ヴァージル・トムソン (Virgil Thomson, 1896-1989) の音楽


映画『大平原を耕す鋤(すき)(The Plow that Broke the Plains)』の音楽
映画本編 (US National Archives [YouTube])

『大平原を耕す鋤』はペール・ローレンツ監督によるドキュメンタリー映画。アメリカ合衆国のちょうど真ん中を北から南へ走る広大な草原が、穀物供給元として開拓されたのだが、それは第一次世界大戦を機に、狂乱状態となる(「エデンの東」を思い起こされたい)。「土地を開拓して兵士たちに食べ物を!」「もっと麦を!」 しかしその後訪れた砂嵐によって、すべては破壊されてしまった。そうしてかつて開拓された土地も放置されていく。川もなく、乾燥し続けるその大地は、砂漠化。フロンティア精神あふれる農家たちも、その荒涼とした土地に別れを告げ、西へ西へと移動してしく(「怒りの葡萄」の冒頭のイメージか)。その先に何があるのか、全く予想もつかないというのに。残されたものは、人のいない渇き切った大地のみである。

と、 ここまでがトムソンの音楽と簡潔なナレーターで進められる。一旦音楽が終わると、ニューディール政策の一貫である「資源保全(conservation)」のメッセージが流れる。これら破壊された牧草地を、政府の支援で保全します、それによって農園が甦り、かつての生活も再生されるというような内容である。

トムソンによると、この映画の音楽を演奏したのは、スモーレンス指揮による特別編成のアンサンブルで、ニューヨーク・フィルとメトロポリタン歌劇場の団員から集められ、当地で録音されたとのこと。(02.5.11.執筆、2023-08-18 誤字訂正・YouTubeリンク追加)


組曲《大平原を耕す鋤》

有名な組曲の方は、トムソン自身が映画音楽から作ったもの。第一次世界大戦の場面で使われた軍国的な音楽や、ポピュラー音楽的要素の強い部分が削除され、第4楽章の<ブルース>の楽章に若干ジャズの雰囲気を残したにせよ、全体としてクラシック的な要素が強調されている。(02.5.14.訂正、 2007年12月22日改訂)

組曲はヴァージル・トムソンの手によって、この映画のための音楽から作られた。第一次世界大戦の場面で使われた軍国的な音楽や、ポピュラー音楽的要素の強い部分が削除され、若干ジャズの雰囲気を残したにせよ、全体としてクラシック的な要素が強調されている。

ネヴィル・マリナー指揮ロスアンジェルス室内管弦楽団 Angel CDM64307 64307 (写真)
Naxos Music Library

やや生真面目なところもあるが、作品の、より叙情的な側面が捉えられた秀演。ストコフスキー盤の2曲に加え、ハープをソロに迎えた《秋》という小品も入っている。(99.12.12、02.5.11.追記)

レオポルド・ストコフスキー指揮シンフォニック・オブ・ジ・エア Vanguard Classical DVC 8013
Unlocked Recordings (レコード音源)

ストコフスキー2度目の録音(ステレオ)。おそらくマルチマイクを使っていて、カウベルやバンジョーなど、この作品のアメリカらしさを醸し出す要素が前面に出された録音。コンサートホールでやるとこういう風に聞こえないのかもしれないが、原曲だってもともと映画のための音楽なのだから、ミキサールームで調節はしただろう。だから、そのことについてはそれほど過敏になる必要もないのかもしれない(いやもちろん、この組曲がコンサート向けだということになると、 それも問題になるだろうけれど)。

演奏はきわめてスムーズで、聴かせようという意志が感じられるようには思う。ただ、映画の演奏の方はもっと生命力とテーマに対する実感があるように思う。マリナー盤かこちらを選ぶかという選択は難しい。ただ<ブルース>の部分のムードはこちらの方が出ているかもしれない。なお、同時収録曲は映画《河》組曲と、ストラヴィンスキーの《兵士の物語》組曲である。(02.5.11.)


