最近見たもの、聴いたもの(60)


2003年7月6日アップロード


03.6.26.

バッハ マタイ受難曲 カール・エルプ(福音史家)、ウィレム・ラヴェッリ(イエス)、ヨー・フィンセント(ソプラノ)、イローナ・ドゥリゴ(アルト)他、ウィレム・メンゲルベルク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、アムステルダム・トーンクンスト合唱団 日Philips PHCD-20493/5

日本では《マタイ受難曲》というと、1958年に録音されたカール・リヒター盤とともにかならず挙げられる定番(定盤?)のようだ(某評論家の影響?)。時々音が歪むなど、録音として聴くには最良の状態とは言えないが、時代の制約上(1939年録音)、やむを得ない。

演奏スタイルとしては、伸縮のあるテンポやダイナミクスの変化が特徴的。楽譜にある以上に、解釈側によって付加されたものも多いだろう。

それよりも、私はこの演奏に聴かれる音の柔らかさ、暖かさに引かれる。アリアが終わった後にレチタティーボが続く場合のスムーズなつなぎもそうだし、伴奏のオーケストラに聴かれる豊かなアンサンブルも聴きごたえがある。このように様々な楽器が一つにうまく溶け合って妙なる響きを醸し出すのは、モダン楽器の「長所」といえるものかもしれない。一方レチタティーヴォは、一つ一つの言葉を噛み締めるようだ。全体としては、一曲ごとの性格の強さよりも、三つの部分が、それぞれ一遍の合唱作品となるようなコンセプトを感ずる。

ところでバッハの音楽には、しばしば「厳しさ」が問われる。事実この録音の場合も、柔らかな響きの中に、ここぞという時には重厚なオーケストラや独唱・合唱の叫びが挿入されている。この妥協知らずの激しいコントラストには、恐ろしいほどの説得力がある。

今日では学問研究が進み、メンゲルベルクの演奏法がバッハ当時のものとかなり食い違っていることが明らかになってしまった。しかしこの演奏そのものの光が失われることもないのではないかと思う。それも、単に「19世紀的バッハ受容のサンプル」であること以上に、メンゲルベルクが到達したバッハ解釈の結晶の一つとしてである。少なくとも私はそう信じたい。


03.6.27.

ブラームス 交響曲第1番 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィル 1984.8.28. ザルツブルグ、NHK-FM 1984.12.11. 放送のエアチェック

私がカラヤンを知ったのは、このようなライブテープが先だった。その印象は、例えば世に言う「人工的」であるとか「壁塗り」であるとかというのとは違っていた。テンポのゆったりした箇所においても、膨らみを魅力的に引き出すことはあっても、緩み過ぎるとは感じなかった。この演奏が気に入って、ベルリン・フィルとのLPも購入したのだが(多分70年代録音のもの)、そちらはあまり好きになれなかった。オーケストラの違いもあるのだろうか? インターネットでは、カラヤンはライブとレコードではかなり違うという発言も見られたが、あながちそれも間違いではないように思えてくる。


03.6.28.

ショスタコーヴィチ 交響曲第7番 ヘルベルト・ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団 独Weitblock SSS-0028-2

録音のせいか、高音が強調され、やや冷たい感じの音に聞こえる。しかしおそらく演奏のスタイル自体もシャープなものだろうと考えられる。楽章のそれぞれに壮大なストーリーを感じる長編作品だが、交響曲全曲の大局を見失わず、聞き手を最後の一音まで運んでくれる。素晴らしい演奏。


03.6.29.

『題名のない音楽会』は、出光賞受賞者発表の番組。そこでジョン・健・ヌッツォの歌声に魅了された。「日本の生んだ世界的テノール」などというコピーがもしどこかで書かれていたとすると、私などは、つい眉唾ものとして接してしまうのだが、彼の美しく無理のない発声には、やはり世界的レベルを感ぜずにはいられない。むしろこれからが大いに期待できる存在ではないだろうか。すでにソロ・アルバムもリリースされているようだが、ぜひ購入したい。

マウリチオ・カーゲル Playback Play マウリチオ・カーゲル指揮アンサンブル・ムジク・ファブリークNRW 独Winter & Winter 910 035-2

「世は情報化社会、町には音や音楽が溢れている。」…ああ、なんと陳腐な台詞だろう。この作品1996年カーゲルが初めて「音楽見本市」を訪れた時の体験が元になっているという。おそらくそこには、「情報化社会」を象徴するような音風景(これも陳腐?)があったのだろう。

カーゲルがこのCDの楽曲解説でも書いてるように、彼自身はその体験をそのまま作品としようとした訳ではない。私が一聴して感じたのは、彼が聴いた音・楽器を作品にする際に見られる、選び方におけるセンスの良さだ。電子メディアを使ったものなのか(コンクレート or 電子音)、電子楽器の音なのか、アコースティックな楽器の音なのか、さらにそれを増幅したものなのか。いろいろ分類は可能だけれども、それらの雑多な音素材を一個の作品として(直感的に?)統合することのできる能力に、私は感嘆する。

どうも硬いな…。とにかく聴いてみて (^_^)。


03.7.1.

ビゼー アルルの女 組曲第1、第2番 ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 独Berlin Classics00947772BC

第1組曲は、一聴した限り、やはりシャープな切り口で迫る充実した演奏。オーケストラも、思ったよりも自然な鳴りで、情感豊か。第2組曲の方は、間奏曲にオーケストレーションの変更があり(その他の楽章にも、アーティキュレーションを中心とした若干の変更があるようだ)、やや悪趣味のように思えた。

しかし、音楽そのものが持つ生命力には感動させられる。鮮やかな音の立ち上がりが爽快である。


03.7.2.

ベートーヴェン 交響曲第6番《田園》 ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(1936年録音) 日Opus蔵 OPK 2021

ノスタルジアばりばりのライナーノートが付いたCD。しかし日本の一評論家の音楽受容としては面白いのだろうか。しなやかな感性と大胆さがうまく共存したワルターならではの演奏で、重厚なオーケストラも古き良き時代を感じさせる。この頃のワルターのストレートさにも、好感が持てる(演奏自体は、私の好みと違う可能性がある)。

オリジナルはSPの録音だが、このCDでは復刻の際にノイズ・リダクションを使った感じがまるでなく、ストレートにSPの良さが伝わってくる。ヘッドフォンだと分かりにくいが、ここにある安価のステレオでかけると、1920年代の上質のヴィクトローラの音が、手軽に味わえるという印象である。高音域の強音の歪みが遠慮なく出るところも、メディアの性質ならではであり、「嘘くささ」がない。同時収録は《レオノーレ》序曲第3番とモーツァルトの《アイネ・クライネ…》(いずれも1936年録音)


03.7.6.

シベリウス 交響曲第2番 クルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団 Brilliant Classics 6328(シベリウス交響曲全集)

スコアのディテールに対する注意深い読み込みが感じられる素晴らしい演奏。確固とした音や楽想をスコアから想像することは、プロの指揮者には必須なのかもしれないが、それを実際にリハーサルを通して音として具体化することも、また不可欠であろう。ザンデルリンクは、おそらくその両方に成功しており、作品を味わうのに一番効果的な音を引き出し、ドラマを辛抱強く構築しているように聴こえる。知・情のバランスがうまく取れているとも思う。


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