ウォルター・ピストンの音楽


不思議な笛吹きディスコグラフィー
交響曲第1番 (1937)
ジョージ・メスター指揮ルイヴィル管弦楽団
米Albany TROY044
Piston Symphony No. 1 etc. 1937年に完成。初演は作曲者指揮によるボストン交響楽団によって、翌年4月8日に行われている(当時ピストン44歳)。ソナタや協奏曲を思わせる急−緩−急の3楽章形式(3楽章形式の交響曲は2番、5番、7番、8番、シンフォニエッタ)。第1楽章はじっくりと歩むように始まる。エネルギーが充満し加速してソナタ主部へ。後につづくピストンのソナタ=アレグロのプロトタイプを見るようだ。第2楽章は6/8拍子によるアダージョ。第3楽章は「Allegro con fuoco」の表示の通り、エネルギッシュなフィナーレである。

ルイヴィル管弦楽団がオーケストラとして力不足という批判もあるかもしれない。しかし作品の可能性を考えることはできるし、これ以外に録音がないという現実を考えれば、好学諸氏向けには充分であろう。アメリカのオーケストラによる、より積極的な演奏と録音があればいいのだが。(05.04.18.)

なおカップリングはロバート・クルカの《価値ある男》組曲(ロバート・ホイットニー指揮)、ピーター・メニンのチェロ協奏曲(ヤーノシュ・シュタルケル独奏)である。(05.04.23.)


交響曲第2番 (1944)
ジェラード・シュワーツ指揮シアトル交響楽団
米Delos DE3074
Piston Symphony No. 1 etc. バレエ音楽《不思議な笛吹き》によってピストンはその名が知られ、第2交響曲によって、作曲家の地位を確かなものとした。1944年3月5日ワシントンD. C.にて初演。その後ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏され、1944-45年音楽批評家賞を受賞している。

シュワーツはリラックスした指揮ぶりなのか、あまり堅苦しい感じにならず、のびのびとした音楽作りをしている。ティルソン・トーマスの演奏に慣れた人には、ややパンチが不足していると感じられるかもしれない。

カップリングは交響曲第6番とシンフォニエッタ。(05.04.26.)
マイケル・ティルソン・トーマス指揮ボストン交響楽団
独Grammophon 429 860-2

音の立ち上がりやオーケストラの機能性について安心して聴ける演奏。また、しっかりとした組織立ての感じられる潔いダイナミックな進行。第2楽章は録音のせいもあるのか、シュワーツ盤に比べて薄めに聴こえる。第3楽章はピストンらしくシャープで熱い演奏。明るい音色により輝きが増してくる。

カップリングはカール・ラッグルスの《太陽を踏む人》とウィリアム・シューマンのヴァイオリン協奏曲。(05.04.26.)


交響曲第3番 (1947)
ハワード・ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター交響楽団
米Mercury MG 40010(LP)
クーゼヴィッツキー音楽財団による委嘱。1947年の夏に完成。ピストン(1894〜1976)の音楽は、基本的に機能和声を使っているようには聞こえない。しかし、独自に調的な音の中心を作ろうとしていることは確かだ。レコードの解説書には、ピストン自身が、それぞれの楽章の調を明示している。

壮大な第1楽章は、ドラマ的な構築力に長けていて、聴き応えのある音楽。第2楽章は、三部構成によるスケルツォ。エネルギッシュな主部と、ややエキゾチックな感じの副部(ハープの伴奏が印象的)との、面白い対比が楽しめる。第3楽章は、定石通りの緩徐楽章。しかしテンポには何度か揺れが あり、着実な主題展開を披露しているようだ。ダイナミクスに関しても、巧妙に、しかしきっちりとした積み上げがあり、冒頭からは考えられない程の、思いきった広がりが見られる。第4楽章は、ピストンお得意のパワフルなフィナーレ。オーケストレーション(ドラムの使い方など)に特徴がある。シンコペーションの多用も、すっかりお馴染み。

ピストンの音楽には、カラフルなオーケストレーションはそれほど見られない。しかし手堅い構成と力強さで、無駄のない作品を書く。

ハンソンの演奏は、メリハリを利かせ、各楽章の性格を引き出すことに成功している。

なお、三浦淳史氏は、この作品を三楽章形式としているが(『音楽芸術』11巻10号 [1953年10月])、楽章は4つある。(1999.7.27.)

ジェームス・ヤナートス指揮ハーヴァード・ラッドクリフ管弦楽団
米Albany TROY400


交響曲第4番(1950)
  オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
米Albany Troy 256(1997) (「アメリカン・アーカイヴ」シリーズの一枚 )
仙台の吉田 達(よしだ とおる)さんによる情報です。ありがとうございます。
1948‐1952年の4年間に、シベリウス、とりわけ第7交響曲からインスピレーションを受けて作曲された交響曲」(解説ブックレット)というコンセプトのもと、ほかにロイ・ハリスの第7番、ウィリアム・シューマンの第6番がカップリングされています。どの曲もそれぞれに聴き応えがあり、お買い得のディスクです。単一楽章形式(連続して演奏されるいくつかの部分に分かれています。シベリウスの7番に倣ったものでしょう)のハリスとシューマンに対して、ピストンの作品は古典的な4楽章形式。そのぶん曲の構成が明確です。

「穏やかに」と指定された第1楽章冒頭、弦で奏される第1主題を聴いただけで曲の世界に引きこまれます。木管による、沈思するような第2主題とのコントラストで、第1主題の滑空するような飛翔感がきわだちます。ノリのよいスケルツォ楽章を経て、全曲中でとくに印象的な第3楽章。「内省的に」という指定にふさわしいアダージョ楽章で、流行りの「アダージョ・ディスク」にノミネートされても遜色ありません。響きとしては、シベリウスというよりはショスタコーヴィチあたりの緩徐楽章を私などは連想するのですが、どうでしょうか。フィナーレは贅肉を殺ぎ落とした歯切れのよい曲作り。第3楽章の余韻をこわすことなく、後味も爽やかに曲を締めくくります。

この曲の口当たりの良さをうさんくさいと感じる向きも、あるいはあるかもしれませんが、私の感じではけっして聴き手におもねるところはありません。作曲者も、そして演奏者も曲作りを心から楽しんでいる、そんな雰囲気が伝わってきます。演奏者のことを言えば、オーマンディ/フィラデルフィアの寄与は小さくないように思います(もちろん聴きくらべたわけではないので断定はできませんが)。第1楽章のみずみずしさ、第2楽章のリズムの良さ、第3楽章の沁みとおるような透明感、第4楽章の禁欲的なまでの逞しさなど、凡庸なオーケストラと指揮者ではここまで出せなかったのではないか、という気がします。ディスク全体として難点をあげるとすれば、録音が古いせいか、ごくまれに音の歪みがあることですが、ディスクの完成度はそれを補ってあまりあります。



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