音楽雑記帳(26)



モートン・フェルドマン:ccdスレッド
1999年3月12日



以下にお送りしますのは、クラシックCDメーリングリスト、ccdでなされたモートン・フェルドマン関連のスレッドの転載です。

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Message-ID: <000001be69f6$39e60600$7e3493d2@default>
From: "NAKANO Yoichi"
To: "classic-cd ML"
Subject: [ccd:5418] RE: Xenakis,Feldman,etc.
Date: Tue, 9 Mar 1999 14:53:00 +0900

中野です。

(前半、谷口により省略)

最近、ロジャー・ウッドワードのピアノでフェルドマン『TRIADIC 
MEMORIES』(ETECETERA KTC2015 2CDs)を聴き、すごく
感激しました。90分もの曲なのですが、全然長いと思わない。
稀に見る才能だと思います。でも、アメリカのアカデミズムから
は認められていないそうですね? >谷口さん

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Message-Id: <199903090804.DAA27767@mailer.fsu.edu>
From: ataniguc@mailer.fsu.edu (Akihiro Taniguchi)
Subject: [ccd:5422] Re: Feldman

谷口です。ご紹介に預かり(?)出てまいりました。

At 2:53 PM 99.3.9 +0900, NAKANO Yoichi wrote:

>最近、ロジャー・ウッドワードのピアノでフェルドマン『TRIADIC 
>MEMORIES』(ETECETERA KTC2015 2CDs)を聴き、すごく
>感激しました。90分もの曲なのですが、全然長いと思わない。
>稀に見る才能だと思います。でも、アメリカのアカデミズムから
>は認められていないそうですね?
ほとんどの20世紀音楽の教科書には名前が出ているので、曲がり
なりにも認められているとは思いますが、図形楽譜の作曲家であ
るとか、ケージの一派、といった扱いになっています。作曲技法
が中心に述べられている本がアメリカには多い反面、彼の音楽を
それ以外からの視点で述べたものは、少ないといえましょう。

大学の論文は数点ありますが、演奏専攻の学生が書いたものと思
われます。

アメリカなら当然あってしかるべき、フェルドマンの著作集も、
なぜかドイツの出版社からの発行になっています(ドイツ語と
英語の2ヶ国語で書かれています)。

Morton Feldman, Essays, edited by Walter Zimmermann
Kerpen, Germany: Beginner Press, 1985

また、ケージとラジオで行った対談も、やはり2ヶ国語で出版さ
れています(けっこうクダけた内容で、いいかもしれません)。
なぜか、どちらもアメリカでは入手困難なシロモノになっていま
す。日本でも、図書館にあったら、ぜひご覧になってください。

John Cage and Morton Feldman, Radio Happenings I-V:
Conversations 1966-67.  Cologne: MusikTexte, 1993.

あと、Thomas DeLioという作曲家がフェルドマンの音楽を扱った
著書を発行しております。内容は、ピッチセットクラス理論(音の組み合
わせを体系的に分析する方法)やグラフをつかった楽曲分析で、あ
る程度、知識をもった方にお勧めしたい内容です。ただ、フェルド
マンの書いた短い文章が3つ載っていますので、こちらも、図書館
などでみつけられたら、ご覧になるのもよいでしょう。

Thomas DeLio, The Music of Morton Feldman.  New York:
Excelsior Music, 1996.

なお、コンパクトにフェルドマンの思考を捉えるには、やはり、彼の
書いた有名なエッセイ『カテゴリーの狭間で』をお読みになるのが
良いと思います。「表面の音楽 (surface)の音楽」と彼の称する
音楽とは何か、理解するためには一番の近道でしょう。

音楽とは時間芸術という暗黙の了解があるようですが、フェルドマン
は、「他の作曲家が行っているように、時間に自分を投げ出してしま
いたくない」というようなことを言っています。絵画のように、常に
凛として存在する実態のある音楽という在り方は無理かもしれません
が、それを幻影として表現したい、という理念があるようです。も
ちろん、時間の束縛から逃れることはできないのですが、私の解釈で
は、おそらくスキャナで画像を読み込むかのように、時間とともに存
在がはっきりしてくる見方もあるし、最初から全体を漂わせ、それが
だんだん濃厚になってくるとか、角度を変えて表現されるとか、いろ
いろ方法はあると思います。抽象的で、すみません。

Morton Feldman, "Between Categories," Contemporary Music
Review 2 (1988): 1-5.

