最近見たもの、聴いたもの(37)


2001年10月28日アップロード


01.10.20.

タラハシ交響楽団 第1回名曲コンサート フロリダ州立大学ルビー・ダイアモンド公会堂 午後8時

アメリカのテロ事件の犠牲者追悼を兼ねて、愛国歌《美しきアメリカ》からスタートした、今シーズンのタラハシ交響楽団の定期公演。前半はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、中国生まれのヴァイオリニストミラ・ツェン・ロン・ウォンを迎えて共演。メンデルスゾーンがこの曲を指揮した時にソリストを勤めたヴァイオリニスト、ジョセフ・ヨアヒムが所有していたというストラディヴァリウスの名器を携えての期待の演奏だが、そのヴァイオリンの低音域の豊かな響きに、そして深みがあるが停滞もしない力強い歌に、まず耳が行く。重音を多用したカデンツァなどにおける技巧の確かさも、さすがに場数を踏んだ演奏家なのであろう。

しかし、彼女の音楽づくりには不満もなくもない。その一番の問題は、彼女の弾き方ではなく「引き方」というべきか。美しい音色に確かに私は感銘を受けたのだが、協奏曲はオーケストラとの駆け引きであり、共同作業であり、その過程に聴き手は引き込まれるはずである。だから彼女がアルペジオもこの名器で朗々と奏でるところに不満があったし、オーケストラがいま一つ乗ってこないところも、彼女の独り勝ち的な要素が邪魔になったのではないかと感じたのだ。指揮者がかなりオーケストラを強くリードしていたのだが、それについてこないのも、その辺りに由来しているのだろうか。ロンドの第3楽章では、舞曲のリズムも手伝ってか、オケの鳴りも良くなってきたが、そうすると、今度は繰り返しにおける味付け方が問題になってくる。ソロの方はロンド主題に挟まれてもっと多様に展開しているはずだから、その繰り返し部分に違った光りが当たるようにすべきではなかったか。この協奏曲は、速書きの作品ゆえ、ベートーヴェンの中では、もしかするとまとまりに欠ける作品なのかもしれないが、それなら演奏する側が、いくらでも曲を面白くできる可能性もあったともいえるのだし、細かい工夫があればもっと面白かったかもしれない。

休憩を挟んで後半は、ショスタコーヴィチの第5交響曲。この曲は、部分部分で、本当にいろんなことができるし、作品の性格の付け方が音楽家によって微妙に変わってくる作品ではないかと思う。「あそこの部分はどうするのかな」といったことが、だから常に気掛かりであり、そこに意外性があった時の戸惑いや驚きや喜びなど、スポットライトが自在に当てられる性格を持っているように思う。例えば今回は、最後の2小節にリタルタンドが全くなかったことに驚いた。いま手元にスコアがあって、ここはどうなっているのかというのを確かめられたら、作品の新たな発見になったかと思ったのだが果たせず。それにしてもこの楽章、緩徐部分が終わった後は、テンポを4つに振るやり方が流行になっているのだろうか。例の「強制された歓喜」を演じてみせようというパターンが多いように感ずるのだが。

指揮者デヴィッド・ホーズは、やや極端に述べればフルトヴェングラーのような「あやつり人形」的な振り方もするが、それはあくまでも土台であり、左手の使い方や、興奮の仕方には、もっとデフォルメがある。特に圧巻は第3楽章で、オーケストラが緊張感を増し、頂点を作り上げる箇所(ビデオ「Art of Conducting」のバーンスタインの映像もここではなかったか)。息遣いも粗く、作品に対する共感が充分伝わってきたし、オケがこれに本当に親密についていくのなら、面白い音楽が引き出せるのではないかという可能性さえ感じられた。しかし、教官と大学院生を中心にしたオーケストラはやや冷めた雰囲気であり、その点が残念。全体に音が薄めであることはこのオーケストラだけではなく演奏会場の影響もあるのかもしれないが、やや重厚さに欠けるのという不満も残った。

それでもこのオーケストラは、大学コミュニティーを中心としたものにしては、その技術には不安がほとんどないし(トランペットがやや体力不足--うまくカバーされていたけれど)、自然に引っぱられていくような箇所は徹底的に身を任せるところがある。おそらくそれが、第1楽章の長いドラマ構築などには良い方に働き、燃えることができたのではないだろうか。こういったことを、より意識的に、確信犯的に、他の箇所でも考えるべきではなかっただろうか。

やや言い方が厳しかっただろうか。でも、それくらいのことは期待できる実力はあるし、メンバーが変わるという難点はあっても、ぜひいいレベルを保ってほしいと思う。日々のリハーサルの時から、個々の演奏家が指揮者と一緒に課題を見つけ、積極的に攻めるようなこともあっていいのではないだろうか。


01.10.24.

