最近見たもの、聴いたもの(49)


2002年3月30日アップロード


02.3.16.

今週はまるまる「春休み」だったが、論文の方は、取り扱う作品をFinaleを使って打ち込んでみた。まずやったのは、ニコライ・ベレゾフスキー作曲のシンフォニエッタの第3楽章。どうやらハイドンの《驚愕》交響曲の第2楽章の有名なメロディーをコミカルに使ったもので、一種のロンドといえるだろう。3楽章形式。第1楽章もコミカルな感じだから、全体的にシャレっ気の多い作品なのかもしれない(どちらも全部打ち込んだ訳でなく、作品が分かる程度にとりあえずといった感じ)。第2楽章にも、そのうち取り組んでみたい。ここ2日はフィリップ・ジェームズの《ラジオ局WGZBX》をやる。第2楽章の《混信》は、ダイアル合わせがうまくいかないラジオ受信機を不協和音を使って、これまたコミカルに描写したもの。オーケストラ編成には、サイレンの他、モールス信号の音、ライオンの雄叫び、ロボットの声(?!)なども入っている。残念ながらMIDIにはサイレンやライオン、ロボットは入ってないが (^_^;; モールス信号の方は打楽器の一つを使って代用することにした。楽譜は、おそらく作曲者自身による浄書なのだが、それでも和音の部分は音符の玉が五線の上にあるのか間にあるのか分からないところもあるし、明らかに休符が足りない箇所とかもある。音が不協和な部分も多く、おそらく全部確実に入れたということはないだろう(パートの和音を考えながら、あちこち手直ししている)。しかし、これは面白い楽章だ。実際に再演されるといいんだがなあ。

なにしろ500以上の楽譜が提出された1932年のNBCのラジオ作品コンテストで第1位を取り、大不況なのに5000ドルもの賞金が出た作品なのだ。でも、深遠なものをもとめると大ハズレ。ポップスコンサートのショーピースとしてはいいのかも。ちなみに4つあるうちの第1楽章は、ラジオ局の賑やかな雰囲気を描いたものだとか。スタジオから「インディアン音楽」や「中国音楽」も漏れ聴こえてくるという (^_^;; これにしても、力の入らない軽い路線の音楽。あんまり眉をしかめずに聴けば面白いんじゃないかなあ。

ジェームズというのは指揮者として有名だったそうだけれど、《ラジオ局WGZBX》の他にはどんな作品があるのだろう? 音源としては、以前、短いオルガン曲を一つ聴いただけだ。でも、このラジオのノスタルジア・ファンタジーといえる作品は、演奏されると面白いかも。


02.3.19.

ブルックナー 交響曲第8番 ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1949年3月14日録音 仏LYS 244

起伏の激しい演奏。各セクションの性格が明確に示されれていて、聴きごたえがある。録音は良くないが、伝わってくるものを知るには充分といえる。ブルックナーというと、「純朴」という言葉が返ってきそうだが、大きなスパンで捉えれば、したたかなところもちゃんとありそうだ。

ところで、前から思っていたのだが、どうして日本でブルックナーというと、すぐ天国や神様になってしまうのだろう? ブルックナーがカトリックの信徒であったことは知られていて、その音楽作品が一種の信仰告白であったとされているようであるが、「神になった」「昇天した」と言われてもぴんとこない。そもそも人間は土に帰る存在だということを知ってしまえば、それが神道のように死ねばだれもが神になるというのとは教義的に相容れないことは明確だし、「昇天」についても、交響曲というジャンルを自伝的交響詩のように捉え過ぎているのではないかと思う。ヨーロッパにおけるブルックナー受容を知らないのだが、日本のブルックナー受容における神道思想との関わり合いについて、誰か調べてくれないだろうか、と思う時もある。

それにしても、アメリカではあまりブルックナーというのは人気がないように思うが、どうしてだろう? もっとも私も日本語のページの迫力に影響されて、時々聴いているのだが。


02.3.20.

ゴスペル・コンサートの広告投稿が掲示板にあった。こちらに転載しておく。

DATE: 3月20日(水)07時06分46秒
TITLE: グラミー賞のヘゼカイア.ウォーカー来日
NAME: arakawa MAIL: papiyon@highway.ne.jp

こんにちは、はじめまして。
ゴスペルファンにとって、ブラックミュージックファンにとってビッグなニュース!! ニューヨーク、ブルックリンのHIPHOPの牧師として有名な、音楽監督のヘゼカイア師とラブ・フェローシップ・クワイアが、来日します。やっと東京でのライブコンサートの夢が実現します。1994年度グラミー賞最優秀ゴスペルクワイアアルバム部門で、受賞し、さらに今年も、姉妹クワイアTABERNACLEが "LOVE IS LIVE" で2001年度グラミー賞を受賞しました。グラミー賞授賞式の彼の歌う姿が、140カ国に放映されました。
6月5日(水)6日(木)、6:00p.m.開場、7:00p.m.開演、場所は、五反田「ゆうぽうと」簡易保険ホール。前売りチケットの販売をホームページで始めています。
ss席10000円、s席7000円、A席5000円、B席3000円です。(消費税別)。
よい席を取るためにお早めにお申し込みください。
http://www.ycc-gospel.com

    YCC  荒川 裕作


02.3.24.