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Message-Id: <199903090823.DAA28378@mailer.fsu.edu>
Date: Tue, 9 Mar 1999 03:27:36 -0500
From: ataniguc@mailer.fsu.edu (Akihiro Taniguchi)
Subject: [ccd:5423] 訂正と自己レス(Re: Feldman)

谷口です。いつも速攻で打っているので、ミスが多いです。

(谷口により、省略)

>あと、Thomas DeLioという作曲家がフェルドマンの音楽を扱った
>著書を発行しております。内容は、ピッチセットクラス理論(音の組み合
>わせを体系的に分析する方法)やグラフをつかった楽曲分析で
*ピッチセットクラス理論→ピッチクラスセット理論

#これは、和音を和音記号で表わすかのように、特定のピッチ
#の組み合わせをラベルづける方法です。ただし、ピッチとい
#ってもオクターブは無視(だからピッチクラスという)し、
#12音の中の組み合わせを考えます。「機能」という考え方は
#しませんが、作曲家が特定のセットを好んで使うことはあります。

#ピッチクラスはアラン・フォルテが可能な組み合わせをリストア
#ップしており、彼のラベル付けに従うことが慣習となっています
#>以上、興味ある方向け情報

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From: "noboru inoue, mr"
Subject: [ccd:5425] Re: Feldman
Date: Tue, 9 Mar 1999 17:59:38 +0900

中野様
井上です


非常に興味深く受け取りました

いまシュトックハウゼンの音楽論集に夢中になっています(中野氏の文章を読みま
すと、数十年前にこの原著を
およみになっているかとおもうのですが。)

> 音楽とは時間芸術という暗黙の了解があるようですが、
(以下、谷口により省略)

読書中ですので、あれこれはいえないのですが、シュトックハウゼンのいう、「構
造と経験時間」が
このあたりをシュトックハウゼンなりに説明したいのではないかとおもっています
。私見によれば、音楽の感動は
時間からくるのではなく、すべて空間的なものであるから、フェルドマン氏の心配
は杞憂ではないかとおもうのですが。
人間には空間しかありません、と私は思います。すべての記憶=感動はあたまのな
かのビット排列がつくりだすんですもの。

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Message-Id: <199903091703.MAA24037@mailer.fsu.edu>
Date: Tue, 9 Mar 1999 12:07:02 -0500
From: ataniguc@mailer.fsu.edu (Akihiro Taniguchi)
Subject: [ccd:5436] Re: Feldman

谷口です。CDの話とそれてしまいました。すみません。

At 5:59 PM 3/9/99 +0900, noboru inoue, mr wrote:

>いまシュトックハウゼンの音楽論集に夢中になっています(中野氏の文章を読みま
>すと、数十年前にこの原著を
>およみになっているかとおもうのですが。)
私は読んでいませんが、中野さんは、いかがですか?
Die Reiheには、シュトックハウゼンの書いたものがいくつか
あり、How Time Passes...はコピーしたはずなのですが…(読
んでない (^_^;;)

>読書中ですので、あれこれはいえないのですが、シュトックハウゼンのいう、「構
>造と経験時間」が
>このあたりをシュトックハウゼンなりに説明したいのではないかとおもっています
>。私見によれば、音楽の感動は
>時間からくるのではなく、すべて空間的なものであるから、フェルドマン氏の心配
>は杞憂ではないかとおもうのですが。
前回ご紹介したエッセイからです(p. 4)。

