最近見たもの、聴いたもの(3)


1999年4月30日


1999.4.30.

Amy Beach. Songs: Give Me Not Love; In the Twilight; O Mistress Mine. Flanigan, soprano; Grove, tenor; Hellekant, mezzo-soprano; O'Riley, piano. WFSQ, 4/9/99.

多感でロマンティックなビーチの歌曲。O Mistress Mineは、民謡風。といってもシューベルトやブラームスに見られる民謡風という趣き。ヨーロッパそのものといった感じだ。Give Me Not Loveは、奇麗なアーチを描くような旋律が印象的。情感がにじみ出てくる素晴しいクライマックスだ。もっと他の歌曲も聴いてみたいところである。

Villa-Lobos. Overture "Alvorada ne flonesta tropical" WFSQ, 4/9/99.

オーケストレーションが鮮やか。亜熱帯という気候よりも、アマゾンの風景を思いだした。後半のゆったりとした不協和音(ただしヴァイオリンによるもので、それほどきつくない)の連続が、やや「熱さ」を醸し出しているのかもしれない。リズムや旋律は、どういうアイディアから来ているのだろう? アマゾンの原住民のイメージか?

Vaclav Nelhybel, Concert Etudes for Four Bassoons; Peter Schickele, Last Tango in Bayreuth. The New York Basssoon Quartet. Leonarda LPI 102. LP.

ネリベルというのは不思議な作曲家だ。無調なのだが、おそらく独特のリズムのためだろうか、意外にアクセスしやすいのである。第1楽章の終わりには、三和音もでてきて、ちょっと驚き。第2楽章はラプソディックに短く。第3楽章はカノンということらしいが、主題はそれほどキャッチしやすいものではない。第4楽章まで聴いてくると、なるほど鮮やかなコンサート・ピースなのだろうな、ということは分かるけれど、ネリベルの吹奏楽曲に慣れている私にとっては、この曲はやや色彩感に乏しいと思ってしまう。

シックリーのは、「トリスタン」の冒頭をうまくパロディーにしてタンゴ風でブルーな作品に仕上げた小品。アイディア勝負といったところ。にやっとさせてくれるのは、P. D. Q. バッハにも通づるところがある。

Amazonia: Cult Music of Northern Brazil. Lyrichord LLST 7300. LP.

北ブラジルの宗教アマゾニアの音楽だそうで、アフリカ系ブラジル音楽のなかでも、あまり研究されていなジャンルだそうだ。第1曲めの、Carimboというジャンルの曲は、特にアフリカ色が強いとライナーにあるが、一聴した感じ、リズムはラテン・アメリカ。ただし打楽器にややガラガラ系が入り、歌唱スタイルが典型的ラテン・アメリカのものとはちょっと違うと思った。聴きものは第4曲の「神懸かりの儀式」からの抜粋で、ガラガラ系の打楽器にのせた音楽はアフリカらしく響く(リズムは、やっぱりラテン系も入っているような気もするけれど)。それにも増して面白いのは、ヘミオラによる手拍子や、それに続く自由拍節の部分。ここで神が呼び出されるらしいが、ここの盛り上がりが素晴しい。ロケット花火も含んだちょっとした混沌のなかから、音楽はさらに興奮を呼ぶ。歌はモノフォニックなのだが、声域により、オクターヴが違ったりする。B面にも、この模様が続いて録音されているが、ここではラッパによるファンファーレに続き、いかにもアフリカらしいドラミングが続く。モニフォニックだが、verseの部分は男性が、refrainの部分は女性が歌うなど、ちょっとした工夫もある。

なお、このレコード、A面には4曲しか入っていないことになっているのだが、実際は5つのトラックがある。どうやらB面最後にいれるはずの曲がA面最後に来ているようだ。アメリカのレーベルらしい仕事だ。


1999.4.29.

J. ピーター・バークホルダー著、木邨和彦訳『チャールズ・アイブズ――音楽にひそむアメリカ思想』 旺史社、1993年

アイヴズは「超越主義の作曲家」と捉えられてきたが、その思想が現われた『ソナタの前置きとしての随想』は、アイヴズの経歴からすれば全く晩年に当たり、それだけで彼の作品全体を捉えるのは誤解を招きやすいという。そこでバークホルダーは、アイヴズが家族、特に父などから受けた個人的な音楽観を考察したり、家族が実践していた思想をアイヴズ家の書籍コレクションから類推したり、イエール大学で学んだことは何だったのか、資料を丹念に追いながらアイヴズの美学・音楽思想に迫る。訳が読みづらいかもしれない。「習作第20番」は「研究第20番」と訳されたり「aesthetic」は「審美的」と訳されているようだ。原書に当たってみたくなった。なお、この本で触れられている「姉妹書」は、すでに出版されている(未訳)。


1999.4.28.

Schubert. String Quintet in C Major, D. 956. Alban Berg Quartet; Heinrich Schiff, cello. Angel DS-38009. LP.

