最近見たもの、聴いたもの(55)


2002年8月5日アップロード


02.6.8.

車の中のラジオは、クラシック専門の局を聴くことが多いが、内容がつまらないと、公共放送(報道・情報中心)にしたり学生運営の局にしたりする。この学生運営の局は、いつも新鮮な音楽をやってくれるので私は好きだ。もちろんポピュラー音楽オンリーだが、売れ筋の楽曲というのはほとんどかからない。むしろDJをやっている学生が自分の耳で選んで好きにかけることが多く、それがなかなか面白い。もちろん地元バンドだけの時間とか、リクエストを受け付ける時もあり、これはこれで一興か。夜の夕食の帰りにラジオをつけてみると、やっていたのはラップの番組。これが不思議と、どこまでが曲でどこからがDJなのか分からない。歌詞を聞くと、なんとなくDJのシャベリに聴こえるのに、バックグラウンドにはずっとビートが流れているからだ。

この局の日曜日の朝は南部らしくブルースのみをやっている。しかもルーツブルースに近いもの、つまりPAの入ってないものも多くかかるので、それがとても面白い。夜はモダンジャズだけの時間がある。しかし困ったことに車で聞いているので、どうしても中途半端な時間しか聴けず、例えば演奏しているアーチストが誰だったのか分からないことも多い。またDJも本当にテキトーにやっているため、全部必要なデータを言ってくれない時もある。おそらく最初からラジオはBGMということで、有線放送みたいな使われ方をしているのかもしれない。

ボストンにいた時も、ハーヴァード大学なんかが、大学で放送局を持っていたが、クラシック/ジャズ中心で、クラシックなんかは、テーマ別の選曲になっていて、今考えてみると、ずいぶん教育的だったなあと思う。


02.6.13.

マーク・ブリッツスタインの文章を読む。彼は左翼系作曲家として有名だけれど、いわゆるヒンデミット流の「実用音楽」は(少なくとも1930年には)受け入れられなかったという。その理由は、音楽が映像に従属するという考えが嫌いだったこと、複製メディアの発達により気楽に音楽が楽しまれることが嫌だったこと、実用音楽は「闘争的」でなく、メッセージも曖昧なこと、などのようだ。

一方でモダニズムにも耐えきれず、シェーンベルグの《ピエロ・リュネール》やストラヴィンスキーの《春の祭典》を露骨に批判している。彼のラジオ歌-劇《旋律をみつけた》では、シュプレッヒシュティンメを皮肉った場面があり、歌詞も月や血といった、いかにも表現主義的な歌詞を利用している。一方ラストのシーンは、ユニゾンの合唱が入り、いかにも「民衆」が歌っているかのような歌声が聴こえてくる。労働組合の歌の一部も挿入されていて、CBSの検閲官らしき人間が指摘を加えている。この検閲官らしき人は、この最後の部分がいわゆるユニオン・スクエアにおけるメイデーを模したものとも指摘。実はCBSに提出される前の段階の台本には、この場面はユニオン・スクエアだと書いてあったりもする。この頃からアメリカのメディアには反共的な臭いがあったのだろうか。


02.6.25.

コンサートのお知らせが、掲示板に投稿された。こちらに転載しておく。

クロマチックアコーディオンコンサートのお知らせ 投稿者:スニマ企画  投稿日: 6月22日(土)16時08分51秒

コンサートの案内させてください。
7月14日のパリ祭当日に所沢市民文化センターミューズ「マーキーホール」にて
「パリ祭に捧ぐクロマチックアコーディオンの響き」と題してパリゆかりの「かとうかなこ」と「伊藤浩子」のアコーディオンコンサ
ートが開催されます。(二人とも全日本アコーディオンコンクール優勝者)
クロマチックアコーディオンとは普段見掛ける右手が鍵盤式ではなく、ボタン式のアコーディオンのことです。
日本人女性のボタン式アコーディオン奏者としては最高の組み合わせです。
お近くの方はどうぞ聴きに来てください。
開場3時 開演3時30分
前売3000円 当日3500円
チケットのお求め・問い合わせはミューズチケットカウンターまで042-998-7777.
スニマ企画 090-3704-8422
詳しいことはホームページで。
http://www2.ocn.ne.jp/~kanakato/


02.7.4.