 

映画『河 (The River)』の音楽
映画本編 (Library of Congress [YouTube])
(2023-08-18 YouTubeリンク追加)

映画『ルイジアナ物語 (Louisiana Story)』の音楽
映画本編 (Cult Cinema Classics [YouTube])

『ルイジアナ物語』はロバート・フラハーティーによる「ドキュメンタリー映画」。しかしこの『ルイジアナ物語』を見る限り、ドキュメンタリー映画というのは、今日的感覚からすれば、ドラマ的要素をあまり持たない(ノンフィクション?)映画くらいの意味であり、報道性はあまり感じられないように思った。『大平原を耕す鋤』とは、従って随分趣きの違う映画ともいえる。

もともとはニュージャージー州の石油会社がスポンサーとなって作られた映画だが、物語は、南部ルイジアナ州の人里離れた土地に石油の掘削工場を建設し、それがいかに有益で環境にも優しいのかを主張するために設定されたようだ。映画監督のフラハーティーはあまりその主張を心良く思っていなかったそうで、そのためにスポンサーの石油会社が途中で降りてしまうということもあったという。

この映画に登場するのは、ルイジアナの沼沢性の湖のほとりに住むフランス系のアメリカ人、現在ではケイジャンと呼ばれることの多いアカディア人たち。会話の一部はフランス語になっている。話の方は、裸足で歩く無垢な少年が豊かな自然の中で少しずつ大人になりながら(彼の家族は狩猟と魚取りで生活していることになっている)、工業技術を伴った「文明」に驚き、工場の人と仲良く共生するといった流れになっている。工場の方は事故があったため一時閉鎖されるが(これはフラハーティーの、与えられた筋書に対する抵抗か?)、設備を整えて再開。少年もそれを喜ぶといった結末になっている。

今日的視点で見ると、この工場の人たちというのは気持ちの悪いくらいに善良な人たちであり(作業中に忍び込んできた少年には何も言わず、休憩時間には楽しく談笑するなど)、少年とその家族も不思議なくらい無防備なのだが(父親は工場誘致かなにかの書類に喜んでサインしている)、まだ環境問題も取りだたされない頃なのだから、当時はこれも文明の自然な発展の姿として、無邪気に考えることができたのかもしれない。

トムソンは自分が書いた音楽を「民謡音楽」、「背景音楽」、「雑音音楽」(!)の3つに分けているそうだ。作曲にあたっては、アラン・ローマックスやアイリーン・テレーゼ・ホウィットフィールド編纂(へんさん)の民謡集を参照したというが、ケイジャン音楽独特のアコーディオンの音型が現れる箇所もあって、民族的な色の出し方にも挑戦したことが伺い知れる。なお、この映画音楽は、およそ1時間にもわたるそうで、トムソンの書いた作品の中では最も長いものになるのだという。

そして、トムソンはこの映画音楽にもとづいた管弦楽曲を2つ作曲した。《ルイジアナ物語》組曲と《アカディア人の歌と踊り》だ。(ここまで 02.5.14.執筆、2023-08-18 YouTubeリンク追加)

《ルイジアナ物語》組曲の音源

ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団 米Columbia ML-2087(10インチ)

田園風、コラール、パッサカリアとフーガの4つの楽章からなる組曲(第3楽章から第4楽章は続けて演奏される)。第1曲目は<田園風> といっても、これは南部の湿気の多い、原始林的な場所を考えた方がいいだろう。そして沼地が見えてくる。沼地には、木製のボートを漕ぐ少年の姿。輝く太陽ときらめく水面。牧場を歩くイメージで捉えると、ちょっと楽想が分かりづらいかもしれない。

<コラール>というのも、ゆるやかな賛美歌というよりは、ほのぼのとした昼下がりと、ぎらぎらとした太陽、少年が自然の中で遊ぶ姿などを思い出した。そして川筋から見えるのは、石油の掘削工場。力強くそびえ立つその姿は、少年にとって限りなく偉大な存在に映る。

