音楽雑記帳(4)



あるコンピュータ音楽のテープ審査に立ち合って
(メモ、1992年)

無断転載はお断りします



コンピュータ音楽を審査するとき:どんなことがあったか

(1)時間がないので、全部は聴けない(この時は200もの作品があった)。だが1ヶ所を何分か聴いただけでは判断できない。短い作品で2、3箇所、長い作品ならばそれ以上部分的な聴取を行う。

(2)音楽的に良いものを選ぶか、技術的な巧みさを選ぶか:基本的には音楽的によいものを選ぶが、コンクール組織の存在意義を考え(これは主催者によって違うだろう)、あまりにも原始的なもの(2、30年前でもできた程度のもの)は除外する。

(3)審査員5人のうち4人がストップをかけ、一人がテープ聴取をさらに要望したときは、その一人に従ってもう少し聴取を進める。

(4)作品のタイトルやプログラムは、曲理解の手助けにはなるが、それ以上のものにはならない。



感想

ヨーロッパやアメリカなどの作品は、未だ「前衛」の影響を残している。音響合成に関する基礎は、50年代後半からの電子音楽にあり、抽象的な構成方法は、ミュージックコンクレートを中心としたテープ音楽をもとにしているように思われる。調性音楽の復活が叫ばれているが、コンピュータ音楽を聴く限り、これらは調性とは無縁の世界である。しかも最新の科学的研究と、音楽性の裏付けをもっているのである。このあたりは、日本のコンピュータ音楽とのへだたりを強く感じる。

ただコンピュータを使ったというだけでは認められない。作曲というのはそんなにやさしいものではないのだ。もしかすると、残念なことに、審査員の方にもポピュラー軽視の方向はあるかもしれないが。しかし名高い作曲家達(それらの多くは大学で教鞭をとっている)の作品がエントリーされている音楽審査の場合、それらから抜きんでるのは難しい。それを無視して、いたずらにポピュラー音楽に走るのは歓迎されないようだ。国際的感覚が一番欠けているのは日本なのかも知れない。

コンピュータ音楽の実情は、日本ではほとんど知られていないといっていい。海外では60年代70年代の電子音楽、ミュージックコンクレート、コンピュータ音楽を基礎としたテクノロジーと音楽の可能性について、今も着々と研究が進められているのだ。



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