最近見たもの、聴いたもの(56)


2002年8月25日アップロード


02.8.8.

今日ラジオで聴いて興味を持ったのはアリアーガの交響曲。「スペインのモーツァルト」と呼ばれているそうだが、演奏のせいか、シューマンっぽく聴こえたりもする。年代的には1903年生まれで26年没。放送されていたのはケルンのオーケストラだったが、サヴァールもCDにしているようだ。一度きちんと聴いてみたい。


02.8.21.

ヴィーナスの炎 ウィンサム・エヴァンス(音楽監修)ルネサンス・プレーヤー オーストラリアWalsingham Classics WAL 8004-2

グループ名はルネサンスになっているが、収録されているのは中世フランスの世俗音楽。トルヴェールとトロヴァトールの伝統である。民俗音楽風の味付けは楽しく「音楽史学習用」に編纂された50・60年代の録音が遥か遠くにかすんでいく。楽譜に書かれていたのは時代的に考えて、単純なネウマ風の音符で書かれたものだろうけれど、演奏法の復元はどれだけ確実でどこからがイマジネーションなのか、録音だけでは分かりにくいのも確か。

なおこのCDには、本物の中世音楽の他に「中世風」に作られた20世紀の作品も入っている(ジャケットに明示されている)。英語のセリフが入るので明確に分かるものもあるが、そうでないものもある。中世にはあり得ないような語法で書かれたデュエット曲も収録されている。


02.8.22.

シェーンベルグ ピアノ作品集 マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ) ドイツ・グラモフォン 423 249-2

言わずとしれた名盤。自由な無調から十二音技法へと移り行くシェーンベルグのピアノ作品をうまく鳥瞰できる内容。

十二音技法は基本的に1オクターブ内にあるピッチのみをコントロールするものだから、その音列に記された各音をどのように配置するのか(旋律として出していくののか、不協和音として積み上げるのか)、あるいはどのオクターブで演奏させるのかは、作曲家が自由に選択できる。もちろんリズムやその他の要素がコントロールされていないために、後にトータル・セリエリズムという、音楽の諸要素までを細かく規定する理論が確立したのは周知のこと。

このCDに収録された作品群において重要になってくるのは、おそらくフレージングと形式感だと思う。音符の「見た目」からある程度フレーズのまとまりとして分かるものもあるし、耳で直感的にグルーピングすることもできる。ポリーニよるこの「分かりやすさ」は、録音を望むに当って行ったであろう彼の十全で確かな分析とそれをどう表現に活かすのかについての実際的な音の探究ではないだろうか。しかしそれ自体はシェーンベルグや、ましてや20世紀音楽に特有なことでは全くない。ただ、書かれている音が19世紀までの音楽とは違うから、フレーズを組む際、それに注意して集中して聞き、問いかける必要が出てくるだろう。


02.8.23.

ラヴェル/左手のためのピアノ協奏曲(1937.2.20)、ドビュッシー/交響詩《海》(1941.1.19.)、《牧神の午後への前奏曲》(1949.6.16.) ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(いずれもライブ録音) 伊As Disc RS 418

ワルターはコロンビア交響楽団を中心に聴いてきたこともあって、どうもおっとりとしたイメージで接してきたのだが、最近彼の第9のモノラル盤(Columbia M2L 264)を聴くことがあって、その切れの良さに、今までの考えを改めるようになった。ニューヨーク・フィルのものはオケの機能性もあって、なおさらシャープな音がする。

ところでこのCDは『ワルター希少録音集』と銘打ってある。ワルターがベートーヴェンやモーツァルト、マーラーといった「お国もの」のイメージで捉えられるからだろうか。しかしこの録音において、演奏スタイルがフランス的であるかどうかを特別意識せずとも自然に聴けたのは嬉しい驚きとも言える。全体にスケールの大きい演奏だが、同時にしなやかな感性が生きていて、嫌味なところなど全くない。そういえば彼の振った《新世界》交響曲も好きだ。

貴重な音源だが、《海》の第1楽章の冒頭近くが2ケ所音飛びしている。


02.8.24.

ディヌ・リパッティ プサンソン・リサイタル 仏EMI (Reference) CDH 5 65166 2

ディヌ・リパッティの1950年9月16日のコンサート。同年12月2日に亡くなる前の最後のコンサートとして、ファンの間では有名な録音である。

バッハやモーツァルトの弾き方には、いろんな方法があると思うが、リパッティのは、はっきりとした打鍵の中にも、うるおいやみずみずしさが保たれていて、そのバランス感覚に唸らされる。ピアノのテクニックというのは、まさにこういった表現のためにあるのであって、コンクールで賞を取るためにあるのではないとつくづく感ずる。ショパンのワルツにしても、ペダルの使い方が見事で非常に無駄のない弾き方になっている。近年スケールだけがやたらにでかいショパン演奏が多い中、これは見直すべきアプローチだろう。


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