第3楽章、第4楽章は、少年が大きなワニと対面し、やがて捕獲を試みる一連の場面から取られたようで、互いににらみをきかせながら機会をうかがい、時到来と ともに一気に競り合いとなるといった様相である。この大ワニの収穫は、映画では少年が一人前になることへの証と考えられているようだが、ここではフーガに よる緊張度高い音楽が聴き手を引き付けていく。なお標題抜きに音楽を捉えればこのフィナーレも妥当だが、やはり映画から取ってエンディングを付けたという 印象もあったことは確か。

演奏は全体にとてもダイナミックで、色彩感に富む。鳴りも大変良く、リズムによる絞りもしっかりしている。おそらく映画の場面もよく分かった人たちが演奏しているのだろう。ぜひCDにしてもらいたい音源だ。なおこの10インチのB面には、作曲者指揮による《5つの肖像》という作品が収録されている。(03.4.2.)

演奏はきわめてスムーズで、聴かせようという意志が感じられるようには思う。ただ、映画の演奏の方はもっと生命力とテーマに対する実感があるように思う。マリナー盤かこちらを選ぶかという選択は難しい。ただ<ブルース>の部分のムードはこちらの方が出ているかもしれない。なお、同時収録曲は映画《河》組曲と、ストラヴィンスキーの《兵士の物語》組曲である。(02.5.11.)


ジークフリート・ランダウ指揮ウェストファリア交響楽団 米VoxBox CDX 5092(2枚組「American Orchestral Music」の1枚目)

おそらくスタジオ録音で、こじんまりとまとまった演奏。とても優しいタッチだが、野性味がやや取れてかなり叙情的に聴こえる。1曲ごとに物語の鮮やかで力強い一場面を感じ取ったオーマンディとは違って、常に冷静に、純音楽的な美しさを大切にしたという印象がある。

第2楽章の中間部のコラールは本当に祈りのようなコラールであり、同じ楽譜からでもこんなに違ったものが出てくるのかと感心するばかり。もちろん映画の場面とそれに付随したオーマンディのサウンドドラック演奏を知っていると「違い」は歴然なのだが、可能性を考えると、まるっきり否定できないのも確か。こち らの方がより「コラール」を字義通り、様式観を踏まえて捉えていると考えることもできるからだ。後半楽章も、全体に静かだが、第4楽章はオーマンディ盤よ り幾分速めで、ドラマチックになる。

オーケストラがフィラデルフィア管ほどの力がなく、録音もこもり気味なのが残念だが、組曲のステレオ録音は貴重だし、演奏会用組曲としての文脈なら、まあまあの演奏なのかもしれない。(03.4.2.)

《アカディア人の歌と踊り》の音源

ルイス・レーン指揮シンシナティー・ポップス管弦楽団 米Sony Classical (Essential Classics) SBK-63034


チェロ協奏曲 ルイジ・シルヴァ(チェロ)、ワーナー・ヤンセン指揮ロサンゼルス・ヤンセン交響楽団 米Columbia ML 4468(LP)
Naxos Music Library
Boston Public Library LP Records

ナイーブで、時にシニカルなトムソン作品の中で、比較的伸びやかでスケールのある作品。特に第1楽章に見られる生命力は、素朴な力強さを素直に感じて良い作品で、もっとこういう作風で書いてくれたらいいのに、と思わせる。最後の第3楽章には多少コミカルな側面も垣間見せるが、皮相的なものでもない。トムソン自身、戦後書かれた作品の筆頭に挙げたいというこの作品、ぜひ知られてほしい。(03.4.2.、06.10.14. 改訂)

初演をした演奏家による録音ではなかったかと思う。CD化されていない音源。録音が鮮明ではないのが残念だが、シンプルな作風のトムソン作風の中では、特に第3楽章はヴィルトゥオーゾ色が強いことが、この演奏から感じ取れる。何種類かその後CD時代に発売されているが、やはり初演当時の息吹きを感じられるのは良い。 (2023-08-18執筆)



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