音楽雑記帳(39)



ミニマル・ミュージックーその成立と展開(注1)

03.8.31.アップロード


1992年3月、筆者が東京の大学院在学中に、ゼミのレポートとして書いたものです。データ的に誤った部分も多いですが、書式の変更など最小限にとどめました。ご了承ください。なお著作権を尊重し、オリジナル原稿で使われた図や譜例は割愛しました。

第1節 ミニマル・ミュージックとは

 1960年代、アメリカで始まったミニマル・ミュージックは、現代音楽の一つの兆侯として、見逃すことができなくなっている。そして数多い現代音楽の中でも、最も広い聴衆層を持つ音楽の一つである。昨年日本でも、スティーヴ・ライヒや、ダニエル・レンツのコンサートが行われ、クラシック・ポピュラーの別を問わず、多くの聴衆が会場に詰めかけた。

 ミニマル・ミュージックの創始者は、スティーヴ・ライヒ、フィリップ・グラス、テリー・ライリーといった、アメリカの作曲家たちである。しかし「ミニマル・ミュージック」という名称は、ジャーナリストや評論家、学者たちが彼らを総称するのに用いた言葉で、作曲家たちが(共通する一つの)明確なテーゼを持っていたわけではなかった。

 そのようなミニマル・ミュージックの「ミニマル」は「ミニマム」という言葉に近く、「最小限の」とか「極小」といった意昧を含んでいる。これを厳密に考えると、「作曲家が、限られた素材を、限られたやリ方で変形していく音楽」ということになる(後に述べるが、これは美術のミニマル・アートの概念を音楽に適用させたものである)。しかしこのような「狭義」のミニマル・ミュージック(最小限音楽というべきであろうか)は、スティーヴ・ライヒの初期作晶など数少ない例を除いてほとんど見られない。そこでもう少し広い定義が必要となる。

 今日それは一般的に、「ある限られた音素材が反復し、それが変化するところに新しい音の喜びを得ようとする音楽」ということができるだろう。この考え方は、ミニマル・ミュージックが現在にいたるまでの、多様な発展をもたらした。この小諭では、初期ミニマル作品の一例を通して、ミニマルの出発点をとらえ、現在にいたる多様な発展を概観したいと思う。

第2節 ミニマル・ミュージックの源泉、影響

 次に、そういったミニマル・ミュージックがどのように生まれ、どのような影響を受けてきたかを考えてみよう。

 まず、ミニマル・ミュージックの概念が、直接影響を受けたのは、美術のミニマル・アートだった。ミニマル・アートは、1960年代前半、アメリカで注目された芸術運動である。ドナルド・ジャッド、ソル・ウィットらがその筆頭に挙げられる。ドナルト・ジャッドの『無題』を見てみよう(図1)。この作品の形状は、(伝統的な意昧で)それまでの複雑な形の彫刻とはちがって、四角だけでできている。素材にしても、「金属性の箱」というだけで、それ以上のものはない。形式もただ、一定の間隔で並べられているだけである。このような反復は、素材の処理を最小限にするために多用された。このような作品は、芸術的な彫刻として最小限の色彩と形から成り立っている。この「最小限の芸術」の概念を借用して使われたのが、音楽でいうミニマル・ミュージックなのである。

 第二に、ミニマル・ミュージックヘの影響として、民族音楽があげられる。20世紀の音楽は、民族音楽の影響を少なからず受けているが、そのような音楽の中には、同じ音形を何度も反復するものがある。1960年代以来アメリカでは、アジアの音楽、とりわけインドとインドネシアの音楽がたびたび聞かれていた(注2)。またミニマル・ミュージックの作曲家たちの生涯を見ても、ライリー、グラスはインド音楽に、ライヒはアフリカの音楽に影響を受けて、自分の音楽語法を開拓していったことがわかる。

 ミニマル・ミュージックをさらに現代音楽史の上で考えると、さらに2つのことがわかる。一つは、テクノロジーの影響である。初期の音楽では、ライヒの音楽がこれにあたるし、ポスト・ミニマルの場合は、ほとんどの作曲家が少なからずこの影響を受けている。単純な音形を何回も繰り返すことを人間がやるのは大変だが、機械ならば何千回、何万回とできるのである。スティーヴ・ライヒが、はじめはテープ・コンポジションから始めたことは見逃せない。