フォーレ ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 作品13 アルテュール・グリュミオー(ヴァイリン)、イストヴァン・ハイデュ(ピアノ) 日Philips PHCP-3922

RCAレーベルのLP時代に録音されたバール・セノフスキーとゲリー・クラフマンの録音(の日本盤)で初めて聴いてすぐに好きになったフォーレの第1ソナタ。このコンビによるCDがないようなので、日本でグリュミオーのを買った。理由は単純で、フランスものを弾くヴァイオリニストとしては高名だそうだから。しかし、セノフスキーの生き生きとして鮮烈な演奏とは性格が違っていて、おっとりした感じ。筆者個人としては、やっぱりセノフスキーのが聴きたくなったが、世間では定評の「美音」なのだそうだ。カップリングはドビュッシーとフランクのソナタ。


02.3.27.

ショパン自選集 ヴァン・クライバーン(ピアノ)米RCA Victor LSC-2576(LP)

これについては、また改めて。


02.3.28.

マーラー 交響曲第3番 第1〜3楽章 ミヒャエル・ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団、コルネリア・カリッシュ(アルト) 独Hanssler Classic CD 93.017

オーケストラの炸裂するマーラーをイメージし、それがマーラー演奏の本道だという固定概念を持つと、こういう演奏が受け入れられなくなる恐れがある。そして、これはブーレーズのような、旋律線の絡みがすっきりと見通しよく聴けるものでもない(録音のせいでもあるのだろうが)。しかし、冷静が故に力を持つ表現もあるのだし、表現を落ち着かせることも可能だ。ただし落ち着かせるといっても、単に弛んでしまうのではなく、シャープさは保つことはできるだろう。おそらくそういう配分の仕方があるからこそ、作品全体に、こういう説得力がでるのではないだろうか。個人的には第2番の方が成功しているようにも思ったが、これから後半楽章も聴いてみたいと思う。同時収録はシューベルトの《ロザムンデ》の音楽とヴェーベルンの6つの小品の楽章を交互に演奏したもの。音楽様式として一見遠そうな2つの作品に、何を聴くのか。耳を研ぎすませて臨みたい。


02.3.29.

トリスタン・ミュライユ 作品集 Ensemble Court-Circuit; Pierre-Andre Balade, direction. 仏Accord (Una Corda) 204672

Couleur de mer; L'Attente; Treize couleurs du soleil couchant; Attracteurs etranges; La barque mystique.

音色やダイナミクスの繊細なセンスと一本の筋を通す大胆さの両方がうまくいくのが、現代音楽における成功の要因の一つなのかもしれない。特種奏法や不協和音の数に惑わされずに、静寂と音のうねりを聞き取り、感じ取ることが大切。もちろん各作品に付けられたタイトルから何かを創造することも、聴者に与えられた自由といえるだろう。


02.3.30.

マーラー 交響曲第6番 ジョン・バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 仏EMI 7 67816 2

録音で損しているところがあるのかもしれないが、それにしても風圧の感じられる「暑い」響きのオーケストラであり、芯のしっかりした音に圧倒される。緊張感が途切れることなく続くため、やや疲労感も感じてしまうほどの威力がある。時に爆発するオーケストラとは裏腹に、多分に内省的な側面もうまく表現されており、そのバランス感覚に溜息が出た。素晴らしい演奏。それにしても、フィナーレの管楽器の使い方はすごい。だが、これは安易に真似したくない書法ばかりではないだろうか。よくよく和音と音色のまぜ方を知っていないと、こういうスコアはかけまい(チャイコフスキーの推移部なんかの方が、より応用がきくだろう)。同時収録はリヒャルト・シュトラウスの《変容》。

グラズノフ 交響曲第6番ハ短調作品58 エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮USSR交響楽団 米Columbia M35104(メロディア音源)(LP)

確かにドイツのメインストリームを行くオーケストラ作品とは音色的に微妙に、本当に少しだけ違っているように聞こえるのだが、フレーズの作り方や形式感には、着実さを感ずる(解説にはリズムの指摘があるが、私はこれは広く国民楽派的ではないかと思った)(注)。チャイコフスキーのように流れ出したら止まらないような展開とは違って、整えることによる美しさにも関心があるようだ。フィナーレにフーガまで出てくる。同時収録はボロディンの《中央アジアの草原にて》。旧ソ連のオケで同作品を聴いたのは、これが初めてかもしれない。独特の哀愁も漂う親しみやすい標題音楽。強奏の中間部に、自然な喜びが感じられるような演奏だった。

(注)第2楽章は変奏曲、第3楽章はスケルツオというのは、伝統的な楽章構成を破ってはいるが、耳に入ってくる音そのものが特異という訳でもないように思う。


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