シューベルト最後の年(1828年)に書かれた作品。第1楽章は色彩感のある序奏を伴うソナタ形式。しかし晩年のピアノ・ソナタを思わせる多様な調の移り変わりによる展開には圧倒される。第2楽章はA-B-Aの三部形式。これほど明確で簡潔な形式に基づきながら、それぞれの部分にほとばしるリリシズムは並ではない。べートーヴェンの後期弦楽四重奏は、やや近寄り難い印象があるが、チャレンジする価値はある。シューベルトの場合、こんなにも親近感があるのに、透徹した音楽を味わうことができる。シューベルトの室内楽はもっと評価されてもいいのではないか。

第3楽章はスケルツォ。豊かな低音がうまくオーケストレーションされている。オープニングは単にセンセーショナルなだけではなく、躍動感のあるスケルツォをスタートさせる原動力をもつ。うまいモティーフだ。自由自在にメディアを操ることに自信があるのだろうか。鮮やかな器楽的旋律だが、その展開には驚くばかり。メンデルスゾーンの八重奏曲の第1楽章を思わせる。トリオはうってかわって、カンタービレ。沈むような重みのある音楽。こんなにも表情にコントラストをつけられるものか。トリオだけで一つの楽章ともいえるくらいの完結した音楽だ。スケルツォの概念を変えるものではないか? 主部とトリオ、トリオから主題部への繋ぎもうまい。さりげないけれど、なかなかこれほどコントラストのあるものを繋ぐのは難しい。

第4楽章は一見舞曲風。ラプソディックな感じがするのは、ピアノ・ソナタにもあったかも。前3楽章によって高められた緊張をほぐす、といったことをグラウト(5th ed., p. 608-609を参照)は言っているが、それはちょっと表面的だと思う。本当はリラックスしながらも一気にたたみ込む音楽であるべきではないだろうか。もちろんこれはタランテラではないけれど。

これはとてもいい曲だ!

アルバン・ベルグ弦楽四重奏団とシフの音楽は、やや作りすぎの感じもあるが、極めて流れがスムーズであり、まとまりがある。しかし、個人的にはもっとエッジのある演奏が好きだ。特に第4楽章などは、おだやかすぎて、前3楽章とのドラマ的関連性が薄くなっているようにも思う。エンディングを盛り立てるために、そうしたのかもしれないけれど、結局はテンションが戻らずに終わったという印象が拭いきれない。(04.8.18. 訂正)


1999.4.26.

Calypso Pioneers 1912-1937. Rounder CD 1039. CD.

なかなか多様な音楽を含んでいて驚き。すぐにラテンを思わせるものもあれば、ディキシーランド・ジャズを思わせるものもある。音こそ歴史的だが、楽しいアルバムだ。


1999.4.24.

W. A. Mozart (1765-91). Trio in E-flat Major, K. 498 "Kegelstatt Trio" for piano, clarinet, and viola. Stephen Bishop, piano; Jack Brymer, clarinet; Patrick Ireland, viola. Philips 6500 073. LP.

「フィガロ」や名ピアノ協奏曲の作曲された頃の作品らしい。1786年8月5日に完成。なかなか変わった編成のトリオだ。ピアノ・トリオというと、ピアノ、ヴァイオリン、チェロというのが定番だからだ。モーツァルトは1786から88年の間に、6曲ものピアノ・トリオを書いているが、おそらくこの曲くらい変わった編成はないだろう。

耳にやさしいセレナード風の作品は、3つの楽章からなる。ソナタ形式(? 解説には「2つの部分からなる」とある。でも、「第2主題」はクラリネットで、あまり目立たない、とこ書かれているし…。耳で聴いているだけなので、ご容赦)のAndante、Menuettoの第2楽章、Rondeaxと書かれた第3楽章。

第2楽章はなかなか面白い。中間部の展開は意外にクロマティックで複雑。エンディングもちょっと驚かせてくれる。第3楽章はそれにくらべるとスムーズ。Bセクションではピアノの鮮やかな技巧が面白い。B'でははっきりとした短調が、これまではなかったし、チェロのソロやピアノの主張の強さは、見せ場だろう。なぜこの楽章の後半はチェロに主導権がくるのか、なかなか不思議だ。Aセクションは、繰り返されるたびに、ちょっとしたスピンが加えられる。

アイディアが豊富という印象。

W. A. Mozart. Quintet in A Major, K. 851 for clarinet, 2 violins, viola, and cello, "Stadler Quintet." Jack Brymer, clarinet; Allegri Quartet. Philips 6500 073. LP.