今日ラジオは、例によってアメリカ音楽一色。いいですねえ、これ。知らない曲も結構聴いたし。アメリカ音楽の割合は、ひょっとするとボストンのラジオよりも多いかも。7時からはクラシックの啓蒙番組なんですが、ガーシュイン、黒人霊歌の後、次は「クラシックとポピュラーを融合し…」と紹介がきてモートン・グールドの名前が出てきたので、思わず「Yes!!」と言ってしまいました。これでコープランドが出てきたら「え〜」というところだった。かかったのはSpirituals for Orchestra。でもそのあとに、やっぱりでました、コープランド。バーンスタイン/NYPの《ロデオ》から<土曜の夜のワルツ>。バス・クラリネット(?)の音がちょっと低くて、かなり気になる。

最後はマクダウェルの《インディアン組曲》とガッチョークの《団結》。なんかシメとしてはちょっと物足りないかな。自分もラジオ番組やってるんで、難しさは十分承知しているつもりなのですが…。

まあ、でもアメリカ音楽といえばやっぱりコープランドなんでしょうね。


02.7.5.

シューマン 交響曲第3番《ライン》 ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル 米Columbia ML4040(LP)

ワルターについては「暖かさ」「人間味」などが常套句のように使われるけれど、そういうものを感ずるのは第2楽章。ライン河そのものが情景として見えてくるというところもあるだろうけれど、人々のこの河によせる思いが伝わってくるようなものなのだろうか。もちろん、あまりそういった標題的なものにとらわれずに聴く方法もあるのだろうが、なぜかワルターのこの古いLPを聴きながら、そんなことを考えていた。19世紀の作曲家を語る時によく持ち出される「Zeitgeist」という言葉とともに。

(02.11.11. 追記)この交響曲における「ライン」は「ラインラント風」と訳されるべきだそうで、デュッセルドルフ周辺の地方のことを指すのではないかという指摘をネット上で見つけました。お詫びして訂正します。

ブラームス 交響曲第1番 第3・第4楽章 アーサー・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィル 米Columbia ML 4016(LP)

ニューヨーク・フィルの盤が続く。昨日聴いたバーンスタインの《ロデオ》のNYPは、やはりアンサンブルとして粗いなあ、とつくづく感ずることに。まあコープランドみたいな曲だとそれもプラスになるのだろうか。でもコープランドにしても、バーンスタインの粗さがなくても納得して聴ける録音もあるのだし、気持ちは複雑だ。最後の「アルペンホルン」出現の部分から、やたらと煽るような展開に。また、終結部のオケによるトゥッティによるコラールの部分に、ティンパニーが入っている。これは楽譜と違うものだろう。

この録音の「煽り」の部分で、昔SPレコードで、アーサー・フィードラーの《詩人と農夫》(スッペ作曲)を聴いた時のことを思い出した。よほどSP両面の収録時間に収まらないと分かったのか、フルヴェンを思わせる疾風怒濤(?)のエンディングで面白かった。最初はゆっくり目に演奏しているので、こんなにゆっくり演奏して、1枚の両面におさまるのかなあと思っていたので、その心配が現実になったと言う感じ。フィードラーには悪いが、楽しませてもらった(このSPは日本コロムビア発売じゃなかったかな?)。


02.7.29.

