音楽雑記帳(43)



《ピーター・グライムス》 一その「劇的」流れを考察する一

05.1.16. アップロード


1988年3月、筆者が学部生時代に、西洋音楽史のレポートとして書いたものです。拙いものですが、ご容赦ください。なお著作権を尊重し、オリジナル原稿で使われた譜例は割愛しました。
 「《ピーター・グライムズ》を書くにあたり、私は海によって生計をたてる男達や女達の絶え問ないもがきに対する私の自覚を表現したいと思った。」ブリテンは、彼のオペラ《ピーター・グライムズ》のサドラーズ・ウェルズのリブレットの序文にこのように書き記している。

イギリスの音楽史上、パーセル以来の本格的なオペラと言われたこの作品には「この世離れ」した独特の神秘性を持つという20世紀オペラに見られる特徴があるが、その題材の性格にはこのオペラ固有の特殊な一面がある。

それまでオペラにおいて、人物の典型として、男女が考えられ、その間の葛藤を描いたものは数限りなくあった。しかしブリテンにはそれがなく、いわば「イノセントなものと悪なるもの」との対立ともいうものが代わりに出てくる。具体的に考えると、ブリテンはオペラの題材として、平凡な個人が、誤解や偏見のために、社会とたたかって敗れるという悲劇を好んで扱っている。《ピーター・グライムズ》では、主人公ピーターがこの悲劇の犠牲者ということになり、ここでは「純情一無垢な心情と俗的な現実社会」が対立していると考えられるのではないだろうか。

ピーターは荒々しい男ではあったが、根は正に純情無垢な心情を持った若者のように感じる。しかし嵐の漁の中で少年が死んでしまった事件に対する審理で、彼の友人を除くすべての人々は、「誤解」し「偏見」を持ち、奇妙なまでの残忍性をもって、ピーターを精神的な孤独に追いやってしまう。人間の弱い部分を傷つけられ、彼は自分の受けた誤解を自分の考えで、独力で解決しようとする。それは彼を、周りの社会と戦わせる結果にしてしまった。劇の進行上でそれを追ってみよう。

まず、村の還境に適応できないピーターが音楽の上にはっきりと表われてくるのは、プロローグのエレンとピーターの二重唱である。(譜例1)。ピーターの声部はへ短調、エレンの声部はホ長調である。この複調において、2つの調は、互いに強く反発している。次に、第2幕の彼のモノローグは、狂気じみたピーターの様子が如実に表われている箇所である。更に、村人たちの険悪な空気を和らげようとキーン.が民謡調の「年寄りのジョーは」を歌うが、そこでの輸唱を止めるかのように彼は拒絶し一続ける。その後、ピーターは、彼を理解しようとする者の言も聞かず、一途に漁に出かけようとする。第2幕第1場、エレンと彼との言い争いの場面のピーターの言葉に注目してみよう。「…わしらの家を買い、尊敬を買い集め、うわさ話をがまんする…苦痛からの自由を買うのだ…。」彼の従順な心はどこへ行ってしまったのだろうか、俗的なものに汚染・侵食されてしまったのだろうか。遂にはその望みも失敗に終わり、正気を失ない、完全に世と引き離された世界に引きづりこまれていく。彼の死は、すべてを終わらせるしかない状態となった彼の到達すべきでない結果だったのだ。

このように主人公に注目すると、ともすると平凡な風俗性に占められてしまいそうな題材に、このオペラはいかに劇的効果を加えて展開しているかがわかる。そして、このドラマティックな展開は、ブリテンの31歳の作とは思えぬ熟達した音楽に支えられている。レチタティーヴォ、アリア、アリオーゾ的パッセージがそれぞれ独立しながら、1つの幕の中で、自然な形で連結され、流れていく。また間奏曲の果たす役割は大きい。場面転換の実用的な面だけではない。「前に起こったこと」から「次に来るべきこと」への感情の移行をスムーズにし劇のイメージを喚起させる象徴的な要素を多分に持ち合わせている。第1幕のブロローグから第1場への間奏曲を見てみよう。これは3つの動機から成っている。(譜例2)例えば、(a)をあたかも海岸の船をなでるかのような風、(b)をひたひたと打ち寄せる波、(C)を大潮が襲いかかる瀬戸際の前兆とイメージすることも可能なのである。

会話体の自然なイントネーションのレチタティーヴォなど、劇的叙情的な部分では言葉を中心とした音楽になり、それ以外の部分においてはオーケストラにかかる比重が強い作品とも考えることができる。《ピーター・グライムズ》は、このようにドラマティックな要素と繊細さが見事に調和しており、それは歌唱部分の豊かな旋律と独特の色彩を持った管弦楽法によってひきたてられている。その中庸を行く音楽は、ブリテンに限らず、文学に芸術的天性のあるイギリス人の特徴の一つの表われかもしれない。

 〔参考文献〕
・Eric Walter White. Benjamin Britten: His Life and Operas. University of California Press,1983
・最新名曲解説全集 第20巻 歌劇III 音楽之友社
・David Ewen. Comporsers since 1900. Wison, 1969.
The New Book of Modem Composers David Ewen (ed). A.Knopf 1961.
・音楽大事典第4巻平凡社 198211.19.

 〔その他参考資料〕
・全曲盤CD(ロンドンーポリドールF90L-50227/9、およびその解説・リブレット(対訳)
・全曲収録のビデオ(THORN EMI)


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