最近見たもの、聴いたもの(16)


2000年5月11日アップロード


2000.5.7.

Brukner, Anton. Symphony No. 6 in A Major. New Zealand Symphony Orchestra; Georg Tintner, conductor. Naxos 8.553453.

冒頭の旋律は、ずいぶん半音階和声のひねりがきいている。でも不思議に機能和声から離れない部分もあり、ぎりぎりの線で進んでいくといった印象。ソナタの大枠も、それゆえに守られている。展開部は、最初ヴァイオリンがずっとリードする。これは、なかなか変わっていると思った。冒頭の旋律が現われるが、変ホ長調という、随分遠い調だ。でも、この部分はかなり目立つ。これが終わると、白々しく低音に冒頭の旋律が戻る。これが再現部? 再現部はダイナミクスのコントラストを使った展開。要素的に新しいものはないが、演出としてはうまいと思う。

第2楽章は歌心感じられる美しい楽章。調号がフラット1つ。展開の仕方、特に旋律の飾り方にベートーヴェン的な書き方もあるように見える。もちろんオケの響きは全然違うけれど。特に終わりの部分は、細かいところまで、かなり神経質に書いているように思われる。

第3楽章は、エネルギー溢れるスケルツォ。ホルンのリズム型が面白い。スケルツォ主部の中間部は、変わった調へと飛んでいく。スパッスパッと切り替えていく辺りは、ブルックナーらしいところ。トリオはホルンの合奏と弦楽のピチカートがちょっとしたアクセントになっている。

第4楽章は、調をあちこち巡回してくる、ブルックナーらしい音楽。テクスチュアの使い方が魅力的で、音が一団となって迫ってくるときと、透明な中で旋律線が絡み合うところがある。リズムの掛け合いでクレッシェンドするところも、ブルックナーらしいところ。セクションごとに、未完成のごとく終わる展開も、彼らしい。この接続の仕方(あるいはそのなさ)が料理の難しいところだと思うのだが、ティントナーのは、そんな問題を、特に考えさせることもなく、自然に進んでいく。一方で、展開の骨格はしっかりおさえ、無理がない(記憶の中で、なんとなく全体がつながっていくのが、ブルックナーの面白さでもあるし)。

オーケストラは、オルガンのような重厚で荘厳な音とはちょっとイメージが違うが、機能性は確かだし、割と飽きずに聴ける。人によっては、その音が冷たく響くのかもしれないが(録音のせい?)、内実のある音楽造りはされていると思う。ニュージーランドという国名に惑わされないように。

なお、参照したのは、学校にあった、ロベルト・ハース版のスコア。


2000.5.9.

Cardew, Cornelius. Piano Music. Cornelius Cardew, Andrew Bell and John Tilbury (Boolevogue), Andrew Bottrill (Sing for the Future Variations), piano. B & L Records BLCD011.

The Croppy Boy, Father Murphy, Four Principles on Ireland, Charge, Bethanien Song, Red Flag Prelude, Soon, Revolution is the Main Trend, Thalmann Variations, Boolavogue, Sing for the Future Variations.

カーデュウのピアノ演奏は、ものすごい技巧を感じさせるようなものではないが(むしろ、必死に頑張っている方に近いのかも)、不思議な暖かさがある。「社会派」の作曲家の問題は、その政治的なメッセージを、いかに音楽にするかだろう。CDの解説やタイトルを見ることなしに、音楽から直接そのメッセージを感じることは可能なのだろうか。ショスタコーヴィチを最初に聴いたときも、いきなりソビエトの歴史や政治を思い浮かべられたかどうか。また、そういうったことが、作品評価にどういう風に影響するのか、すべきなのか、いろいろ考えてしまった。音だけ聞けば、接しやすい音楽ばかりで良いのだが。彼の作品には、案外脳天気なところもあるものだと思った。ティルバリーもMatchlessからカーデュウのピアノ作品をリリースしているが、こちらのCDの方が、ずっと面白く聞けた。


2000.5.11.

Salzman, Eric. Interview. Kalvos and Damian's New Music Bazaar. 4/1/2000 and 4/8/2000.

ソーズマン(サーツマン?)といえば、20世紀音楽の本でおなじみ。肩書は作曲家。なるほどウサチェスフキー(コロンビア)からセッションズ/バビット(プリンストン)と進んだエリートだったのか。本人はアカデミズムにはあまり影響されなかったようなことを言っていた。でも新しいメディアには興味を持ったようだ。それにしても、Nonesuch委嘱の「The Nude Paper Sermon」ってそんな面白いとは思わないんだよなあ。彼の最近のコラボレーション作品なんかは、ポップしているんだけど、やっぱり面白いとは思えなかった。ミュージック・シアターが未来の道、みたいなことを言っていたけど、どうもいま一つ説得力に欠ける。ドーガティー(ドアティ?)の「メトリポリス交響曲」とか、結構高く評価したりしているもんなあ。グラスの「ハイドロゲン・ジュークボックス」のプロデュースにかかわっているのは知らなかった。彼が本の最後で持ち上げていたソンダイムも、どうやら彼は知ってたようだし。


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