チャールズ・アイヴズ:交響曲第2番

LP・CD情報は本文の後にあります。

アイヴズは日曜作曲家とかアマチュア作曲家などと呼ばれることがある。保険会社を経営するかたわら作曲をしていたからだ。かつて批評家も、その「アマチュア」という言葉を使ってアイヴズの音楽をデタラメだと非難した。しかしアイヴズはイエール大学でホレーシォ・パーカーにアカデミックな作曲を習っており、その才能はパーカーの師チャドウィックからも高く評価されていた。アイヴズの作曲技法も、パーカーからもらった課題とともに格段に上達したと言われている。また、交響曲4つにしても、第1から第4までを表面的になぞって聴くだけで、アイヴズの作曲技法の成熟が見てとれる。

もちろん、アイヴズがホレイショ・パーカーから習ったのは古典派やロマン派の音楽であり、未来派や十二音の音楽ではない。しかし、パーカーから習ったことと、父親から受け継いだ音楽への信念とがうまく化学反応して、彼独自の作曲技法が成熟していったのではないかと思う。

さて、アイヴズは交響曲第2番について、次のように書いている。「この作品は、1890年代のコネチカット州のこの近辺(ダンバリー、レッディング)の民衆の気持ちを音楽的に表現したものである。つまり田舎の民衆の音楽という訳だ。これには当時彼らが歌ったり演奏した曲がいっぱいつまっていて、そのうちの数曲をバッハの旋律と対位法的にからませるのは、粋なジョークみたいなものじゃないか、と考えた。」

ヒッチコックは、この作品を、アメリカ(19世紀末)のポピュラー・ソングや(主に南北戦争時代の)愛国歌、賛美歌が多く使われていることから、第1交響曲に比べてより「アメリカ化」していると考察。しかし、その使用は、「散漫でむらがある」としている。確かに、アメリカの歌が出てくると、途端にアメリカを感じたり、そうでなければ、ヨーロッパ風な音楽に聞こえたりすることも確かだ。そういう意味で、この作品は、アイヴズがイエールで習得した純ヨーロッパ的な作曲法を生かしながら、一方で幼いころから信じてきた音楽観にもとづいた音楽を確立していく、その過程を示しているのかもしれない。


(4)ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
 
録音のせいなのか、冒頭を聴いてあれっと思ったのは、第1から期待するような豊潤な響きというイメージはないということだった。律儀に演奏しているという印象の方が強い。(01.11.27.)



(3)ケネス・シャーマーホーン指揮ナッシュビル交響楽団 Naxos 8.559076

24:40=6:18+13:57+8:30+2:23+10:20

このCDの「売り」の部分は、近年編集されたという、音楽学者による、当作品の新しい楽譜、いわゆる校訂版(クリティカル・エディション)を使った最初の録音であるということだ。解説を読んでみると、1951年版のスコアは、バーンスタインの初演のために、ヘンリー・カウエルが準備したもので、それは1907年から10年に書かれた自筆譜をもとに制作されたとされている。ところがこのスコアの編纂(へんさん)は、ずさんで、アイヴズも初演をラジオで聴いてがっかりしたということらしい。

ちなみに妻のハーモニーからバーンスタインに宛てられた手紙には、アレグロ楽章のテンポが速すぎる以外、アイヴズ本人は気に入っていたとあるので、今回の楽譜校訂者が、どの辺りまでのことを指して話しているのかは、分からない。tuzakさんによると、「ラジオを聴いてがっかりしたとありますが、確かどこかで『喜んだ』と読んだ記憶があ」るそうで、「初演には誘われても出かけなかったけど自宅のラジオを聴いて小躍りしたと」もされている。(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)
特に問題となった箇所は第2楽章のテンポ記号がかなり抜け落ちていることと、第5楽章の場合は、オリジナルとは違った勝手なテンポになってしまったということだった。結果としてはそれが、「バーンスタインのイージーゴーイングなテンポや凡長な緩徐楽章の解釈につながった」とまで書いてある。

