最近見たもの、聴いたもの (72)


2004年8月3日アップロード


04.7.20.

「夢であいましょう」〜上を向いて歩こう特集〜 1963 (昭和38) 年6月8日放送、録画日不明(おそらく1991年か92年)

BS-2で放送された、『青春TVタイム・トラベル』という、過去の番組を振り返って再放送するシリーズ企画の中で放送された「夢であいましょう」の1エピソード。坂本九の《上を向いて歩こう》が世界的大ヒットとなったのを記念して組まれた特集である(この《スキヤキ・ソング》は、その後もカバーが出ていたようで、私がアメリカにいた時も、知っているアメリカ人が何人かいたようだ)。

黛敏郎は『題名のない音楽会』の「帰って来い音楽番組」の回で「夢であいましょう」を「世界の音楽」「ヒットパレード」「ミュージックフェア」とともに、「音楽番組」の一つとして捉えていた。彼のいう「音楽番組」というものは、どういった性質のものなんだろう? 彼は「歌番組」とは違うと述べていた。そうすると「歌」が中心でない…いや、そうではないだろう。「夢であいましょう」だって、《上を向いて歩こう》を特集しているではないか。

そうすると、流行歌のプロモートとは一線を画した番組ということなのだろうか? そういえば現在も放送されている「ミュージックフェア」もスポンサーは視聴率を度外視してやっていると聞く。そうすると《スキヤキ・ソング》や《こんにちは、赤ちゃん》は、たまたまヒットソングになっただけ??? 事情に詳しい人に訊いてみたいものだ。

ところでこの番組はわずか30分しかないのだが、その内容は実に濃厚で(コントの方はいま一つだが)、テンポも非常に良い。今火曜日8時からやっている演歌を中心とした「ミニ紅白」のようなNHKの「歌番組」(?)からは考えられないくらいである。スタジオでやっている分、聴衆の反応は分からないけれど、生放送ならではの緊張感が伝わってくる。それにしても司会者が話しているバックで「ガタン、ゴトン」とすごい雑音が入っているが、あれはセットを移動しているのだろうか。さぞかし大変だったのだろうなあ。

この坂本九のエピソードでは、フランス語やベルギー語などヨーロッパ言語に訳された(あるいは各言語で新たに創作された)歌詞を永六助が再翻訳して日本語で歌うという企画もやっている。これがなかなか面白い。「はるけきフジヤマ」「さよならゲイシャ・ベイビー」とか「お姫様、王子様」など、ちょっと日本語の元歌からは考えられない歌詞のもある。ところがこれも非常に音楽的に歌われているので、あまり嫌みになっていないところがすごい。

番組最後も《上を向いて歩こう》なのだが、このアレンジが素晴らしい。まず田辺靖雄がバラード調にスタートし(彼の歌は初めて聴いたが、本当にうまいなあ)、デューク・エイセスがスイング調に、坂本スミ子がラテン風に盛り上げ、最後に「御本家」 (by 黒柳徹子) がブラスのオカズとともに華々しくフィナーレを飾る。今こんな素敵なアレンジのできる人はいるんだろうか?

テレビのチャンネルは地上波、衛星波、CATV etc. etc. とやたらに増えたけど、クオリティの高いバラエティというのは少なくなったんだろうなあと思う(テレビは基本的にみないので、残念ながら分からないのだが)。

ところでこの番組では《上を向いて》以外に《Who's Got the Pain》というラテン風の曲も派手なダンス付きで演じられている(妙にインパクトのある踊りだ!)。どうやら英語らしい…のだが、聴き取れなかった。ネットで別の歌手が歌ったサンプルを聴き、歌詞を見て、ようやく意味がつかめた。当時はこんな発音でも良かったのかなあ。ちなみに《Damn Yankees》というミュージカルの中の一曲らしい。


04.7.26.

