンサートに足を運ぶということは、それはそれで、ゲルギエフの言葉を借りれば「目先のお金」につながるかもしれない。しかしもし富山の音楽を長いスパンで考えた時、実質として残すべきはどういうことであるのか、そういったところをおざなりにはできないと思う。何年後か、コーカサスの故郷に凱旋するゲルギエフのような存在が富山から輩出するのだろうか


2004年9月11日

アナログを語る会9月

福光のラモヴェールで開催された同会に出席。アナログレコードやビデオテープによる音楽を楽しむ。今月からは持ち回りでDJを入れることになった。9月は村山一雄さんが担当。映画『カーネギーホール』からヴォーン・モンローの歌唱。ビヴァリー・シルズの《キラキラ星変奏曲》、シルズコステラネッツと共演で歌ったハーバート、これらに加え《我が街ウイーン》など、地名の入った歌、そして会員の一人である卯木さんのハワイアン演奏など。多種多様。来月はDJも担当することになっているので、いまから選曲をしなければ。

その他印象に残った演奏としては、ジョン・ブラウニング(ピアノ)/小澤/LSOによるチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番(日本ビクター[RCA] SRA-1550)。鮮やかなピアノは、彼のバーバーのピアノ協奏曲を思い起こさせた(私がボストンにいた時も小澤とバーバーの協奏曲をやっていて、私はラジオで聴いたのだが、そちらはあまりパっとしなかった)。その他にはアンドニオ古賀の『昭和枯れすすき』(アルバム『弾き語りの神髄』コロムビアAX-717)。思ったより絶望的に聞こえなかったのが興味深い。

私の方は米国空軍軍楽隊の演奏による愛国主義的音楽(非売品レコード)を再生。アメリカを知る方からは「これぞアメリカだ」というコメントをいただく。


2004年9月 5日

廣田宙外先生メモリアル・コンサート

富山市民プラザで行われた同名のコンサートに出席。もちろん私はこの廣田氏とも東京音大とも無縁であるが、やはり富山の才人を知るチャンスだと思い、出かけてみた。

コンサート前半は満席の中で、東京音大在学・卒業・在職の音楽家によるコンサート。なかなか良いレベルで楽しめた。特にソプラノの市川倫子の独唱による《トスカ》から<歌に生き恋に生き>が、短いながらも安定した歌唱だったと思う。

後半は廣田氏作曲による作品が多数聞かれた。西尾尚美編曲による斉唱の作品がアレンジの腕も良く、面白く聞いた。この編曲については、今後もどこかで演奏される機会がないかと思う。

岩河三郎の作品を聞いたのは、本当に久しぶり。気のせいか合唱の歌声も洗練されていたようだった。

それにしても、生前廣田氏を知る人、影響された人は本当に多いのだなあと実感した。

音楽会であるよりも社交の場であることを考慮してはいるけれど、一応苦言を呈すれば、演奏の最後の音が切れようとする瞬間、演奏が始まった瞬間にフラッシュと共に大きな音でシャッターを切る写真屋の方、もう少しこれが演奏会でもあることを考慮して欲しかった。これは主催者の方へのお願いであるべきなのかもしれないけれど。


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