 もうひとつは、戦後の「聴衆不在の音楽」への反動という側面である。戦後の前衛音楽、特に1960年代の音楽が、響きの美しさよリも、音をいかに知的に構築するかという、音の構造を重んじる傾向が強く、えてして「聴衆不在」的な音楽になったということがある。例えばトータル・セリー音楽を考えて見よう。あの複雑な音楽も、作曲家サイドからは知的な音楽構築としてとらえることもできたであろうが、大部分の保守的な聴衆には、無秩序な音の羅列のように思えたのではないだろうか。トータル・セリー音楽は、調性崩壊後、新しい音組織作リをめざしていた作曲家たちの努力の一つだった、その組織(とそれの生み出す音響)は、聴衆にはあまりにも複雑に感じられた。それに対し、ミニマル.ミュージツクには調性もあるし、はっきりとしたリズムも持っている。音組織、形式ともに明確で単純にみえる(注3)。

第3節 スティーヴ・ライヒのミニマリズム

 では、ミニマル・ミュージックが実際どういうものか、作品を通して具体的に見ていきたい。第1節において、狭義のミニマル・ミュージックの概要を述べたが、初期のスティーヴ・ライヒは、この「ミニマル」という言葉を最も限定してとらえていた作曲家であった(注4)。

 ライヒははじめ、電子音楽やテープ音楽を作っていた。彼はその中でも、テープ・ループの実験を繰リ返していた。テープ・ループは、テープを輪のようにして、何度も同じ音を繰リ返すようにしたものである。彼はある日、2つのテープ・ルーブを同時に鳴らし合う実験をしていたが、2つのテープ・レコーダーが完全に同じ速度で回らなかったため、2つの間に「ずれ」が生じたという。

 このずれのプロセスを使ったミニマル・ミュージックは、まずテープ音楽《雨が降りそうだ》(1967)として具体化された。ライヒはこれを器楽作品に応用する。1967年の《ピアノ・フェイズ》である。

 譜例1を見ていただこう。この作晶は、2台のピアノのために書かれていて、上がピアノ1、下がピアノ2である。最初の音形1の部分では、第1ピアノが弾きはじめる。しばらくたつと、第2ピアノも同じ音形を弾いていくのだが、第2ピアノの方はだんだんテンポを速めていくため、だんだんとずれていくのである(音形3以降を参照)。この曲の最初の部分は、16分音符12個で、一つのブロックを作っていて、音形3から12通リいって、音形14のところまで行くと戻ってくるのである。

 この曲の特徴を挙げてみよう。

1. 演奏者に精密な演奏を求める音楽である。このような作品を実際演奏するのは困難である。いいかげんにずらしてはいけないし、最後にはもとのようにピッタリ合わなくてはならない。

2. それには偶然性の音楽、即興演奏への反動という側面があった。ライヒは次のように言っている。

1968年に、新しい音楽のパルチザンたちは偶然や自由即興のプロセスに力をいれていて、私はそうしたものと私との距離をはっきリさせたかった、すなわち、より伝統的な管理形式を音楽に与えても作曲は可能だということを示したかったのです。(注5)

…1968年には即興や不確定性が優勢だったからね。僕はほかにも可能性がある、つまリすべてが完結していて偶然に任せられないものもあるってことを言おうとしたんだ。そしてその結果が望むらくは美しい音楽であるようなものをね。(注6)

3. 聞き手の音楽の聞き方を変える。聞き手は演奏者の音楽性や、解釈を聞くということよリも、1つの音形がだんだんとずれていく「プロセス」の方に注目していくであろう。それはいわゆるクラシック音楽の聴取の仕方とは違ったものではないだろうか。そういう意味で、これは「オートマティックな音楽の進行に身をゆだねる音楽」といえる。