満津岡信育さんによる情報

Peer版の2番のスコアは、どうやらカークパトリックがメトロノーム記号を 入れているらしくて、近年はフィナーレなど非常に速いテンポが主流(ヤルヴィの CD、日本での実演では高関=大阪センチュリー、井上=東フィル、岩城=東フィ ル・・・ただし、最後の一つは私は聴いておりませんが)だったのですが、Naxos のシャーマーホーン盤はもっと遅く旧来の路線で演奏されています(ファクシミ リを見る限り、メトロノーム記号は書き入れてないそうです)。それと、ラスト の<クラッシュ>の八分音符の音価は録音史上最も短いかもしれません。(当サイトの掲示板の記事、10月 8日(日)16時19分23秒より)
tuzakさんによる情報
スコアですが、私が持っているのはPEERのもので、確かにメトロノーム速度が書かれています。それでフィナーレが速いん ですか。なるほど。ニ分音符が96とか92とかと指定されています。  カタストロフィが最も短いというのは興味深いです。PEERの楽譜にはsecもスタッカートすらも付いてないんですよね。も ちろん、フェルマータもないんですが。(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)
今回使われたクリティカル・エディションは、第2楽章の提示部の反復(反復しなくても良いみたいだが)や第5楽章のカット(バーンスタインが、かなり適当にやっていたらしい)など、1951年版になかった部分が復刻され、そのほかおよそ一千箇所も(数えきれないほど多くという意味かもしれないが)手が入っていると解説にはある。また、最終音の延ばしは1951年版のスコアにもなく、これはバーンスタインがアイヴズが亡くなって4年後、米コロンビアに第2を録音した時になって初めて付け加えられた、と説明がある。なお、この録音では短く演奏されている。
なお、クリティカルエディションについてだが、tuzakさんによると、Jonathan Elkus以外に Malcolm Glodstein のものもあり、Tillson Thomasがこの版の初演録音しているとのこと(当サイトの掲示板の記事、10月 9日(月)01時12分49秒より)。
確かに、一聴したところ、第2楽章、第5楽章など、ずいぶんこれまでと印象が違うと思われた場所も多い(版と演奏法については、St. Ivesさんによる考察を参考にしていただきたい)。しかし、実際に音になった第2交響曲が、これによって、ものすごく面白くなったかというと、疑問が残る。作曲者の意図を忠実に再現したいという欲求は、いわゆるクラシック音楽を志す人には多いと思うが、最終的に、それは自分の創造的な表現でなければならないところが、音楽の難しさではないかと思う。(2000.12.3.)

St. Ivesさんのご意見

正直なところがっかりしました、演奏もそうですが、クリティカル・エディションの売り物とも言える2楽章は、演奏の単調さも手伝ってあまりに長いと私は思いました(ベートーヴェンの5番のギュルケ稿を初めて聴いたような感じです)。(当サイトの掲示板の記事、11月25日(土)01時44分41秒より)


(2)レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団 ドイツ・グラモフォン 429 220-2

交響曲第2番の初演者バーンスタインの2度目の録音。録音のためか、弦楽器などの豊かな響きが前面にでてくる。また、旧盤の、勢いに乗せるような演奏とちがって、今回は旋律の絡み方も見通しよく、たっぷりと聴かせるのが特徴。またニューヨーク・フィルの方も、よりアイヴズの音楽を消化しているように感じられ、バーンスタイン自身が解説で述べているように、単に新しい作曲技法をヨーロッパに先駆けて使っていたことだけがアイヴズ作品の素晴しさでないことが分かるだろう。むしろ、この作品は、伝統的な作曲技法にもとづき、そこに自分の共感する音楽を時間上・地理上の制約なく流し込んだものではないかと感じられた(もちろん5楽章形式であるとか、各楽章の調性関係が通常の型通りでないということは、「伝統的な」という言葉では説明しきれないが)。なお、旧盤同様、最後の音符が延ばしてあるが、これが楽譜上「正しい」のかどうかについては、異論もあるだろう。

同時収録された作品群は、アイヴズ音楽のよいサンプラーとなっている。2つの音楽が同時進行するアイヴズらしい語法の<はしご車のゴング、あるいは大通りを行く消防車のパレード>、無調の響きがはっきりした<音の道>第1番、しっとりとした味わいのある、叙情的な<賛美歌>(彼の宗教的な側面もここに表現されているのか?)、ユーモラスな側面を提示した<ハロウィーン>、ビジュアルで雰囲気の漂ってくる<夕闇のセントラルパーク>、哲学的問答を表現した空間音楽<答えのない質問>と、これだけで、アイヴズの音楽をうまく概観できるだろう。第2交響曲と同じ作曲家がこんなにも色々な音楽を書いていることに、驚く人もいるかもしれない。しかし、その作風が一筋縄ではつかみきれないところや、発想の多彩さ・豊かさも、アイヴズの面白さの一つなのである。全体としては、このCDは聞かせどころに富み、アイヴズの第1枚目としても、おおいに推薦できるものであると思う。名盤。 (2000.1.30.、2000.12.2.訂正)


(1)バーナード・ハーマン指揮ロンドン交響楽団 米ロンドン SPC 21086(LP。CDはロンドン [Weekend Classics] 433 017-2)。

しっとりとした味わいのある、魅力的な演奏。第2楽章など、他の、やたらに元気のいい他の演奏から比べると、まるで別の曲のようにおとなしい。しかし、こういうアプローチも、逆に、作品の素朴な美しさがあぶり出されてくるようで、興味深い。特に前半楽章では、弦楽器や木管楽器の柔らかな響きが前面に出てくる。バーンスタイン盤の旧盤などに慣れた耳には驚きであろうし、場合によっては不満でさえあるかもしれない。

最終楽章は、音楽そのものの性格から、必然的ににぎやかになってくるが、決して勢いに任せる演奏にはならない。むしろ対位法的に旋律が絡む箇所をきっちり整理し、バランスよく整えているあたりは、素材から染み出てくるアメリカらしさが、うまく体現されているともいえるだろう。

これは、自ら作曲家でもあった指揮者ハーマンの着実な音楽作りの記録である。ただ、若々しく荒削りなアメリカらしさを求める人には、他の演奏がいいだろう。なお、最後の音符は短く切ってある。(99.10.29.)



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