最近見たもの、聴いたもの (67)


2004年2月19日アップロード


04.1.26.

日本ポピュラー音楽学会北陸支部大会 CiC富山駅前店3階 市民交流センター第3会議室

2つの口頭発表を聞かせていただいた。まずは富山大学の修士課程を修了したウイグルからの留学生による、自国音楽についてのレポート。当地ではどんな音楽が実践されているか、そして何がそういった音楽の嗜好を作り出しているかということが論文の中心だったが、今回はもっと広く、ウイグルのイスラム音楽についての概略を説明してもらった。プリントアウトの資料も多く、後に勉強するために有益だ。トピックが膨大なため、1時間でも収まり切らないないようだったが、イスラム圏の音楽がウイグルにあることさえ知らなかった筆者には非常にためになった。また、ポピュラー音楽として紹介された音源がジプシー・キングスみたいなものだったのが印象に残ったし、マイケル・ジャクソン人気にも驚いた。もっともジャクソンの人気は広くイスラム圏に広まっているんではなかっただろうか?

2つ目は富大学部4年生によるジャニス・ジョプリンとカルメン・マキに関する発表。ジョプリンは私も好きなシンガーなので、そういうのを論文にしている人がいることが分かってうれしかった。両者の具体的・音楽的比較がもっとあったら、私もさらに楽しめたかもしれない。

日本音楽学会と比べてアットホームで、居心地が良かった。いずれまた参加させていただきたい。


04.2.14.

ドヴォルザーク 交響曲第6番 カレル・アンチェル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 Supraphon (チェコ) SU 3689-2 011

アンチェル/ドヴォルザーク6番
1994年2月14日、ボストン大学の寮の中で聴いていた公共ラジオWGBHから突然心躍る音楽が聞こえてきた。作品名も演奏者もまるっきり分からない。いそいでカセットを用意して録音する。ドルビーもついてないマレーシア製のラジカセ。どうやら交響曲の後半楽章のようだ。たたみかけるフィナーレに、さらに感動する。

いよいよアナウンサーが曲目を告げる。「もしかすると19世紀の最高傑作の一つかもしれない」とドヴォルザークの交響曲第6番が紹介される。

ラジオで放送されたのはアンチェルのではなくアンドリュー・デイヴィス指揮フィルハーモニア管弦楽団だったためか、当作品も、もっと正当なドイツ風の作品に聞こえたと思う。どうしてこんなに素晴らしい作品が知られていないのか、不思議だった。

タラハシーで、この作品を学生オケが演奏する機会があった。当時住んでいたアパートの近くに、日本人のヴァイオリン専攻生がいた。「ドヴォルザークの6番って知ってます?」と尋ねてきたので「良い曲だよ」と答えたら怪訝そうな顔をしていた。

本番近くのリハーサルが終わって、再びこのヴァイオリニストと会った。そこで「ドヴォルザークの6番、どう?」と言うと、興奮して「すごく面白いですっ」と返してくれた。なんだかとてもうれしかった。

アンチェルのドヴォルザークの交響曲の録音はこれ以外には9番《新世界より》しかないそうだ。CDを紹介する小さな紙には「全集ならずとも、せめて7・8番も録音してほしかった」という趣旨の文章がある。

確かに7番・8番の演奏も、さぞかしライブでは素晴らしいものがあったに違いない。しかし私はこの6番の録音があって、本当に良かったと思う。

かつてこのCDと同じ組み合わせの旧盤CDもボストンで購入したのだが、みつからない。地元のフクロヤで購入したこのゴールド盤は、旧盤よりもおとなしめに聴こえる。



04.2.15.

日曜の朝、なにげにToyama City FM 77.7を 聴く。午前11時からは「砺波よい音楽を聴く会」事務局長、川端芳彦さんによる『音楽を聴こう』。クラシックを中心としたプログラムで、今日はベートーヴェンの第5交響曲の2つの演奏。最初はラファエル・クーベリック指揮ボストン交響楽団による「重厚な」(by川端さん) 演奏。第3楽章の途中から聴いたのだが、いかにもモダンらしい響きで、最近流行の「古楽風」のアーティキュレーションもない。最後の13分あまりは、高関健指揮群馬交響楽団による第3楽章と第4楽章の一部。楽譜通りの繰り返しと、薄めのオーケストラの響き。低弦部にそれが顕著にでているということになるのだろうか。モダンらしさはやはり残ってはいるけれど。

正午からは吹奏楽のプログラム。吉田明正さん(金沢楽器の方?)による『ウインド・ブラス・コレクション』。女声のポップ歌手の楽曲をアレンジしたものを放送。これは「ニューサウンズ・イン・ブラス」なのだろうか?(たぶんそうだろう)。音源の詳細が知りたいところ。できればハードコアな吹奏楽作品も聴いてみたい。富山県の吹奏楽人口はあなどれないので、こういう番組があるのは素晴らしい。

City FMはケーブルテレビ富山8チャンネルでも聴くことができるので便利だ。

04.2.18.

放送大学の『文化人類学研究 ('02) 』では観光が伝統芸能に及ぼす影響についての講義がなされている。観光が伝統文化を創造する力になっているということをバリ島のケチャを例にとって述べられている。これを見て思い付いたのが、『北日本新聞』に掲載されていた「坂の町 冬熱く」という連載記事で、ここでは八尾のおわらを中心とした観光客向けに「民謡交流」がなされっていることがリポートされていた(1月26日から5回の連載、宮田求記者)。「越中八尾冬浪漫(ろまん)」と題された新聞社後援の民謡フェスティヴァルで、「風の盆」で有名になった八尾に、おわら節に加え、五箇山のこきりこ、麦屋、といちんさなどが一同に介し、曵山や獅子囃子鑑賞会も催されるという。

ここでは越中五箇山麦屋節保存会理事の辻四郎さんの興味深いコメントも紹介されている。それは「麦屋節の出だしを三味線ではなく、おわらでおなじみの胡弓にする」(『北日本新聞』2004.1.28.、26面)というアイディアである。

つまりここでは、いわゆる「オーセンティック」な民謡の姿を紹介するのみに留まらず、「民謡を媒介とした広域的観光振興」(岩崎喜平氏の発言、2004.1.27.、24面)のために、新しい民謡の演奏法を開拓するということだ。

放送大学の講義で述べられていたように、従来文化人類学では、このような観光が動機となって「オーセンティック」な伝統が失われることを否定的に嘆いてきた。しかし、やはり同講義で述べられているように、観光が「麦屋節の新しい演奏法」という「伝統」を作り出す可能性もあると肯定的に捉えることも可能なのである。そう、研究者として、観光の音楽に及ぼす影響を考える時に大切なのは、「オーセンティック」なものと「創られた伝統」のどちらが大切であるかというイデオロギー論争ではなく、その2つの視点を持ち、冷静に今起こっているものを把握できる能力なのだ。

もちろん「残したい伝統」「これからアピールする伝統」など、いろいろ意見を言うことはできるかもしれない。しかしその判断をするのは人類学的研究の範疇を超えているのではないだろうか。つまりこの辺りに学問研究の限界があるのかもしれない(放送大学の講義は肯定的に捉えることが必要だ、で終わっている。これは「創造」の方の側に立つということではないかと思うのだが)。それとも、アカデミズムに所属する者の社会的影響力を考慮しながら、やはり発言すべきなのだろうか?

ところでケーブルテレビ富山9チャンネルで放送されている放送大学、2月からは副音声でラジオの講義を聴くことができる。これはありがたい。「民族音楽学」の講義が聞けなくて、悔しい思いをしていたからだ。(04.7.28. 改訂)


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