4. 「ミニマル=最小限主義」音楽らしく、音楽的素材とその処理を限定した厳しい態度が見られる。それはまず音高に見られる。冒頭の動機は、たしかに12の音符があるが、右手はFis、Cis、左手はE、H、Dと合わせて見ても5つしかないのである。演奏する楽器もピアノだけで、音色も非常に均一的である。素材の処理については、「一度ブロセスが定まり、素材が流し込まれてしまえば、プロセスはそれ自身で動いて行く。」というライヒの言葉(注7)に注目したい。曲の形式は、1つの音形が「ずれてゆくプロセス」のみであリ、それ意外には何もない。ミニマル・アートにおいて、素材の処理を最小限にするため、反復を利用したのと同じである。これは時間芸術としての音楽の場合には、さらに有効となる方法なのだろう。ここでも「最小限主義」が徹底している。

5. ライヒの場合、電子音楽、テープ音楽から作曲をはじめたということもあって、その音楽が「テクノロジーの音楽」としての側面を持っていた。《ピアノ・フェイズ》のような、ずれの「ブロセス」によって作られた音楽にいて、彼は、つぎのように述べている。「『音楽としてのプロセス』が鳴り響く音楽として実現されるとき、それが人間の手による生演奏を通じて為されるか、何らかの電子一機械的な手段を通じて為されるかは、究極的には主要な間題ではない」(注8)。実際彼は、この後フェイズ・シフティング・パルス・ゲート(注9)といった、音形がずれていくの機械を使って2つのエロクトロニック作品を作った。少なくとも初期の段階では、ライヒは音楽を機械のように考えている面があった(注10)。

 このようなさまざま特徴を持ったライヒのミニマル・ミュージックだが、その最も「ミニマル」らしい側面は、素材とその処理の限定にある。しかしこのような「最小限主義」の音楽が、このあと次々と展開するというのには、限界があった。ライヒ自身も、シフティング・パルス・ゲートの機械的な反復に飽きてしまい、ついには「ずれていくプロセス」を基調とした作品も書かなくなってしまう。

第4節 多様な展開

 ミニマル・ミュージックには、「素材とその処理の限定」のほかに、様々な特徴がある。それらを挙げて見よう。

 1. 調性的(旋法的)音楽語法の一つである。
 2. 反復を利用する。
 3. 静的な和声進行(注11)。
 4. 安定した拍子感(パルス)。
 5. ダイナミクスの変化がない。

 限界がみえていた最小限主義の音楽語法だったが、このあとのミニマル・ミュージックは、素材やその展開を限定することをしないで、2. の反復という要素に着目する(注12)。つまり「素材・展開が限られていること」よリも、「反復する」音形(音楽素材)が多様に「変化する」語法を使いはじめるということである。ここでライヒの作品をもう1つみてみよう。それは《ドラミング》という作品である。まずこの作品について、グリフィスの本から引用してみる。

…演奏に約1時間半かかり、新しい技法も導入している。それについてライシュは次のものを列挙している。「リズム周期の恒常的な繰り返しの中で、拍動が次第に休符に、(または休符が拍動に)代わっていく過程、リズムと音高が一定なのにたいして音色が次第に変化していくこと、異なる音色の楽器を同時に組み合わせること〔初期の作晶は同質の楽器を同時に組み合わせていた〕、人間の声を楽器の正確な音を模倣することによってアンサンブルの一部として使うこと。」(注13)

 譜例2を見ていただきたい。曲は1小節6拍の中で音符がだんだん増えたリ減ったりすることで構成されている。この作品も「プロセス」を使っているのだが、《ピアノ・フェイズ》のように、「素材を限定する」発想から生まれたものではないといえるだろう。

 このように反復する申で音が変化するという側面に注目した作曲家は他にもいた。フィリップ・グラスもその一人である。彼はその変化する側面から大規模なオペラを作った。《アクナーテン》では、音が反復していく中、和声もゆっくリ変わるのだが、そのゆっくリとした変化と、極度にスローモーションの演技とが、ここでは見事に融合されているのである。

