An American Celebration 第2巻、 CD2
New York Philharmonic Special Edition NYP 9902/9903

第1曲目は、バーンスタインのミュージカル<キャンディード>のための序曲。「レナード・バーンスタイン賛辞」コンサート、1992年の録音。この序曲の大変さは、押し付けがましいくらい、パワフルな緊張感をどう保つかにあると思うのだが、バーンスタイン指揮によるCBSの旧盤などは、そういう点で成功している。このライブ録音は、指揮者なしなので限界はあるが、それでも驚くほど統率され、雰囲気が伝わってくる。ロス・フィルと入れたDG盤と比較するのなら、よい勝負であろう。

第2曲目は、モートン・グールドの<舞踊変奏曲>(2台ピアノとオーケストラのための作品)。RCAのストコフスキー盤が入手困難で、比較できないのが残念だが、これはミトロプーリス、1953年の録音である。グールドの作風は、シリアスなものから軽快でコミカルなものまで実に多彩で、それらを一つにまとめて述べるのは難しい。しかし、共通して感じられるのは、いろいろなものを受け止められるオープンな心と余裕、そして純粋に楽しみたいという楽観的な音楽の捉え方だろうか。また、<ラテン・アメリカン・シンフォニエッタ>のように、南米音楽の影響もある。4楽章形式のこの作品の第1楽章にも、打楽器の使い方やシンコペーションのきいたリズムに、南米風なところがある。バロックの変奏法が一聴して聴かれるということは、ほとんどなかった。第2楽章には、アラベスク、ガヴォット、パヴァーヌといったクラシックではおなじみの舞曲に、ポルカ、カンカン(!)など、エンタテーメント的な踊りも加えられている。それぞれの変奏に一つのスタイルが当てられているということのようだ。派手にオーケストラがなったり、ユーモラスな響きになったり、錯綜した印象を受けるが、曲全体はそれほどポピュラー・コンサート風には聞こえない。使われている和音が19世紀的な親しみやすいものとは、ちょっと違っているからだろう。

パドゥ・ドゥ--タンゴと題された第3楽章も、旋律線は器楽的。リズムは楽しいが、旋律や和声は、若干垢抜けしないところがある。第4楽章は、イタリア舞曲のタランテラに基づいているが、あまりエキゾチックなイタリアの踊りという感じはしない。むしろ、無窮動のリズムの中で進む白熱した音楽の中に、打楽器や木管楽器がちょっとした色彩を添えるといった趣である。また、なぜかピアノの三連符が、メキシコ風。グールドはタランテラがもともと「死の踊り」であることを知っており(毒蜘蛛のタランチュラにかまれた時にこれを踊るという伝説がある)、レクイエム・ミサに使われるグレゴリオ聖歌「怒りの日」も引用したと解説している。

全体としては、グールド作品の中では、シリアスな側面がより前面に出たものだと思う。

解説書には「モートン・グールドの音楽は紛れもなくアメリカの音楽である」と書いてある。これはアメリカの多くの批評家も、無条件に認めてきた評価なのだが、私個人としては、それについては、もう少し注意深く考えるべきだと思っている。

第3曲目は、バーバーの「メデアの瞑想と復讐の踊り」作品23のA。これもミトロプーリスの指揮で、1956年の録音。もともとはマーサ・グラームのために書かれたバレエ音楽のようだが、管弦楽曲にまとめるに当たっては、新しい作品として考えたとバーバーは言っている。彼の作品の中では中期に当たり、少しずつ現代性や増してきたころのもの。特に後半など、リズム的でダイナミックなオーケストラに圧倒されるが、メロディックな部分も、まだ残っている。

ダイアモンドの<パウル・クレーの世界>が続く。セイモワ・リプキン指揮、1960年の録音。オレゴン州のポートランド・ジュニア・オーケストラの委嘱による作品。CRIにも録音されているが、私個人は、どうも楽しめなかった。近年はダイアモンドも評価されているが、これは一般に受け入れられているダイアモンド作品とは違い、12音技法で書かれている。解説書には、曲の構成がムソルグスキーの<展覧会の絵>に似ており、それとの比較は避けられないとある。4つの楽章のそれぞれの冒頭に「額縁」と題した部分が付属しており、12音音列の原形が提示されているからだ。ただ、これらの額縁はそれに続く音楽と密接に結び付いており、絵と絵のあいだを歩く「プロムナード」とは意味が違う(同じ旋律が繰り返されることもない)。また、額縁と主部は切れ目なくつながっており、どこまでが額縁なのかは明確には分からない。より親しみやすいダイアモンド作品を求める人には、シュワルツがデロス・レーベルに録音した2枚のCDをお勧めしておく。

最後はネッド・ロレムによる交響曲第3番。この作品はどちらかというと折衷主義的であり、5楽章のそれぞれの性格を大ざっぱに説明すると、シリアスな第1楽章、シンコペーションを利かせた躍動感のある第2楽章(バーンスタイン風?)、叙情的・瞑想的な第3・第4楽章、やや唐突ながらもエネルギッシュな第5楽章といった感じだ(あのエンディングはジョークか?)。

解説によると、特定の動機によって曲全体が統一されているそうだが、それよりも音楽のスタイルの多彩さの方が際立っている。ややとりとめがない作品という印象を持った。

(2000.2.1.追記) 尾上伸二さんから、「でも、よくきいてみると、冒頭で提示される主題が中心になって曲が展開しているし、フィナーレではこれまでのテーマが再現されてクライマックスを作り上げているなど、交響曲の王道を行っているところもあるような気がします。」「私としては、現代的な作風も盛り込みながら、ロマンティックな要素も忘れていな いロレムの音楽は、とても性に合っているのですが。この交響曲のほかに、管弦楽の ための『デザイン』とか、聞いたことがないものとしたは、管弦楽とジャズコンボの ための『ライオン』、弦楽交響曲、Air Music(ピューリッアー賞受賞作)などの楽 譜をもってます。」というご意見・情報をいただきました。

このCDでは、アメリカ作曲家の散漫さが露呈してしまったという感があるが(バーバーは聴き応えがある)、一つのサンプルとして、こういうのを公にすることも大切だし、果敢に新作を実際に舞台にかけるNYPの努力も評価したい。(2000.1.28.、1.29.訂正・補正)



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