2002年12月12日アップロード
マーラー 交響曲第5番 ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団 米Odyssey 32 26 0016(LP)
ワルターは、マーラーと親交があり、交響曲のすぐれた解釈もすっかり有名だが、全曲を録音した訳でもないようだ。たしかにSPの時代に、すでに古典と化した名曲ならいざ知らず、同時代の、それも必ずしも受け入れが芳しくない新曲を録音するというのは、大変なリスクとなったに違いない(現状を予測したのは、マーラー自身の他にどこくらいいたのだろう?)。しかし、残っている録音はせっかくだからいろいろと聴いてみたいと思い、今回は第5交響曲を選んでみた(残念ながら第2交響曲は図書館にない)。古い演奏だから、さぞかしオーケストラは苦心しているのだろうなという偏見を持ちながら。
しかしその偏見は、演奏を聴いているうちに見事に消え去ることになった。逆にニューヨーク・フィルの技術の確かさに感心したくらいだ。そのうちバーンスタインの旧録も聴いてみなければならないな。大丈夫だろうか。
現代の演奏と違うと感ずるのは、やはり弦楽器の豊かさだろうか。また、迫力のある割には、比較的スムーズに音楽が繋がっていることもある。極端から極端へ、コントラストをぎらぎら利かせた近年の緒録音とは一線を画しているようにも思う。もっとも70年代に録音したショルティ/シカゴ響も嫌いではないのだが。
(02.12.12.追記)ところでワルターのマーラーといえば英Dutton Laboratoriesからリリースされた、ウイーン・フィル1938年録音の第9交響曲も聴いてみた。以前EMIの盤では聴いたと思ったが、Duttonのは会場の雰囲気が気持ち良く伝わってくる復刻だと思う。また、この演奏も、実に自然体で臨まれていて、特に弦楽器の美しさが魅力的だ。もしかすると、最近のいろんな演奏からすると、ワルターのはやけにデフォルメの少ない演奏のように感じられるのかもしれないが、だからこそ嫌みなところがなく(グロテスクさを強調しすぎるリスクが少なく)、繰り返しの聴取にも耐えられるものがあるように感じられた。
バーンスタイン/ベルリン・フィルの有名なライブの録音などは、これとはおおよそ対照的な存在になると思う。しかしあの録音ほどベルリン・フィルがもがいている演奏というのを、私は知らない。オケのテクニックだけを取ると「これがあのベルリンか?」と思われるリスナーがいても不思議ではないだろう。
でもあれもやっぱり私にとっては魅力的な演奏だ。一筆書きでやり直しの聴かない瞬間が有無を言わさぬリードで進んでいくのには、自己没入していくバーンスタインの音楽スタイルがそのままむき出しになっていることもあって(もちろん彼は客観的に聴く耳は持っていたと思う)、つい引き込まれてしまうのだ。
モーツァルト シンフォニア・コンチェルタンテ変ホ長調 K. 364. ヴォルター・バリリ(ヴァイオリン)、ポール・ドクター(ヴィオラ)、フェリックス・プロハスカ指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団 米Westminster
WL 5107(LP)
私はこれまで「『名手たちの夢の共演』というのが、せいぜいこういった作品に残された運命なのだろうか」と漠然と考えてきた。しかし実際はこの録音にあるように、もっとスリリングな音楽体験が可能だと知った。「気の抜けない演奏」ということも可能だろうけれど。古楽器でもこのような熱のこもった演奏は可能だと思う。
富山市役所発行(北日本新聞社編集)の富山市ふるさとメール第27号によると、11月9日(土)・10日(日)、富山市民芸術創造センターにて、桐朋学園富山キャンパスの学生、富大フィル、富山シティフィルなどによる《交響詩立山》演奏会があり、『交響詩立山』映画上映会まであったとのこと。しかも無料の入場料。行けなくてグヤジイ。黛敏郎の作品なのだが、まだ聴いたことがないのだ。
地元のラジオ局98.9では、クリスマスの音楽を24時間ぶっ続けに流している。よくネタが続くものだと感心する。もちろんクリスマス・ソングの数には限りがあるから、どうしても違ったカバーで攻めなければならないが、それにしてもこれまで毎年数多くのクリスマス・ディスクがリリースされてきたのだなあと再び感心。もっとも今日教会の牧師さんから届いた電子メールによると、「頭がおかしくなりそうだ」とのこと
(^_^)
クリスマスというと、日本ではケーキかロマンスかということになってしまうようだが、どちらかというと、こちらは家族のだんらんとプレゼントといった感じか。前にも書いたと思うのだが、雰囲気的にはお正月に近い。親元を離れ、家族とクリスマスを送れない学生は、しばしば家族で行われるクリスマスの食事に招待されることがある。感謝祭とクリスマスというと、私もおじゃまさせていただいたことがあり、いつも申し訳ないくらいおいしい食事をいただいている。