 音楽的にはライヒの《ピアノ・フェイズ》からは、かなリ遠いところにあるように感じられる。この曲の特徴を次に挙げてみよう。

1. 大きなオーケストラを使い、色彩豊かな世界を作っている。
 グラスは最初(ライヒのように)自分のアンサンブルを結成し、固定した音色で自らの音楽を演奏していた。しかしここでは、伝統的ともいえるオーケストラを使い、色彩豊かに表現する。これも「最小限主義」の発想からは生まれてこない要素である。さらにここでは、初期のミニマルではほとんど使われなかったダイナミクスが有効に使われている。これは《ピアノ・フェイズ》とは対照的な要素でもある。

2.独唱、合唱など様々な表現媒体が使われている。
 第2幕第4場<賛歌>をみてみよう。アクナーテン(カウンター・テノール)は、太陽に賛歌を捧げ、自分の思想を民衆に語る。バック・コーラスはキリスト教の詩篇を歌う。またこの部分では、伴奏部と歌の部分が交互にでることにより伝統的な形式感が復活している。これは古典的な形式の中に、反復音形が当てはめられていくような音楽なのである。

3. 1. と2. から、音素材が初期のミニマル・ミュージックよリもかなリ拡大しているということもいえるだろう。1つの素材に固執することはまったくないのである。

4.様々な要素の混在
 もはや、ライヒのようにブロセスを聴く音楽ではないといえる。反復する音形の他に旋律の声部もあリ、反復音形は伴奏として、地昧な存在となリ、「オスティナート」といえるくらいのものでしかない。しかもそれら「伴奏としての反復音形」は、音色や音形自体場面場面に合わせてがらリと変えるようにされておリ、劇(物語)の進行に従属させて使うことができた。また聴衆は、もちろん音楽だけでなく演技にも注目することができるし、舞台装置に目を向けることもできるし、もちろん全体の雰囲気に浸ることもできる

 つまり聞き手は、初期のミニマル・ミュージックのように、音形の些細な変化に固執する必要はないということだ。音楽の聞き方が自由になリ、気楽に聴けるようになったのである。

第5節 ポスト・ミニマリズムと呼ばれる作曲家たち

 前章でみたように、ミニマル・ミュージックはその語法をかなリ拡大していったが、次の世代のカリフォルニアを中心とした一運の作曲家、ジョン・アダムス、ダニエル・レンツ、カール・ストーン、ポール・ドレッシャーは、その流れを汲んでいる。そのため評諭家たちからは、「ポスト・ミニマルの音楽家たち」とも呼ばれている。

 彼らは特に、音素材の拡大ということに貢献している。ジョン・アダムスは、ライヒやグラスが行ったように、大編成の楽器群を利用したが、その他は、積極的にテクノロジーを利用した。

 カール・ストーンは、パソコンとデジタル・シンセサイザーを組み合わせ、そして自然音や既成の音素材をサンプリングして、作曲したり即興演奏したりする。《ホープ軒》は、ムソルグスキーの《展覧会の絵》を素材として作られているが、その自由な展開には圧倒される。彼はライヒの《ピアノ・フェイズ》のように、音楽をシステマティックに構築しようとはしないし、グラスのオペラのように、古典的な形式の中に、反復音形をあてはめるということもしない。コンピューターを使って、既成の素材を即興的に加工し、まるで遊んでいるかのようである。そしてさんざん遊び尽くしたところで、がらっと素材を変え、再び即興的に展開していく。1つの素材にこだわるという点では、初期のミニマリズムの流れを汲んでいるといえなくもないが、ライヒのように素材の変化の過程に一定の法則性(あるいは規則性)があるようには思われない。

 ポール・ドレッシャーは、非西洋圏の音楽に関心を持っていて、自らアルミ版を加工して、ガムランのセットを作ったリもした。テープ音楽《アザー・ファイア》では、アジア各地から集められた様々な音素材が使われている。そして、曲は多数の反復音形を堆積させたリ、入れ替わらせたリすることで、ドラマティックに展開される。グラスと同様、ダイナミクスは有効に使われている。