相変わらず、今日も朝まで論文にいそしむ。少しずつ章らしくなってきた。それにしても、この分野はあまり概論的な調査がされていないということを実感する。上下の2つの文化とクラシック音楽・ジャズのかかわり方のようなテーマになっているので、現在の「聴衆のための」作品というのと通ずるようなところがある。

12時台のバスが予定より早くきたために、逃してしまう。バカヤロー。1時間に1本しかないのにぃ〜。で、1時30分のに乗って、学校へ。ところが運転手はまだ研修中。すごかったのは、道を間違えてしまったこと。後ろで注意や指示している女性の運転手は「ありゃりゃ、あっちのみちで誰か待ってたかも。まあ、でも乗るんだったら、止めるわよ」と、随分呑気。おいおい、バス停で待ってた人に追いかけてこいっつうのかよ〜。公共交通機関がそれでいいの?

5分ほど予定時間に遅れてしまったが、事前に電子メールで知らせておいたので、大丈夫。いつもの通り丁寧に直してくれて感激。まだ章としてはきちんと仕上がってないけれど、考察としては面白いことも書いてあるとほめてくれる。もうひとりの先生からも、コメントの書かれた章のプリントアウトが届く。あいかわらずこちらもたくさん書いてあって、これから忙しくなりそうだ。

その後、学生ユニオンで毎週行われる蚤の市へ。本屋は音楽の本がないということでがっかり。中古CD屋では、クレンペラーのベートーヴェン序曲集(《レオノーレ》第2番はけっこう笑える! でもこの時代の演奏は「古楽」っぽい方が好みになりそう)、エーリッヒ・クライバーの《英雄》を購入。2枚で11ドルは安いのではないかい。今週末はこれに加えて、図書館からクナッパーツブッシュのワーグナー管弦楽集(Classica D'Oro)などを借りてきた。LPでは、Varese Sarabandeの「Orchestral Space」。昔ビクターから2枚のLPとして日本では発売されていた現代音楽の音源を1枚にまとめたもの。そのうち私は一柳の《ライフ・ミュージック》の入っている方を持っているのだが、クセナキスの《Strategie》の入っている方は持っていないので、借りてきた。それにしても、NHK電子スタジオの2枚など、ビクターはぜひこういった音源を早くCDにしてほしい。「NHK電子音楽スタジオ作品集」なんてCDがあったらバカ売れしそうなんだけどなあ(最近はアンダーグラウンド/ノイズ/アヴァン系の人も注目してますからね)。昔、上浪渡さん司会でやった特集番組のエアチェック・カセットを私は大事に持っているけれど。その他、マリー・シェーファーの作品集。メルボルンというレーベルの古いLP。なんでも楽譜がマイクロフィッシュとして付録されていたというが、それまでは借りてこなかった。B面には、シェーファーがサウンドスケープについて話す音源も収録されている。これは、最近CD2枚組で出た音源とは別。最近のシェーファー作品集のCDもあったので、これも借りてきた。


01.10.25.

昼まで寝てしまう。昨日(今朝)は、5時近くまで起きていてしまったから。やはり夜型だ。いけないと思っていても、どうしても何かをやっておかないと、ドキドキして眠れない。ただ論文の方は疲れてしまったので、サイトの更新にあたる。本当は『新潟日報』の原稿でも書くべきなのだけれど、締切がないと、どうしてもやらない、私の悪い癖である。ラジオ放送は、来週にももう一つテープを作らなければならないので、また忙しくなる。そういえば、10月放送分の原稿も、もうすぐ公開しなければいけないな。この回は、いわゆる「徒然なるままに」に回なのだけれど。


01.10.28.

12月のラジオ・テープをもうすぐ送らなければいけない。明日にでも内容を考えなければ。クリスマスのCD、去年も結構買ったんだけど、もう少し追加しなきゃいけないかなあ。できればハンドベルでコープランドの《ロデオ》からの<ホーダウン>を演奏したCDを入手したいのだが、あるかなあ。

マリー・シェーファーの近作CD(アルバム「Patria」Opening Day DOR 9307)、う〜ん、これは…。でもメルボルンのLPも、作品はイマイチだったもんなあ。クライバーの《英雄》は素晴らしい(Decca 433 406-2)。この曲の演奏は、第1楽章というのは大体その標題らしく豪快な演奏になることが多いのだが、後半楽章でシラケてドッチラケになる可能性も高い。エーリッヒ・クライバーは仕上げの難しい第4楽章も雰囲気を失ってなかったと思うので、素晴らしいと思う。


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