最近見たもの、聴いたもの(61)


2003年9月25日アップロード


03.7.6.

アメリカから送られてきた荷物が大量に富山に届き、部屋がいっぱいになっている。書籍、各種資料のファイル、CD、レコード、ビデオ…。よくもまあこれだけ入手したこと…。クラシック音楽関係の本だけで本棚が満杯になりそうな勢いなので、ポピュラー音楽ほかの資料の置き場がなくなっていく。個人的にはポピュラー音楽関連の資料も残しておきたいので、こまっているところだ。

03.7.28.

村山一雄さんと、元東高校で吹奏楽部の顧問をしておられた吉田彰先生と3人で昼食ならびに軽食をしながら音楽談義。富山は桐朋大学院大学など、大物音楽家を呼び寄せる力には長けているが、「自給自足」の音楽文化を富山に育てることは、やはり難しいようだ。これは以前『新潟日報』にも書いた問題。いくら有名な音楽家を多く呼ぶことはできても、恒常的な音楽活動につながらないのは、おそらくどの地方にも、いや日本中に見られる問題だろう。「そうは言っても、やっぱりいい音楽は聴きたいし」という反応が新潟の場合にあった。確かに良い音楽を刺激として受け続けることは自らの音楽性を育むために良い動機付けとなることは間違いない。しかし最終的にその地方独自の音楽文化を、外からの刺激を有機的に使うことによって作り上げるのは、非常に難しい。

バブル期に大量生産された地方の音楽ホールを満たすため、それぞれの地域で、いろいろな試行錯誤があった。実際富山も、オペラの上演は増えた。しかしそれもすべて「輸入」というものであり、地元に根付くものとはなりにくい。

やはり順序が逆だったのかもしれない。地方の音楽の成熟を見ながらハードを作るというのが、おそらく実のなる方法だったのである。

富山の駅の北側に作ったオーバード・ホールはあまり地方の音楽家たちからは歓迎されていないようだ。ホール建設の企画には、利賀村の国際演劇祭の成功からか、演劇に適したホールを、ということだったようだが、公会堂に代わるホールということであれば、やはり音楽を中心としたものにすべきだったのではないだろうか。演劇用のホールはセリフをはっきりと聞くために残響の少ないものになるというが、これはホール内の反響を前提としたクラシック音楽のオーケストラや吹奏楽(後者は富山ですごく盛んなはずなのに)には向いていないのである。県民会館の稼働率が結果として多くなり、窮屈なものになってしまったようだ。

吉田先生によると、富山の音楽状況は「西高東低」なのだという。金沢に近い高岡市の方が音楽活動が盛んなのがその理由だ。商業地域として、現在高岡は大変な状況に陥っていると聞くが、音楽はまた、それとは違うということなのだろうか。金沢が近いという地理的要因も指摘されたが、やはりそれよりは、地元の有志の活動の如何によって大きく変わるものだと思う。

私の方からは、富山の音楽文化を一度まとめた資料室のようなものの必要性を説いた。郷土史研究はちっとも新しいことではないけれど、いわゆる洋楽であるクラシックがどのように富山に広まったかには興味がある。富山新聞社の『昭和のアルバム 富山の文化往来』は、こういう分野では先駆けとなるもので、しかも記述が具体的で面白い。ここではアマチュア愛好家のレコード鑑賞に限った内容になっているが、これがもっと掘り下げられていくと、地元の音楽に対する関心も高まるのではないだろうか。

資料室、横文字ではアーカイヴというそうだが、この必要性はもっと認知されて良い。アメリカと日本の音楽研究に大きな違いがあるとしたら、こうした公共の図書館にたいする認識の差だろう。研究はまず図書館にある資料から始まるのである。音楽の場合は、自然と資料がマルチメディアになるし、「文献」だけではとても対応できない。写真、雑誌、テープ、CD、ビデオ。歴史を形作った人たちの証言も、もっと収集されるべきだ。

以前東京で長木誠司さんとお話したとき、放送局のアーカイブの話になったことがある。NHKや各地放送局にある音楽の資料は、アクセスが非常に難しい。いったいどういうものがあるのかも皆目見当もつかないようだ。アメリカの場合はこれがもっとひどい。民放が主なアメリカの場合、放送局が自らの番組素材を「資料」と考えることもなかったようで、私が博士論文の調査をした時も随分苦労した。全米に放送関係の音楽に関する資料を一つに取りまとめる機関というのは、およそ存在しないのである。ニューヨークにそれらしきものが一つあるが、そこにあるのはラジオやテレビの番組のテープ。しかしその他の文字資料はないのである。その他の資料は、あちこちに散在しており、論文の時は、集めるのに苦労した。

富山の場合も、おそらくこれまで体系的な音楽資料の収集というものはなされてこなかったように思われる。例えば富山市公会堂にあった資料はどれだけ残されているのだろう? 大物演奏家がたくさん来ているはずだし、戦後いち早く公会堂を建築した歴史は、やはり無視できないと思うのだが。オーバードホールにある資料室には、いったいどのくらいのものが残っているのだろう?


03.8.10.

ブルックナー 交響曲第7番 朝比奈隆東京都交響楽団 日Fontec
富山市立図書館所蔵

オーケストラの統制されたアンサンブルが耳を惹き、柔らかな歌が美しい。指揮者の作る楽想の流れは極めて自然。全体に速めのテンポだが、急いでいるようには感じない。管楽器の鳴りも充分。無理なく・無駄なく・そつなく聴かせるブルックナーだと思う。「巨大だ」「雄大だ」「宇宙だ」…というのとは違うような気もするけれど。

それにしても、この演奏におけるどこまでが事前に計算されていて、どこまでがステージで紡ぎ出されているのだろう。

朝比奈隆指揮によるブルックナーの第7交響曲は、多くの数がリリースされているのだという。「歳を経た=成熟」といった単純な図解だけではなく、この指揮者が一回の演奏に何を見いだしているのか、こういった演奏を比較することによって見えることもあるだろう。


03.8.28.

ワーグナー名演集 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン(キング) K35Y 1010

ウイーン・フィル独特の実のつまった音の空気が感じられる。指揮は、テンポが間延びしていて、気の抜けた感じさえするが(例えば57年バイロイトの《黄昏》と比較してみると良い)、オケがうまく楽想をつなぎ、フォローしているという印象を持った。

ところで「クナッパーツブッシュは素晴らしい」と解説書は繰り返し言っているようだが、もう少し具体的な記述はできないものだろうか?


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