 2人の作品は両者とも、反復する音形が変化するというところに重点を置いてはいる。しかしストーン、ドレッシャーはそれをそれぞれ独自のやリ方で進めていった。ドレッシャーの《アザー・ファイア》には、ミニマリズムの大きな特徴だった、曲全体を支配する「安定した拍子感」はない。そのかわり多くの反復音形を接続曲風につないだリして、曲を構成している。ストーンの場合、厳密には反復とはいえないところがある。むしろ反復しているように聞こえればよいという程度の作り方である。

 いまやミニマル・ミュージックは、反復する音形とその緩やかに推移というくらいの意味しか持っていないのだろう。だからあれほど自由な展開が出来たのである。

 このようにミニマルの語法は多様化するばかりである。現状とこれから考えられる展開を挙げてみよう。

第6節 現状

1. テクノロジーと結び付いた作品。
 ミニマル・ミュージックの反復はこれと結び付きやすい。理由は第2節に述べておいた。

2. 他の芸術分野との関連。
 はじめはミニマル・ミュージックは、早くからバレエと結び付いた。グラスは前衛劇や映画のための音楽を手掛けていた。またグラス、アダムス、ドレッシャーはみなオペラを制作した、1992年にはライヒも映像と結び付いた作品《洞穴》を制作する予定である。このような作品は、たいがい大がかりなものとなる。

3.アメリカ外の作曲家たちへの影響もみられる。
 イギリスのマイケル・ナイマンや、日本の佐藤聡明がこれに含まれよう。

4.ポピュラー音楽のアーティストたちも注目している。
 ロックの反復するビートとの共通性もあり、語法として取リ入れているものもある。それゆえ今ミニマル・ミュージックに対する関心は広く行きわたっていて、聴衆もクラシック・ポピュラーの別なく幅広い層に広がっている。

 最後に私見を述べておこう。ミニマリズムは、厳密な意味ではライヒの《ドラミング》以降すでに崩壊している。その後、反復音楽という名のもと、この概念は拡大され、次第にその意味は失われていった。しかしこのような道程は音楽史上には何度もあらわれたことなのである。ミニマル・ミュージックの語法は、反論を覚悟でいえば、完全に限界に達している。作曲家もおそらくそれには気付いてはいるだろう。今や様々な作曲技法に振リ回される時代ではない。作曲家が何を表現するか本当に問われるのはこれからである。今後ミニマルの技法がどのように使われるかはわからないが、質を伴った作品作りに使われることを期待しておきたい。

注1 このリボートは、1992年2月6日に、新潟大学(西洋音楽史の講座)で行った口頭発表の内容を文章にしたものである。

注2 Donald J. Grout and Palisca, A History of Western Music, 4th.ed., (New York: Norton, 1988), 877.

注3 このためミニマルミュージックは、しばしば「ニュー・シンプリシティ」の音楽といわれる。しかしニュー・シンプリシティという言葉は、あまりはっきりしない。単にわかリやすく聞けるということであろうか。少なくとも調性が復活したということは、「単純になった」ということではない。音の構成という面から見れば、(調性音楽の)後期ロマン派の半音階和声よリも、無調の12音音楽のほうが合理的で単純なのだ。トータル・セリーのテクスチュアの複雑さや、電子音楽の音の数理的構築は「複雑なもの」に該当するのであろうか。

注4 テリー・ライリーは、ライヒとは違うやり方でミニマル・ミュージックを始めていた。彼の代表作《In C》は、ライヒのように厳密な「漸次的位相プロセス」に基づくものではない。ただしこの曲も、ミニマル・ミュージックとしての特徴を持っている。まずあの即興音楽のうち、真に即興できる部分は極めて限られているということである。演奏する音形も厳格に決められているし、反復回数も全体の響きを考えていかねばならないのである。その他、曲の和声進行も極めてスタテイックであるし、リズムも画一的である。

