レナード・バーンスタインの音楽
Leonard Bernstein: Reaching for the Note. 米Winstar WHE 73019(DVD)、カラー/白黒、117分

バーンスタインの生涯を家族や友人の証言を中心にしてまとめたPBS(アメリカの公共テレビ放送)のドキュメンタリー。本人の映像も出 るが、少なめ であり、彼の残した日記などからの朗読なども入っている。彼の追悼式から始まる冒頭は、なるほど効果的かもしれない、しかし、このドキュメンタリーの醍醐 味は、何といっても、その情報量ではないかと思う。指揮活動や教育活動としての側面ももちろん重要であるが、このドキュメンタリーは作曲家としてのバーン スタインにも、重点を置いているようだ。代表的な作品の映像も使われており、イエール大学で上演された《ミサ曲》など、私が見たことのないものもあった。

また、彼のプライベートな世界についても、家族の証言や貴重な映像とともに振り返られ、父親としてのバーンスタインや、バイ・セクシャ ルの問題にも触れられている(ハンフリー・バートンの著作が、クレジットに現われる)。

指揮活動と作曲行為との対比も面白い。オープンで感情を発散させる指揮者としての彼と、自分の内面と静かに葛藤する作曲の営み。バーン スタインにとって、音楽がどのような意味を持っていたのか、うまく描かれているのではないかと思う。

彼のネガティブな側面も多少描かれているけれど、本当はもっと強烈な批判もあるのではないかと思う。さすがにその辺りには限界もあるの だろ う。しかし、このドキュメンタリーから、彼についていろいろ考えることができるのではないかと思う。人間というのは、こんなにすごいこともできるのかと感 動することもあるだろう。機会があったら、ぜひご覧いただきたい。(2001.3.25.執筆)


『バーンスタイン/自作自演集』(バーンスタイン 米Columbia時代の自作自演選集)日CBS-Sony CSCR 8412-11(CD5枚組)

バーンスタイン/自作自演集
バーンスタインの追悼盤として発売された日本独自の企画Boxセット CD。米コロンビア時代に録音したものから選ばれたものだが、《タヒチ島の騒動》などは収録されていない。

収録内容は、交響曲3曲(《不安の時代》は新録)、ヴァイオリン、弦楽合奏、ハープと打楽器のための《セレナード》、《ウェスト・サイド・ストーリー》か らシンフォニック・ダンス、ファンシー・フリー、プレリュード・フーガとリフ、ミサである。

ミサ レナード・バーンスタイン指揮特別編成オーケストラ、合唱団(『バーンスタイン/自作自演集』CD1〜2

バーンスタイン ミサCD

現代における信仰とは何か、信仰が解決の道も見えないような社会問題に対して何ができるのか、全能の神ならば、なぜわれわれを今すぐに 助けてくれないのか、そういった厳しい問いかけがこのミサの根底にあるように思う。

私自身もこういった問題にどう答えていけばいいのかがまだ分かっていないのだが、あえて厳しく考えれば、物理的に満たされることや社会 をす ぐに良くするという願いが、人間的な思考の及ぶ範囲の限界であり、そこに人間的な世界と神的な世界との溝があるということである(それが良い・悪いとかで はなく、人間はそういう存在であるということ)。また、解決は信仰をもう一度取り戻すことから見えてくるのではないかということも考えている。もちろんこ れは一つの見方であり、「そうは言うけれど、人間社会はどうしてくれるのだ」というのがやはり常に付きまとう。究極的にはそういった悩みを抱えながら土に 帰らなければならないのが人間として生きる道なのかもしれない。

しかしそこで終わらないのが信仰であり、もう一度その世界に帰れば新しい世界が開けてくるかもしれない。蛇の誘惑に負け、神に逆らった 人 間の世界は現在これほどに狂ってしまったが、だからこそ、赦しを常に求めていくしかないのではないだろうか。難しいのは「目に見えないものを信ずる」とい うことなのだが、それは信仰というものの本質にもかかわってくるようにも思う。

もちろんこれは私個人の信仰告白のようなものでしかないのかもしれない。しかし「信仰の危機は20世紀の危機」といった考えを持ってい た バーンスタインにとって、現代における信仰の問題をいかに音楽で提示するのかが一つの課題だったと私は考える。だからつい、自分の信仰についても考えてし まうのではないかと思うのだが。

この《ミサ》は、例えば電子楽器やテープというテクノロジー的な近代性、ロックやブルースというジャンル的混在といった部分がまず耳に つ く。おそらくこれらは「現代」における「民衆」を表現する手段として、必然的に出てきたのだろう。しかしこれらの音楽語法がそのままいわゆる「現代のエン ターテイメント」に結びつくのかというと、私は違うと思う。作品の全体を覆うのは常に真剣で真摯な内容であり、一聴した時の楽しさは、実は信仰に対する皮 相な挑戦であったり、生きる上での悩みが叫びとなって出たものであったりする。だから、このミサは、少なくともとっかかりとしては、シリアスな枠組みで捉 えた方が分かりやすい。ジャンルや作風そのものではなく、その背後にあるものとは何なのかを考えた方が有益ではないだろうか。

それにしても、現在のいろんな宗派のキリスト教音楽を考えてみれば、もはやロックやブルースの使用などそれほど革新的ではないから、 バー ンスタインのミサ曲などは、あるいはもっと自然に受け入れられるのかもしれない。「コンテンポラリー」と俗に言われるこの種の音楽に慣れているクリスチャ ンにとっては、この作品は、むしろ古典的に聞こえるのかもしれない。(2001.12.24.)




交響曲第3番《カディッシュ》

歌詞を見ながら一聴して感じたのは、バーンスタインは、こんなにも信仰上悩んでいたのか、という驚きであった。私にとっては、それは生真面目すぎる くらいのものであったし、何かしら見てはいけない内面を感じてしまったのではないかとさえ思った。現代における宗教の意味・役割というのは、宗教に携わる 多くの人々が考えていることだろうと思うのだが、その苦しみ・悩みがここまで音楽に表現されているというのは、あまり例がないのではないだろうか。 (01.5.12.)

(1)


Wonderful Town. Kim Criswell; Audra McDonald; Thomas Hampson; London Voices; Birmingham Contemporary Music Group. EMI 5 56753 2.

 厳しく言うならば、やはりMCAから発売されているオリジナル・キャスト盤と、どうしても比べたくなってしまう。例えば「オトコに振ら れるための簡単な方法100」は、ロザリンダ・ラッセルの言葉の立て方があまりにも面白いので、キム・クリスウェルのルスは、かなり努力している、という 風に聞こえてしまう。その他の歌手にしても、ラトル盤は「音楽的」という印象はあるが、ディクションにドギツさがない。一方、ラトル盤の良さは、オリジナ ル・キャスト盤より、6曲も多く収録されていること、セリフも多少入っていること、リブレットがついていること、そして何よりステレオ録音であることだろ う。(2000.4.24.、01.5.7.改訂)
 



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