1789年9月の作曲。ちょうどモーツァルトは財政難に陥っていたらしい。

第1楽章のクラリネットの出だしは、当時としては斬新だったと思う。まだクラシックの世界ではクラリネットがまだ目新らしい楽器だったことをかんがえると、なおさらそう思う。第1主題はやはり弦楽器によって呈示され、クラリネットがそれを引き継ぐとうことなんだろうか。第2主題は第1主題に比べてはっきりしている。休符が前にあるし、テクスチュアが大きく変化するからだ。ただしコデッタを含め、より多彩なアイディアが呈示される。演奏はゆったりとして堅実な感じ。弦楽合奏はよいバランスだ。

調的に不安定な展開部が呈示部に比べてドラマティックになるのは必然的だが、モーツァルトの場合は呈示部との対比が見事。引き際もよく、あまりしつこくならないうちに、再現部に入る。しかしこの再現部は驚き! 何が起ったのか最初は分からなかった。第2楽章の再現をもって、あらためて、これが再現部であることを確認した。

クラリネットの演奏はやや四角四面的。しかしよくこなれている。

第2楽章はクラリネットによるアリア風の旋律が魅力的。カンティレーナという表示があるらしい。ドラマティックに楽章をアピールした第1楽章のあとは、リリカルな音楽を前面に出すということか。

第3楽章はメヌエットだが、随分いろいろな要素が含まれている。2つもトリオがある?! なかなかやってくれるな、モーツァルト。AB Trio I AB Trio II AB…これじゃまるでロンドになってしまう。Trio IIはレントラーとのこと。交響曲第39番でも使われた民俗舞曲(しかもこれもクラリネットに旋律が!)の挿入か。Trio IIは、Trio Iが緊張を高めるのに対し、リラックスさせる効果があるようだ。ドラマのうまいモーツァルトならではということか。

第4楽章は主題と変奏。主題はスタッカートを多用し、他の楽章とに現われた旋律と、はっきりとした違いを見せる。A-B-A"のテーマ(?)。しかしこの変奏は、きっちりと主題を変えたり、断片化させるといったような変奏ではない。オブリガートをつけたり、和声の輪郭を残すだけで、自由に旋律をつけたりする類のものが多い。中間でマイナーに変わるところで、ある程度のネタが出揃う。そこで旋律を改めて呈示し、ヴァイオリンとクラリネットの対話型に移る。次はコーダを思わせる展開。オペラの終幕を思わせるカンタービレな旋律を次々と、しかも切々と紡ぎ出す。最後は大団円のように、鮮やかな変奏が呈示される。

傑作だ!

Juju Music, starring King Sunny Ade and Ebenzer Obey. Rhapsody Films 9016. Video.

ナイジェリアの摩天楼にまず驚く。リズムにはっきりとしたアフリカ的センスがあるのに、旋律には西洋的な三和音が平行移動するかのように付いていく。決して楽な生活から生み出された音楽ではないのだろうが、ブルースのようには響かない。しかし社会的メッセージが含まれているのは同じようだ。歌詞の訳を字幕で入れてくれるといいのだが。

楽曲によっては祈りのようなものも入っているそうだが、どんな宗教的意味があるのか分からない。

トーキングドラムの音が不思議なスイング感をだしているのが印象的。


1999.4.22.

John W. Dower. Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II. New York: Norton, 1999.

Dowerは、War without Mercyの著者として有名な、MITの日本史の先生。進駐軍が占領していた時期の日本の政治・文化・社会の様子を幅広いジャンルの資料を駆使して丁寧に描く。この時期の歴史はマッカーサー賛美の、アメリカ側の見方が大勢をしめているようだが、実態はそれほど単純なものでないようだ。政治に関しては、日本の民主主義は上からやってきた「imperial democracy」であったが、それは民衆にも根付いているという説明。また、日本ではなぜ社会主義や共産主義思想がアメリカでは考えられないくらい普及するのかについての分析もある。さらには、東京裁判や戦争責任を歴史的文脈におきながら説明している。「勝者の正義・敗者の正義」、「憲法第9条のレガシイ」などといったキーワードにも注目したい。日本人は決して「Rape of Nanking」を忘れてはいない、との発言は、昨年話題になったIris Changの本に対するささやかな反論なのかもしれない。日米関係の理解には必読の本である。

Stanley Sadie. The New Grove Mozart. London: Macmillan, 1983.

あちこち拾い読みしながら、モーツァルトの興味を持ち始めているが、やや乾燥した記述に飽きてしまう。Einsteinの伝記はすでに古いとのことでこれを読んでいるのだが。Dentのオペラの本は良かった。

Beethoven. Piano Sonata No. 8 in C Minor, Op. 13 "Pathetique." Tom Beghin, pianoforte. Claves CD 50-9707/10. CD.

音楽学者の間で話題になった、ピリオド楽器によるソナタ全集から、悲愴ソナタ。シュトゥルム・ウント・ドランク風の第1楽章の序奏は、ややオーバーに演出されている感じもするが、一つの考え方としては面白い。このソナタはオーケストラ的な響きが面白いのだが、古いピアノで聴くと、かなりエッジのある金属的な響きになるので驚く。あとは、残響が少ないということも分かった。ブレンデルのように序奏部分の和音を引き伸ばすのは現実的でないということが分かった。この第2楽章は、モダン楽器の溢れるような響きに慣れてしまった耳にはドライに響くかもしれない。しかし、これにはこれの独特の味わいがある。明るい音色でこぢんまりとした音楽が心地よい。ロンドの第3楽章、「A」に戻る部分に即興のフレーズが入る。しまった! そういう風にもかんがえられるのか。

ベルギー出身のピアニストトム・ベギンは、コーネル大学で18世紀音楽を専攻。音楽修辞学についての論文を書いたそうだ。現在はUCLAで古楽演奏法を指導。


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