音楽雑記帳(9)



電子音楽を聴いて考えたこと(1992年のメモから)



1960年代の電子音楽のいくつかを聴いていて感じたことは、素晴しいものは技術に関係なく素晴しいということ。たとえばシュトックハウゼンの<若者の歌>が面白いのは、この作品がミュジーク・コンクレートと純粋な電子音を融合しているからだとは思えなかった。そのことはあとで歴史の本をみて、初めて分かったくらいだ。

何か作曲に対するエネルギーが感じられる。それは常に前をむいて歩いていたいという欲望だったのだろうか? 前衛という称号を与え続けられていて、世間に名を広められたからだろうか。

前衛は終わったという言葉はもう常套句にさえなっている。なるほど考えうる新しい作曲技法の数はおのずと限られてきて、ある程度出尽くしてしまったということはあったのだろう。しかしそれは早速「音楽」が出尽くしたのではない。「安直なポスト・モダン」にだまされてはいけない。モダンは常に今・この時にあるのではないだろうか。しかし、現状は、ハードは良くなっても「ソフト」は一向に新しくならないという風に見えてしまう。



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