グリュンバーグの音源が2つ到着。一つは論文に使うための資料としての録音。1938年に放送初演された《緑の館》(W. H. ハドソンの小説のオペラ化)。議会図書館にある音源で、約88ドル。かなり高価だが、これは技術者にオープン・リールからCD-Rにしてもらっているため。でもオープンテープからだから、そんなに元のSPから落ちたとは思えない。ミュージカル・ソー(のこぎりでメロディーを演奏する)を使ったり、メガフォンを使ったり、当時のテクノロジー(?)を使ったラジオ専用のオペラ。でも音楽語法的には、結構ロマンチック。

もう一つは《皇帝ジョーンズ》(こちらはE・オニール原作)。《緑の館》よりも前の作品で、グリュンバーグの名声を確実にしたオペラ。METで上演されている。こちらは中古レコード屋で入手したもので、LPになっている。でも実際に収録されているのはMETの公演ではなく、おそらくラジオ番組用に抜粋されたもの。しかもドラマ化されていて、セリフも多く、どれだけ上演されたものに忠実かは疑問。なぜかMET発行のリブレットが入っている。裏面にはディームズ・テイラーの《王の部下》というオペラのラストも収録されているが、これもラジオからの抜粋のようで、冒頭にテイラーのコメントが入っている。


02.7.30.

グリュンバーグの《緑の館》の音源をスコアを比べてみる。自筆譜はかなり見にくいものの一つで、歌詞も一瞥しただけでは全部読めない。音符もスコアを1ページA4ほどに落としているからか、つぶれて見えないところもかなりある。実際に譜例を使って論ずるということになれば、もう一度図書館に行って、マイクロフィルムから起こさなければいけないと思う。それにしてもこの演奏はいかにも生放送らしく、アベル(テノール)が落ちている場所がある。その後のリマ(ソプラノ)も一小節早く出てきたり。でも、ニューヨーク近辺のミュージシャンなのだろう。演奏の質としてはかなり良いと思う。なおグリュンバーグ自身は、カリフォルニアでこの曲を初演したかったそうだ。それは当時オットー・クレンペラーがロス・フィルの指揮をしていて、彼にタクトを振ってもらいたかったということのようだ。

それにしても残念なのは、この録音、最後の2ページ分くらいの音楽がないことだ。フェードアウトして終わっている。SPに入り切らなかったということなのだろうか?

そのうちハイフェッツなんかが演奏した、彼のヴァイオリン協奏曲なんかも聴いてみないといけないな。

その他、今週はマーク・ブリッツスタインと「Gebrauchsmusik」についても、もっと考察してみたい。


02.8.2.

ラジオから、アンドレ・コステラネッツ楽団の《ボレロ》が流れる。アナウンサーによると、何でも10分近くで演奏された、もっとも速い部類に入るものということだそうだ。トロンボーン・ソロが終わった辺りまでしか聴けなかったが、確かに快速な感じはした。しかし「速すぎる」ということではないと思う。昔バレンボイムがシカゴ響とやったときは、すごいゆっくりだったが、最後はそれなりにテンポが上がっていたように思う(彼の場合正確には「棒を振らない」のだけれど)。コステラネッツは、こういったアッチェルランド的な要素を避けて、最初からテンポを上げていたということだったのかもしれない。確かに初めの頃、弦のピチカートが走り気味になっていたというのはあったが、あれは待ち切れなかったという感じだったのかもしれない。


02.8.3.

オーマンディ/フィラデルフィアによるホルストの《惑星》。クリアなアイディアが全編に渡って感じられる優れた演奏。オーケストラの楽器郡をここまで見事に整理できた演奏は、これまで聴いたことがない。

ルービンシュタインによるショパンの第2協奏曲。Accordというのは、どこのレーベルなのだろう。使われている音源がPolskie Nagraniaやポーランド放送とあるから、ポーランドなのだろう。ルービンシュタインというと、どうしてもRCA音源が中心になっているけれど、この第2は、どうやら1979年の録音。RCAのと比べた訳ではないので分からないが、こんなにしゃきっとした音を出すピアニストだっただろか、と思った。RCAのは、あるいは録音が良くなかったのだろうか?


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