音楽雑記帳(45)



ベートーベン弦楽四重奏曲全曲への挑戦

2008年4月28日アップロード


2004年5月15日に始まったベートーベン弦楽四重奏曲全曲演奏会、その第1回公演終了後に書いた新聞記事です。
 ベートーヴェンは十八世紀から十九世紀のドイツ・オーストリア圏を代表する作曲家である。耳が聞こえなくなるという、音楽家としては致命的な痛手を負いながらも書き続けた彼の独創的な諸作品は、その後の西洋音楽の流れを大きく変えることになった。

 そんなベートーヴェン作品の中でも弦楽四重奏曲はとりわけ充実した作品の多いジャンルで、結果的に「室内楽曲」の地位向上に貢献することにもなった。それまで室内楽曲は王侯貴族たちが趣味としてたしなむ程度のものと考えられていたのだが、ベートーヴェンはこれを有無を言わさぬプロのための芸術作品へと昇華させてしまったのである。

 十七曲の弦楽四重奏曲のなかには、頻繁に演奏される名曲も少なくない。しかしいざこれらを全曲をやろうという企画は、全国的にみてもあまりない。それはおそらく十七曲のうちのいくつかは、光り輝く名曲でありながら、これまであまりスポットライトが当たらず、そのため「興行的成功」が望めないということから避けられてきたということなのかもしれない。いや、もちろん弦楽四重奏一曲だけでも演奏者にとってはかなりの難物であり、そもそもこれを全部演奏することは神をも畏れぬ一大事ということでもあるのだろう。

 去る五月十五日、そのような全国でも珍しい企画が富山市岩瀬の北前船回船問屋「森家」で行われた。オーケストラ・アンサンブル金沢のチェロ奏者、大澤明氏(富山市出身)が率いるクァドリ・フォーリオの第一回公演だ。今回のように、全曲演奏の企画が地元の愛好家を中心に立ち上がるというのは、やはり富山の音楽史の中では画期的な出来事であるといえるだろう。なぜならこれは、芸術的な価値のあるものを積極的に紹介できる土壌がこの地に育っていることを雄弁に物語ることになるからだ。大澤氏がいみじくも「機は熟した」と述べているのにも、そのような想いがあったからに違いない。

 森家で行われたコンサートで何より感動的だったのは、この公演が地域の人たちによるしっかりとした支援のもとにできた手作りのものであったこと、そして演奏を担当したクァドリフォーリオも富山、北陸に縁のある人たちばかりで構成されていたことだ。「中央」や外国から高いお金を払って音楽家を招くことは、良質な音楽を享受しこれを地元文化の糧にするという点では確かに大切だ。しかし、地域に根ざした音楽文化を育てる際に、それだけでは不十分だろう。森家のコンサートにあるように、地域から演奏会を企画し音楽家もなるべく地元から供給する。そういった「自給自足」の活動があってこそ、この富山にも「本物」の音楽文化が育つと思われるからだ。

 五月のコンサートでもう一つ感動したことは、一音も逃すまいとする聴き手の姿だった。眼前に立ち上がり訴えかけてくる音、わき上がる感動の渦。これらは楽譜をいくら懸命にながめても、何度レコードを聴いても感じられるものではない。本番では音楽家たちも会場の熱気を肌で感じ、演奏もリハーサル以上に磨きがかかっていた。予想以上の聴衆が詰めかけたため窮屈な思いをされた方も少なからずいらっしゃったが、音楽を皆で作り上げていくあの一体感たるや、他で見られるものではなかった。この日の体験は、音楽を聴くとはどういうことかを改めて考えさせてくれることになった。

 七月二十二日には第二番、第十一番、第十二番の三つを配した第二回目の演奏会が北日本新聞ホールで開催される。この歴史的機会をぜひ見逃さずに体験してほしい。クラシックは、他のジャンルと違って、向こうから気さくに声をかけてくれることが少ないかもしれない。しかし、こちらから積極的に働きかけていくと得るものが非常に大きい。その魅力から離れられなくなった人が次々とクラシック愛好家になっていくのだ。

 「クラシックは難しい、高級だ」といった言葉も聞く。しかしそのクラシックを長く研究してきた私でさえ、ベートーヴェンの音楽が「分かった」とは、とても言えない。ただ素直に感動し、味わい、その魅力について考察してきたにすぎない。音楽は、クラシックでも民謡でも演歌でもJポップでも、聴いて感ずることから始まるはずだ。「分かる」かどうかは、それからじっくり考えればいいのだ。どうだろう、ベートーヴェンの音楽にも一度触れてみては。きっと人生を豊かにするような、新しい世界が開けてくるに違いない。(2004年6月4日、『北日本新聞』文化欄 [第10面]に掲載。禁無断転載)


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