音楽雑記帳(13)



ブルーノ・ネトル博士と「音楽」
(98.3.8.)



音楽とは何だろうか。それは音楽に携わった人ならば一度は思いめぐらす疑問である。しかし、その究極的な答えが出ないという経験も、誰もがしているのではないだろうか。

音楽辞典にその答えを求めた人もいるかもしれない。しかしそういう人の中で、音楽辞典に「音楽」という項目がないということを発見した人はいないだろうか。例えば音楽用語を調べるための最も基本的な『新ハーヴァード音楽辞典』や、日本語にも翻訳された『新グローヴ音楽辞典』に「音楽」の項目はない。これは、音楽が現在あまりにも多様化してしまい、一つや二つの文章で世の中に存在する音楽のすべてを説明するのは不可能だということが、辞典の編集者たちにも明白であったからだといわれている。

ところが今度改訂版が発行される『改訂新グローヴ音楽辞典 (The Revised New Grove Dictionary of Music and Musicians)』には、この「音楽」の項目が登場する。その執筆者は、アメリカ民族音楽学の第一任者、ブルーノ・ネトル博士である。このネトル博士が、1月12日、筆者のいるフロリダ州立大学を訪問し、この「音楽」の項目内容について議論を交した。今回の「音楽雑記帳」は、西暦2000年前後に出版することを目標に編集作業が進んでおり、CD-ROM版も発行される予定の『改訂新グローヴ音楽辞典』、その中の「音楽」の記述について紹介することにしよう。

ネトル博士によると、『改訂新グローヴ』の「音楽」の内容は音楽の定義を行うものではなく、音楽の意味が社会的・文化的・歴史的文脈、あるいは個人によっていかに違うのかということを、なるべく多様な実例を引いて概観するものである。その記述(第一章)は英語の"music"の語源(ギリシャの「ムシケー」)論からスタートし、ヨーロッパ全体における例を、各国語の辞書・辞典における記述をもとに綴っていく。これらの辞書・辞典がどのように選ばれたか明確にはされていないが、最も古いものは、フランス語のLittreの、Dictionnaire de la language francaise (Paris: Hachette, 1879)である。

つづく第二章において、ネトル博士の記述は世界各地における音楽の概念へと進む。大きくは国レベルでの音楽概念の捉え方を実態に即して捉えようとしたもので、ヨーロッパに始まり、アジア、アフリカ、アメリカ原住民、オセアニア諸国と続いていく。より細かく特定の民族における音楽観も具体的な音楽ジャンル等から引き出されているが、この辺りは最も民族音楽学の成果がうまく使われている。人々が音楽をどのように捉えているのか(肯定的に見るか否定的に観るか、など)、どのような音媒体が主流なのか(声楽か器楽か、など)、どのように音楽が分類されているか(伝統音楽、「地域」の音楽、外国の音楽、など)、内容は議論されている国により様々である。なお極東アジア地域では、日本と中国が選ばれており(韓国はない)、アフリカは一括的に、アメリカ原住民とオセアニア諸国も一つにまとめられている。

第三章は、音楽学研究で議論されてきた音楽の概念や問題点を扱う。ここでいう音楽学は、主にヨーロッパや北米で培われてきた学問体系であり、歴史的音楽学・民族音楽学の両方を含んでいる。議論は初めヨーロッパ音楽学における音楽定義の試みが音楽辞典や書籍から引用されており、ある程度の枠組みが与えられる。そしてその枠組みが民族音楽学の議論により広められているという形を取っている。さらに、芸術の一分野・文化の中の音楽といった大きな議論が続き、音楽の機能や分類法という雑多な議論にも触れていく(注1)。

第三章の最後では、音楽が普遍的に存在する現象であり、「音楽」という言葉をつかって議論する「何か」が、やはり普遍的に存在するという音楽学者達の一致した見解を述べている。しかし音楽の起源を観ただけでも音楽というものはあまりにも多彩で、「音楽」というものが何かを一つにすることのできる言葉として使えるのかどうか、疑問が残ることも強調している。Musicという言葉にも複数形(musics)ができているという背景にも、そのような問題があるようだ(注2)。

『改訂新ニューグローヴ音楽辞典』の「音楽」の項目は、確かにある一つの音楽の定義を与えてくれる訳ではない。しかしそこで為された音楽にまつわる幅広い議論は、読者一人一人が音楽の意味を自分なりに考察するための視点を与えてくれる。もしかしたらそれらの視点は数年後にはすっかり変わっているのかもしれない。しかしその頃になったら、再びネトル博士の行ったような記述が音楽辞典に現われるのではないかと推測している。辞書・辞典というのは時代の産物でもあり、歴史を語る史料でもあるからだ(注3)。

(1)フロリダ州立大学で行ったディスカッションでは、ヨーロッパ諸国における歴史的音楽学は根本的な音楽概念の規定にはあまり関心が行き渡らなかったとネトル博士は述べられた。それは学問で扱われる研究主題が、「芸術音楽」に限定されており、その範囲に当てはまらないものは、自動的に「非音楽」であり、議論の対象外であったからだということらしい。20世紀になり、「比較音楽学」が非西洋音楽や、西洋の民俗音楽を扱い始めるようになってから(西洋中心の音楽観、植民地主義の色彩はあったにせよ)、始めて音楽の本質とは何かが真剣に問われるようになったということなのである。

(2)フロリダ州立大学のダグラス・シートン博士は「音楽」という言葉があまりにも多様な意味を持っていて、ほとんど存在意義がなくなっているのではないかという問いかけをした。

(3)ネトル博士の議論が辞書・辞典類を多く使っていることにも注目したい。


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