カルロス・クライバーが亡くなったそうだ。昨年末《田園》のCDが出た時、「もしかして危ないのかな?」とは思っていた。それでもやはりショックであった。日本ではおそらく、ベートーヴェンの第4交響曲のライヴ録音がオルフェオ・レーベルからリリースされて、彼への認知度が高まったと思う。当時私はそもそもベートーヴェンの第4がどういう曲かも知らなかった。だから速度が異常に速いと言われてもピンとこなかった。しかしダブル・リード系の楽器が苦労しているところから、相当速いのだろうということは察知できたと思う。

彼の指揮姿をテレビで見た時(たぶん『ニューイヤーコンサート』の衛星中継だったと思う)、「こんなんで指揮と言えるのか?」という疑問がわき起こったように思う。他の、懸命にビートを刻む指揮者の姿を指揮のスタンダードと考えれば、時々思い付いたようにタクトを振り下ろしたり、横へスーっと滑らせたりする彼の指揮は、それほど衝撃的だった。

あれから時が経ち、最近彼のベートーヴェンの交響曲第4・第7のDVDを観ることがあったのだが、ここ数年は、彼の指揮というのは「怖い」と感ずるようになっている。

駒を回すには、その駒に強い回転力を与えておき、必要に応じて、また回転力を与えるという方法を取ると思う。クライバーの指揮を見ながら、そんなことを考えていた。彼はオーケストラが自発的に進んでいる箇所では全く指揮をせず、ここぞという時に、指揮棒を振り下ろす。これが油断しそうなオーケストラには、平手打ちされたような衝撃となったり、モーターの回転数を保持する原動力となったりする。また流れるような横の動きは流麗な旋律となったり、独特のニュアンスになる。これらがきっちり拍節を示すの他のいろんな指揮者よりも効果的に音となって現れることも少なくない。驚くべきことだ。もちろんタクトを振る動作を少なくする分、客観的に聴く彼自身の神経が研ぎすまされる可能性もある。クライバーに対して「怖い(=畏敬の念?)」と感じたのは、こういうことをあの微笑みを浮かべながらさらっとやってしまうところだ。

クライバーの逝去で、もうあんなエキサイティングな音楽を体験することはないのかと思うと残念でならない。しかし多くの音楽愛好家の心に、彼の想い出が残されているだろう。ありがとうカルロス・クライバー。お元気で。


04.8.3

今日は県立図書館にて資料調査。まずは国会図書館が編集していた雑誌記事索引を出してもらう。この記事索引はオンラインになっていて、今は自宅からもアクセスできるが、どうもキーワードの付け方が上手くないのか、私の欲しい情報がいま一つ出にくい。もともと対象としている分野も狭いので、思いきって印刷版のを出してもらうことにした。市立図書館には累積版がなく、毎月冊子として出ていた細〜い目録を一つ一つ見たので辟易していたが、さすが県立図書館には累積版があった(アメリカでもRILMなどは、オンラインになる前は大変だった)。

『レコード音楽』や『音楽之友』にも読みたい記事があったが、所蔵してないかったので、50年代の『芸術新潮』や『中央公論』を出してもらい、複写をお願いした。

しかしこれが職員の方にとんでもない迷惑をかけることに。なんと『中央公論』は、かつて針金で製本されていたため、真ん中が完全に開かず、うまくコピーできないのである。「真ん中はちょっと黒くなってもいいですよ」と申し上げたが、製本部分をわざわざ外してキレイなコピーを取ってくれた。いやはや、ありがたい。

林望さんは『知性の磨きかた』 (PHP新書)にて、(もちろん肯定的な意味合いで)図書館は本を破壊するところと述べておられるが、きっとそれは本当なのだろうな、と思った。いや、今回のことで本そのものが破壊されてしまった訳ではないのだけれど。それにしても県立図書館の人には感謝、感謝である。おかげで良い資料が入手できた(本を「保存する」といって、書庫にホコリをかぶったままにしておくほど「もったいない」ことはない。よほどの貴重本、貴重資料ならば別だが)。

ところで先日大学4年生という方から、アメリカ音楽についてやりたいので、雑誌の資料をどうやって探したら良いのかという問い合わせが来た。いちおう基本的なことをお教えしたんだけれど、本来はこういうことは大学の先生がきちんと教えるべきではないかと思う。

かく言う私も、学部時代に楽曲解説を書いたり口頭発表したりする授業は受けたが、文献調査法については自己流だった。雑誌記事索引にしても、図書館を徘徊しているうちに偶然みつけたものだったしなあ。

アメリカでは文献調査のメソードは大学院生は必修授業である(音楽学だけでなくて、演奏専攻の人もである)。大変な授業だったけど(しかもあのDouglass Seaton!)、あれはやっぱりやって良かった。ネット上のデータベースも増えてきたから、今は本当に楽になりました。でも骨のある資料に対する嗅覚は大事だと思いますよ。なんでもネットで拾ってという訳にはいかないもんです。


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