私はかつてシュトックハウゼンと話を交すことがあったんだが、そこで彼は、 「あのねぇ、モーティ、僕らは天国じゃなくて、この地上に住んでいるんだ から」と言った。彼はテーブルを叩き始め、「音というものはここ、ここ、 ここにあるんだよ」と続けた。シュトックハウゼンは現実について実証しな がら納得させようとしたのだった。あのビート、そしてビートと関連させた音 の配置の可能性、それらは作曲家が現実問題として扱うことのできる唯一の ものなのだと。 (中略) 率直にいって、この「時間」へのアプローチは退屈だと思う。私は時計作り 職人じゃない。私は構築されてない存在としての「時間」を獲得したいのだ。 つまり、私はこの時間という野獣がジャングルでどのように生きるのかに興 味があるのであって、それが動物園でどう住むのかに興味はないのだ。私は 時間を手で打ち始める以前、あるいは我々の心や想像力を時間について働か せる以前の「時間」に興味があるのだ。
なお、このエッセイ、最初に掲載されたのは1969年、アメリカのThe Composerという雑誌です。 ------------------------------------------------------ Message-Id: <199903092138.GAA10287@anser1.ananet.or.jp> From: "noboru inoue, mr" Subject: [ccd:5438] Re: Feldman Date: Wed, 10 Mar 1999 06:07:36 +0900 谷口様 井上です。  Mr. Feleman Spoke in his Essay:   > 私はかつてシュトックハウゼンと話を交すことがあったんだが、 (以下、谷口により省略) Aristotle VS Plato みたいですな。 それはそうと、わたしはFeldmanというひとこのMLで初めて知ったのですが、根性あ りそうですね。 音楽やっている人はみんなそのようですね。ストックハウゼンなんかも、殴りあい したら死ぬまでデスマッチに なりそうです。Feldmanもそのくちみたいですね。このようなひと大好きです。図書 館で検索してみます。 TKS A LOT. ------------------------------------------------------ Message-ID: <00c201be6a8f$2666ee20$403493d2@default> From: "NAKANO Yoichi" Subject: [ccd:5442] RE: Feldman etc. Date: Wed, 10 Mar 1999 09:27:25 +0900 中野です。 長文注意です。(^^; 差出人 : Mr.inoue 日時 : 1999年3月9日 18:21 件名 : [ccd:5425] Re: Feldman >非常に興味深く受け取りました >いまシュトックハウゼンの音楽論集に夢中になっています(中野氏 >の文章を読みますと、数十年前にこの原著をおよみになっているか >とおもうのですが。) 元の文章は、フロリダで音楽学を研究されている谷口さんから のものです。(^^; 差出人 : Mr.Taniguchi 日時 : 1999年3月10日 2:31 件名 : [ccd:5436] Re: Feldman >>シュトックハウゼンの音楽論集 >私は読んでいませんが、中野さんは、いかがですか? ここまで手が回りません。それに私ごときが読んでも理解できな いのではないかと...(笑)。 差出人 : Mr.Taniguchi 日時 : 1999年3月9日 17:20 件名 : [ccd:5422] Re: Feldman >>アメリカのアカデミズムからは認められていないそうですね? >ほとんどの20世紀音楽の教科書には名前が出ているので、曲がり >なりにも認められているとは思いますが、図形楽譜の作曲家であ >るとか、ケージの一派、といった扱いになっています。作曲技法 >が中心に述べられている本がアメリカには多い反面、彼の音楽を >それ以外からの視点で述べたものは、少ないといえましょう。 ありがとうございます。作曲技法は分析できているが、真の批評 はこれからといったところでしょうか。前回挙げた『TRIADIC MEMORIES』の解説書には、定量楽譜(5線譜)の譜例が載って いるのですが、彼が図形楽譜に移行するのはいつ頃からでしょ う? >アメリカなら当然あってしかるべき、フェルドマンの著作集も、 >なぜかドイツの出版社からの発行になっています(ドイツ語と >英語の2ヶ国語で書かれています)。 >Morton Feldman, Essays, edited by Walter Zimmermann >Kerpen, Germany: Beginner Press, 1985 フェルドマンのCDはhathut等の欧州レーベルから多く発売 されていることからしても、ヨーロッパの方が人気は高いので すね。 >また、ケージとラジオで行った対談も、やはり2ヶ国語で出版さ >れています(けっこうクダけた内容で、いいかもしれません)。 >なぜか、どちらもアメリカでは入手困難なシロモノになっていま >す。日本でも、図書館にあったら、ぜひご覧になってください。 >John Cage and Morton Feldman, Radio Happenings I-V: >Conversations 1966-67. Cologne: MusikTexte, 1993. これは興味あります。「音」もWERGOあたりから出してくれないも のでしょうか。 >あと、Thomas DeLioという作曲家がフェルドマンの音楽を扱った >著書を発行しております。内容は、ピッチクラスセット理論(音の組み合 >わせを体系的に分析する方法)やグラフをつかった楽曲分析で、あ >る程度、知識をもった方にお勧めしたい内容です。ただ、フェルド >マンの書いた短い文章が3つ載っていますので、こちらも、図書館 >などでみつけられたら、ご覧になるのもよいでしょう。 >Thomas DeLio, The Music of Morton Feldman. New York: >Excelsior Music, 1996. 「ピッチクラスセット理論」、覚えておきたいと思います。我が国の 作曲家もこの理論を使って作曲しているのでしょうか。 >一番コンパクトにフェルドマンの思考を捉えるには、やはり、彼の >書いた有名なエッセイ『カテゴリーの狭間で』をお読みになるのが >一番だと思います。「表面の音楽 (surface)の音楽」と彼の称する >音楽とは何か、理解するためには一番の近道だと思われます。 >(中略) >Morton Feldman, "Between Categories," Contemporary Music >Review 2 (1988): 1-5. 引用までしていただいてありがとうございます。日本語訳はない ですよね?ここら辺は柿沼敏江さんのテリトリーだったりして(笑)。 ところで、フェルドマンには『コプトの光』(cpo 999 189-2)という 曲がありますが、中近東の絨毯やつづれ織りの模様に興味をも ったのはなぜなのでしょう? 差出人 : Mr.ishizuka 日時 : 1999年3月9日 18:22 件名 : [ccd:5426] Re: Feldman,Takimitsu(Woodward),etc. > 近藤譲さんの著書:『音楽の種子』に、近藤さんがフェルドマ >ンの家を訪ねた時の思い出話が載っています。 > 山間にあるフェルドマンの家の電話番号を知っているのは、ガ >ールフレンドだけで、所属する大学も知らされていないんだとか。 >孤独を愛し、厳しく、だが美しい音楽を一人5線紙に黙々と書き >込んでいくような作曲家というのは、この業界では認められない >んですね。 武満の随筆『遠い呼び声の彼方へ』(新潮社)にも、吹雪のために フェルドマン宅に数日滞在したときの模様が語られています(P.144)。 そして最後にこう結んでいます。「フェルドマンの死によって、良き ミニマリズムは跡絶えることになるのだろうか?」と。 ------------------------------------------------------ Message-ID: <36E5CCBB.579C9B0C@dojindo.co.jp> Date: Wed, 10 Mar 1999 10:36:59 +0900 From: Masaki Kawazu Subject: [ccd:5443] Re: Feldman etc. 河津です。中野さん、こんにちは。"トライアディック・メモリーズ"は最初、F Mで高橋アキさんの演奏で聴いて、それでフェルドマンのファンになりました。 > 中野です。 > はこれからといったところでしょうか。前回挙げた『TRIADIC > MEMORIES』の解説書には、定量楽譜(5線譜)の譜例が載って > いるのですが、彼が図形楽譜に移行するのはいつ頃からでしょ > う? フェルドマンは図形楽譜(1950年代)から記譜による作曲に移行した方で す。図形楽譜を使い始めたのはケージよりも早いそうですが、それ以前及び記譜 への移行時期の詳しいことについては知りません。 > >Morton Feldman, "Between Categories," Contemporary Music > >Review 2 (1988): 1-5. "Between Categories"という室内楽作品もありますね(未聴)。 > ところで、フェルドマンには『コプトの光』(cpo 999 189-2)という > 曲がありますが、中近東の絨毯やつづれ織りの模様に興味をも > ったのはなぜなのでしょう? これも私には知識がありませんが、彼の、特に大きな編成の作品を聴いている と、絨毯やつづれ織りの模様が類推されるような音の流れではあります。 > 武満の随筆『遠い呼び声の彼方へ』(新潮社)にも、吹雪のために > フェルドマン宅に数日滞在したときの模様が語られています(P.144)。 > そして最後にこう結んでいます。「フェルドマンの死によって、良き > ミニマリズムは跡絶えることになるのだろうか?」と。 "良きミニマリズムは跡絶える"とは意味深い表現ですね。"悪しきミニマリズム" とは? (p.s.)