注5 マイケル・ナイマン(聞き手)、笠羽映子訳「ミニマリズムの展開」(インタビュー)『現代思想』第13巻第5号、73ページ。

注6 シルヴェール・ロトランジェ、ビル・ヘラーマン(聞き手)、明石政紀訳「繰り返しは構造ではない」『Ur』第2巻(1990年4月)、52〜64ページ。

注7 スティーヴ・ライヒ著、近藤譲訳「緩やかに移りゆくプロセスとしての音楽」『エピステーメー』第4巻第10号(1978年11月)、朝日出版社、37ページ

注8 同上

注9 ラリー・オーウェンが作った位相の変化するメトロノーム。オーウェンは、これをライヒのために作リ、1968年には「位相のずれるパルス・ゲート」として完成した。(ウィム・メルテン著、細川周平訳『アメリカン・ミニマル・ミュージック』1985、冬樹社、71ページ参照)

注10 あとになって、ライヒの考えは変わったようだ。たとえばライヒは、MITがコンピューターで作った《ピアノ・フェイズ》のテープを聞いているが、「機械で作ったものは固くなる。《ピアノ・フェイズ》は死んだものになった」という。器楽奏者とし一ての資質がある彼にとって、機械的なものはやはり我慢できなかったのではないだろうか(1992年来日時のシンポジウムでの発言より)。

注11 機能和声を使用しながらもロマン派のように、次々と和声が変転していくのではなく、同じ和音を繰り返しながらゆっくりと変わることを「静的な」と表現した。

注12 初期のミニマル・ミュージックにおいて、反復は素材の処理を限定する一手段であって、それ自体は副次的、二次的なものであった。今度はその反復がクローズ・アップされたのである。

注13 ボール・グリフィス著、石田一志・佐藤みどリ共訳『現代音楽一1945年以降の前衛』音楽之友社、1987

参考文献

[一般文献]
・石崎浩一郎著 『アメリカン・アート』 講談杜、1980年。
・ウィム・メルテン著(細川周平訳)、『アメリカン・ミニマル・ミュージック』 冬樹杜、1985。
・松平頼暁著 『20・5世紀の音楽』青土社、1982。
・Kostka, Stefan. Materials and Techniqes of Twentieth-Century Music. Prentice-Hall,1990.

[雑誌論文・論評]
・五十嵐玄著 「カール・ストーン ミニマルからポスト・ミニマルヘ」『Ur』No.2(1990年)、117〜121ページ
・五十嵐玄著 「ムーンドッグ マンハッタンの路上ミニマリスト」『Ur』No.5(1991年)、76〜81ページ
・柿沼敏江著 「アメリカ西海岸のコンポーザー=パフォーマーたち」『今日の音楽』第2巻(1988年春)、66〜67ページ。
・川西真理著 「ミニマル/ポスト・ミニマル・ミュージック」『レコード芸術』第40巻第5号(1991年5月)。
・ブライアン・デニス著、笠原潔訳 「反復音楽とシステム音楽」『エピステーメー』第10巻第4号(1978年11月)、27〜35ページ
・スティーヴ・ライヒ著、近藤譲訳 「緩やかに移りゆくプロセスとしての音楽」『エピステーメー』第10巻第4号(1978年11月))、36〜39ページ
・スティーヴ・ライヒ/シルヴェール・ロトランジェ、ビル・ヘラーマン(インタビュー)、明石政紀訳「繰り返しは構造ではない」、『Ur』No. 2(1990)
・スティーヴ・ライヒ/マイケル・ナイマン(インタビュー)、笠羽映子訳 「ミニマリズムの展開」『現代思想』第13巻第5号(1985年5月)、72〜80ページ
・松平頼暁、近藤譲、細川周平(対談)「討議 ケージ以降に音楽は始まる」『現代思想』第13巻第5号(1985年5月)、172〜175ページ

[その他参考資料]
・スティーヴ・ライヒ初期作品集ワーナー・パイオニア32XC-84(Elektra-Nonsuch)76169-2(CD)
Another Coast (New Works from The West). Music and Arts Programs of America CD-276(CD)、CDおよび解説書
A Composers Notes:Philip Glass:The Making of Akhnaten. Video Artist International 69049(VHSビデオテープ)
・テレビ朝日『題名のない音楽会』よリ、「ミニマル・ミュージック考」(テレビ番組)

(05.4.11. 訂正)


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