何か作曲に対するエネルギーが感じられる。それは常に前をむいて歩いていたいという欲望だったのだろうか? 前衛という称号を与え続けられていて、世間に名を広められたからだろうか。
前衛は終わったという言葉はもう常套句にさえなっている。なるほど考えうる新しい作曲技法の数はおのずと限られてきて、ある程度出尽くしてしまったということはあったのだろう。しかしそれは早速「音楽」が出尽くしたのではない。「安直なポスト・モダン」にだまされてはいけない。モダンは常に今・この時にあるのではないだろうか。しかし、現状は、ハードは良くなっても「ソフト」は一向に新しくならないという風に見えてしまう。