楽譜の自動演奏に関しては、大作曲家の自作自演ピアノロールや、コンロ ン・ナンカロウの自動ピアノのための習作群の試みを調べてみたり、あるいは、 リゲティの自動楽器のための作品を収めたCD(ソニー)と、それらのオリジナ ルのピアノ、チェンバロ曲の、人間による演奏(ソニー、Wergo 等)を聞き比べ て みると、何らかの示唆を与えてくれるかもしれません。 ------------------------------------------------------ Message-Id: <199903100306.MAA29851@po.sakura.ne.jp> Date: Wed, 10 Mar 99 11:58:09 +0900 From: ishizuka jun-ichi Subject: [ccd:5444] Re: Feldman etc. 石塚です。面白そうなので出てきました。 > フェルドマンは図形楽譜(1950年代)から記譜による作曲に移行した方で > す。図形楽譜を使い始めたのはケージよりも早いそうですが、それ以前及び記譜 > への移行時期の詳しいことについては知りません。 1950年作曲の『プロジェクション I』が、図形楽譜を用いた最初 の音楽とされています。 > > 武満の随筆『遠い呼び声の彼方へ』(新潮社)にも、吹雪のために > > フェルドマン宅に数日滞在したときの模様が語られています(P.144)。 > > そして最後にこう結んでいます。「フェルドマンの死によって、良き > > ミニマリズムは跡絶えることになるのだろうか?」と。 > > "良きミニマリズムは跡絶える"とは意味深い表現ですね。"悪しきミニマリズム" > とは? 武満さんはポスト・ミニマルを評価してませんでしたからね。 しかし、フェルドマンは「ミニマル」というのとは ちょっと 違う ような......。 > (p.s.)楽譜の自動演奏に関しては、大作曲家の自作自演ピアノロールや、コンロ > ン・ナンカロウの自動ピアノのための習作群の試みを調べてみたり、あるいは、 > リゲティの自動楽器のための作品を収めたCD(ソニー)と、それらのオリジナ > ルのピアノ、チェンバロ曲の、人間による演奏(ソニー、Wergo 等)を聞き比べ > てみると、何らかの示唆を与えてくれるかもしれません。 ナンカロウは良いですよね。打鍵の細かなニュアンスという情報 を失う代わりに、時系列に沿った音の出のタイミングという情報を ピアノロールの限界まで書き込んでいった音楽。私は後期の、絶対 人間には演奏不可能な無理数比のカノン等を実現した楽曲が好き。 (といっても、深刻な顔をして耳を傾けなくてはならないような作 品ではないので御安心を )。 リゲティの自動楽器の為のCDは、人には決して薦めないCDです。 ------------------------------------------------------ Message-Id: <199903100638.BAA24034@mailer.fsu.edu> Date: Wed, 10 Mar 1999 01:41:58 -0500 From: ataniguc@mailer.fsu.edu (Akihiro Taniguchi) Subject: [ccd:5449] Re: Feldman etc. 春休み中で、ちょっと時間に余裕のある、谷口です。 At 10:36 AM 3/10/99 +0900, Masaki Kawazu wrote: >> ところで、フェルドマンには『コプトの光』(cpo 999 189-2)という >> 曲がありますが、中近東の絨毯やつづれ織りの模様に興味をも >> ったのはなぜなのでしょう? >これも私には知識がありませんが、彼の、特に大きな編成の作品を聴いている >と、絨毯やつづれ織りの模様が類推されるような音の流れではあります。 ケージ同様、フェルドマンの美術に対する造形は深いので、 その一貫として、自然にそちらに流れていったということ は考えられます。ペルシャ絨毯のコレクターって結構いる はず。 >"良きミニマリズムは跡絶える"とは意味深い表現ですね。"悪しきミニマリズム" >とは? 「良きミニマリズム」とは、極限に切り詰められた素材か ら、無限の多様性を思わせる音楽作品を生み出す原動力、 というかんじ、かな? 反復というのは、最小限主義であることから来る必然的形態の 一つであると思うのですが、単に反復しているだけっていう音 楽も多いのではないかと思います。そういうのを「悪しきミニ マリズム」というの、かな? ------------------------------------------------------ Message-ID: <36E653AE.7D300A4F@dojindo.co.jp> Date: Wed, 10 Mar 1999 20:12:46 +0900 From: Masaki Kawazu Subject: [ccd:5451] Re: Feldman etc. 河津です。去年の12月にはムター/カラヤンの「四季」も探したのですが、見 つかりませんでした(さっきのメールで書き落としました)。 > >> ところで、フェルドマンには『コプトの光』(cpo 999 189-2)という > >> 曲がありますが、中近東の絨毯やつづれ織りの模様に興味をも > >> ったのはなぜなのでしょう? > >これも私には知識がありませんが、彼の、特に大きな編成の作品を聴いている > >と、絨毯やつづれ織りの模様が類推されるような音の流れではあります。 > ケージ同様、フェルドマンの美術に対する造形は深いので、 > その一貫として、自然にそちらに流れていったということ > は考えられます。ペルシャ絨毯のコレクターって結構いる > はず。 そういえば、フェルドマンには「ロスコー聖堂」(1971)という合唱入りの作品が あって、ずーっと続く暗い曲調が、最後のほうでは澄んだ美しいサウンドに変化 する、という佳曲なのですが、そのCD("Rothko Chapel,Why Patterns?" (NewAlbion 39))のジャケットにマーク・ロスコーの絵が使ってありました。ま た、昨年出たスティーヴ・レイシーのソロアルバム"Sand" (Tzadik 7124)のジャ ケットにもマーク・ロスコーの絵が使ってありました。 > 反復というのは、最小限主義であることから来る必然的形態の > 一つであると思うのですが、単に反復しているだけっていう音 > 楽も多いのではないかと思います。そういうのを「悪しきミニ > マリズム」というの、かな? なるほど。"Glassworks"(1982)以降のフィリップ・グラスとか... ------------------------------------------------------ Message-Id: <199903101515.AAA10206@po.sakura.ne.jp> Date: Thu, 11 Mar 99 00:06:49 +0900 From: ishizuka jun-ichi Subject: [ccd:5454] Re: Feldman etc. 石塚です。久々に家に帰って近藤譲著:『音楽の種子』を引っ      張り出してきました。 > ケージ同様、フェルドマンの美術に対する造形は深いので、 > その一貫として、自然にそちらに流れていったということ > は考えられます。ペルシャ絨毯のコレクターって結構いる > はず。  『音楽の種子』より抜粋、引用します:  ○「最小限のコントラストによって、”平らな平面”を 保ち持続させることが私の主な関心事です」と、彼は   自身の音楽について語ったことがある。美しく複雑に、   そして極めてソフトに響くその平面は、ほとんど触覚的   な質を持っている。  ○初期アメリカの骨董家具と、一九五〇年代に彼と深い親   交のあった画家達の作品が注意深く配置された彼のアパ   ートには、何冊ものペルシャ絨毯の文献が積んであった。  ○「今、パターンの研究をしている」と彼は言う。「現代   アメリカの音楽に見られるパターン反復では、パターン   はいつも固定されている.....。」  ○しかし、今の彼は、その停滞した時間を作るために、逆   の方法を、ひとつの和音やパターンの反復を用い始めた。   だがこの反復は固定的・機械的な反復ではない。それは   いつも安定した周期から外れている。   引用は以上。 #最後の引用など、語句を少々置き換えれば、ペルシャ絨毯 #に関する解説としても通用しそう。  今回、改めて目を通したんですが、この本は本当に素晴ら しい。今回抜粋した「モートン・フェルドマンのこと」とい う一文も、直ちにCD屋に駆けつけてフェルドマンの作品集 を買い求めたくなるような素晴らしい内容です。  また、フェルドマンが住んでいたのは、エリー湖のほとり の工業町:バッファローで、山間に住んでいるというのは私 の記憶違いだったことが判明しました。 #山間の一軒屋に一人で暮らしていたのはチュードアでし #た。たびたび、もうしわけありません。 『音楽の種子』近藤譲(朝日出版社:エピステーメー叢書)   > 反復というのは、最小限主義であることから来る必然的形態の > 一つであると思うのですが、単に反復しているだけっていう音 > 楽も多いのではないかと思います。そういうのを「悪しきミニ > マリズム」というの、かな?  「ミニマル」という言葉を文字通りに解釈すると、谷口 さんの書かれたように、「極度に切りつめられた要素によ る音楽」って事になりますね。こういう意味合いで使うな ら、フェルドマンの音楽にこの上なく相応しい言葉だと思 います。  そういえば、例の河津さんご推薦の「室内楽本」も立ち 読みしました。素晴らしい。見開きに載っているCDが全 てフェルドマン。しかもHat Hut のシンプルなジャケット の写真が大部分を占めているところも圧倒的。片山杜秀最 高です。これでしばらくは、彼が推薦していたタン・ドゥ ンの交響曲のCDを買って落胆したり、彼が「次世代を担 う、日本の代表的作曲家4人」の中に、大江光を取り上げ ているのを読んで、思わず鼻血を出しそうになった事を忘 れてあげられそう。



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